玉勝間 抜粋

一の巻 初若菜

四〇 からぶみよみのことば

漢籍(カラブミ)をよむに、よのつねにことなる語の多きは、いとふるくよりよみ来つるまゝの古語なるが、後に音便にくづれたる也、曰をのたうまくとよむは、のたまはくの音便也、又のたばくにても有べし、古言に、たまふをたぶ共いふ故に、万葉の歌に、のたまはくを、のたばく共よめればなり、故をかるがゆゑにとよむは、かゝるがゆゑになるを、かを一つはぶける也、これは音便といふにはあらず、然而をしかうしてとよむは、しかしてに、うを添たるにて、八日(ヤカ)をやうか、女房(ニヨバウ)をにようばうといふ類也、是以をこれをもてとよまずして、こゝをもてとよむは、古言のまゝ也、古言には、これといふべきを、こゝといへることつねに多し、さて以をもつてとひきつめてよむは、例のいやしき音便也、慮をおもんはかる、以をおもんみるとよむは、おもひはかる、おもひみる也、垂をなんなんとすとよむは、なりなむとす也、然るをなんゝゝたりともよむはひがこと也、欲をほつすとよむは、ほりす也、件をくだんのとよむは、くだりの也、親をしたしんず、重をおもんず、賤をいやしんずとよむたぐひは、したしみす、おもみす、いやしみすにて、皆古言の格なるに、んを添ヘたる也、ときはをときんば、ずはをずんばといふ類も同じ、涙をなんだ、成りぬをなんぬ、畢(ヲハ)りぬををはんぬ、遂(トゲ)にしをとげんじ、成リにしをなりんじとよむたぐひ、音便に んといふこと、猶くさゞゝ多し、

四一 音便の事

古語の中にも、いとまれゝゝに音便あれども、後の世のとはみな異なり、後ノ世の音便は、奈良の末つかたより、かつゞゝみえそめて、よゝをふるまゝに、やうゝゝにおほくなれり、そは漢字三音考の末にいへるごとく、おのづから定まり有て、もろゝゝの音便五くさをいでず、抑此音便は、みな正しき言にあらず、くづれたるものなれば、古書などをよむには、一つもまじふべきにあらざるを、後ノ世の物しり人、その本ノ語をわきまへずして、よのつねにいひなれたる音便のまゝによむは、なほざりなること也、すべて後ノ世には、音便の言いとゝゝ多くして、まどひやすし、本ノ語をよく考へて、正しくよむべき也、中にも んといふ音のことに多き、これもと古言の正しき音にあらず、ことゞゝく後の音便也とこゝろうべし、さてその音便の んの下は、本ノ語は清ム音なるをも、濁(ニゴ)らるゝ音なれば、皆かならず濁る例也、たとへばねもころといふ言を、後にはねんごろといふがごとし、んの下の こもじ、本ノ語は清ム音なるを、上の もを んといふにひかれて濁る、みな此格なり、然るを世の人、その音便のときの濁リに口なれて、正しくよむときも、ねもごろと、こをにごるはひがこと也、此例多し、心得おくべし、

四の巻 わすれ草

二三 十干の訓

甲乙をきのえきのとゝいふは、木の兄(エ)木の弟(オト)也、其餘も准へて知べし、庚辛は、金の兄(エ)金の弟(オト)なるを、かのえかのとゝいふは、禰乃(ネノ)は乃(ノ)とつゞまる故也、

二四 乙ノ字の事

乙ノ字をおとゝよむは、オツてふ音也、但し甲乙を木の兄(エ)木の弟(オト)といふをもて思へば、弟(オト)の意にもあらむか、又をとめに乙女と書クは、いづれにしてもひがこと也、をとめは、万葉に処女(ヲトメ)未通女(ヲトメ)など書り、仮字は乎(ヲ)也、乙は、オツの音にても、弟(オト)の意にとりても、於(オ)の仮字なれば、をとめには、此字かくべきよしなし、

七六 古言清濁考の事

いにしへことばの清濁を考るに、今の世にいふとは、異なるぞおほかる、そは何によりてしるぞといふに、古事記書紀万葉は、かなづかひいと正しくして、清濁をも分て書たれば、これらの書によりてしるべし、此三ともの書の中にも、古事記は殊にたゞしく、次に万葉、次に書紀也、書紀は、清濁混(マガ)ひたるもおほけれど、なべてはよくわかれたり、万葉は、混(マガ)ひすくなし、古事記は、まがひたるはをさゝゝ見えず、たがへるがまれにあるは、すべてのいと正しきをもて思へば、後に写し誤れるにこそあらめ、さてそのすみにごり、今の世にいふとは、ことなるも多きを、人皆、通はし書たりと思ひ、あるは混(マガ)ひたる也と思ひ、あるは濁る音には、清音の字をも書る例也、など思ひをるは、くはしからざること也、さらにさる事にはあらず、古ヘと今と、いふ言の清濁のかはれる也、然いふ故は、たとへば山の枕詞のあしひきのごとき、今はなべてひもじを濁りてよみならへれども、此仮字、古事記にも書紀にもいで、万葉にはことに多く見えたる、みな清音のかなをのみ用ひて、濁音を用ひたることなし、一つ二つにては、なほ混(マガ)ひつるかの疑ひもあらむを、いとあまた見えたる、皆同じきをもて、いにしへは清(スミ)つることをしるべし、其外の言にも、此たぐひいとおほし、古書を考へこゝろみて、皆なずらへ知べし、然るに古書をよみ、古言を唱ふるに、古書のかなにはしたがはずして、今のならひになづみて、濁るべきを清(スミ)、濁るまじきをにごりなど、わたくしに定めてよむは、いとみだりなるわざ也、古書をよまむには、古書のかなの清濁にこそしたがふべきわざなれ、そもゝゝおのれ、此清濁の、古ヘ今とかはれることに心つきて、いかで今のならひにかゝはらず、古書のかなにしたがはゞやと、はやくより思ふことにて、すでに古事記伝のはじめの巻にもいひつれども、いとまなくて、もろゝゝのことばの清濁を、あまねくかむかへわたすことあたはずして、いとくちをしく思ひわたれば、友だちにも此事つねにかたりけるに、おのがをしへの子に、遠江ノ国ふちの郡細田村の人、石塚ノ竜麻呂なん、この事に心おこして、古書どもを、あまねくくはしくかむかへわたして、此ちかきほど、古言清濁考といふふみをあらはしたりける、此考によりて見れば、おのれさきにあらはしたりつる、神代正語などにも、なほまれゝゝには、かむかへ及ばざりしこともある也、いにしへまなびせむともがらは、此清濁考、かならず見べき書ぞかし、

六の巻 からあゐ

六十 玉あられ

宣長ちかきころ玉あられといふ書をかきて、近き世にあまねく誤りならへることどもをあげて、うひ学のともがらをさとせるを、のりながゞをしへ子として、何事も宣長が言にしたがふともがらの、其後の此ごろの歌文に、此書に出せる事どもを、なほ誤ることのおほかるは、いかなるひがことぞや、此書用ひぬよそ人は、いふべきかぎりにあらざるを、それだに心さときは、うはべこそ用ひざるかほつくれ、げにとおぼゆるふしゞゝは、たちまちにさとりて、ひそかに改むるたぐひもあるを、ましてのりながゝ教をよしとて、したがひながら、改めざるは、此ふみよみても、心にとまらず、やがてわすれたるにて、そはもとより心にしまず、なほざりに思へるから也、つねに心にしめたるすぢは、一たび聞ては、しかたちまちにわするゝ物にはあらざるを、よそ人の思はむ心も、はづかしからずや、これは玉あられのみにもあらず、何(イヅ)れの書見むも、おなじことぞかし、

六一 かなづかひ

仮字づかひは、近き世明らかになりて、古ヘ学ビするかぎりの人は、心すめれば、をさゝゝあやまることなきを、宣長が弟子(ヲシヘコ)共の、つねに歌かきつらねて見するを見るに、誤リのみ多かるは、又いかにぞや、抑てにをはのとゝのへなどは、うひまなびの力及ばぬふしある物なれば、あやまるも、つみゆるさるゝを、かなづかひは、今は正濫抄もしは古言梯などをだに見ば、むげに物しらぬわらはべも、いとよくわきまふべきわざなるを、猶とりはづして、書キひがむるは、かへすかへすいかにぞや、これはた心とゞめず、又ひたぶるにまなびおやにすがりて、たがへらむは、直さるべしと、思ひおこたりて、おのが力いれざるからのわざにしあれば、かつはにくゝさへぞおぼゆる、しか人にのみすがりたらんには、つひにかなづかひをば、しるよなくてぞやみぬべかりける、さればいゐ えゑ おを、又はひふへほ わゐうゑを又しち すつの濁音(ニゴリコヱ)など、いさゝかもうたがはしくおぼえむ仮字は、わづらはしくとも、それしるせるふみを、かゝむたびごとにひらき見て、たしかにうかべずは、やむべきにあらず、何わざも、おのがちからをいれずては、しうることかたかンべきわざぞ、人の子の、としたくるまで、おやのてはなるゝことしらざらむは、いとゝゝいふかひなからじやは、

七の巻 ふぢなみ

● 物かくに心すべき事

歌など、又さらぬことも、物かくに心得べきことどもあり、あれば、ゆけば、きけば、さけば、ちれば、などいふたぐひの言を、たれも、有ば、行ば、聞ば、咲ば、散ば、と書ク事なれども、しか書ては、あるはとも、あらばともよまれ、其外もそのでうにて、まぎるゝ故に、語の意しらぬ人は、よみ誤りて、寫すとては、ゆけばなるを、ゆくはとも、ゆかばとも、假字にもかきなす事有リ、さればかくたがひによみまがふべき言は、みな假字にかくべきわざ也、又霞契などを、用言に、かすみけり、かすむ月、ちぎらぬ、ちぎる言の葉、などやうにいふを霞けり、霞月、契ぬ、契言の葉、などかくはわろし、用言にいふ時は霞みけり、霞む月、契らぬ、契る言の葉、などやうに、はたらくもじをそへて書クべし、すべてかく體と用とにつかふ詞は、用の時は、はたらくもじを添てかゝざれば、まぎるゝこと有也、はたらくもじとは、霞まん、霞み、霞む、霞めの、まみむめのたぐひ也、

八の巻 萩の下葉

二六 けだしといふことば

からぶみに、蓋(ケダシ)といへる字は、おほかた、物をおしはかりて、さだめたるところにおけるやうに見ゆるを、万葉集に、此ことばのをりをりあるを考ふれば、からぶみなるとは、意もいひざまも、やゝかはりて、もしかくもあらむか、といふところにつかひたり、二の巻に、「いにしへにこふらむ鳥はほとゝぎすけだしや鳴しわがこふるごと、すべても聞えにくきやうなれど、これは、郭公は、いにしへを恋る鳥といふなれば、今鳴つるも、もしはわがごとくに、古ヘをこひてなきたるにやあらん、といふ意也、三の巻に、山守はけだし有ともとあるは、もし山守は有とも也、同巻に、けだしあはむかもとあるは、もしあふこともあらんか也、四の巻に、けだしくもといへるは、もしも也、又けだし夢に見えきやとあるは、もしそれゆゑに夢に見えたるか也、又けだし門よりかへしなんかもは、もし門よりかへしやせんなり、集の中なる、いづれも、かくのごとく見て、聞ゆるなり、其中に、十九の巻に、けだしあへむかもとあるひとつは、すこしたがへるがごと聞ゆめれど、意は、たへてあられむか、もしはえたへざらんか、といへる也、あへは堪(タヘ)なり、

八一 中国

山陰道山陽道の国々を、中国といふこと、元慶二年二月三日の官符に、伏尋物情、陸奥出羽之(ノ)在絶遠、尚限五年、因幡出雲之(ノ)居中国、何得六年とあり、類聚三代格にのれり、

九の巻 花の雪

三九 つねに異なる字音のことば

字音(モジゴヱ)の言の、むかしよりいひなれたるに、常の音とことなる多し、周礼をしゆらい、檀弓をだんぐう、淮南子をゑなんじ、玉篇をごくへん、鄭玄をぢやうげん、孔頴達をくえうだつといふたぐひは、呉音なれば、こともなし、越王句践をゑつとうこうせんとよむは、たゞ引きつめていふ也、子昂をすがうといふは、扇子銀子鑵子などのたぐひにて、これもと唐音(カラコヱ)なるべし、子ノ字今の唐音にては、つうと呼(イフ)なれど、すといふは、宋元などのころの音にぞありけむ、又天子の物へ行幸の時、さきゞゝにて、おはします所を、行在所といふを、あんざいしよとよむは、此とき別(コト)にあんの音になるにはあらず、行燈(アンドン)行脚(アンギヤ)などいふあんと同じことにて、これもむかしの唐音なるべし、今の唐音は、平声の時も、去声の時も、いんといへり、又もろこしの国の、明の代の明を、みんと呼(イフ)も、唐音也、今の代の清を、しんといふは、唐音の訛也、清ノ字の唐音は、ついんと呼(イヘ)り、又明の代のとぢめに、鄭成功といひし人を、国姓爺と称(イ)ふ、この姓ノ字を、せんといふも、唐音にすいんといふを訛れる也、さてこの国姓爺といふ称(ナ)は、国姓とは、当時(ソノトキ)の王の姓をいひて、此人、明の姓を賜はれるよし也、爺は、某(ナニ)老某(ナニ)丈などいふ、老丈のたぐひにて、たふとめる称(ナ)也、ちかき代かの国にて、ことによくつかふもじ也、こは筆のついでにいへり、

十の巻 山菅

二五 はじめを濁る詞

言のはじめを濁るも、まれゝゝにはあるは、蒲(ガマ) 石榴(ザクロ) 楚(ズワエ) 斑(ブチ) 紅粉(ベニ)などのごとし、これらふるき物にも見えたる詞也、後ノ世にこそ濁りていへ、古ヘはみな清(スミ)ていへりし也、此外にも猶有べし、皆同じこと也、蒲は、蒲生(カマフ)などいふ時は、今も清(スメ)り、ざくろは、石榴の字の音なるべし、されど六帖の題にもあり、芭(バ)蕉なども、古今集の物名に、はせをばとあるは、上のはもじ、古ヘは清てぞいひけむ、楚(ズワエ)は末枝(スワエ)也、末(スヱ)をすわといふは、声(コヱ)をこわづくりなどいふと同じ、斑(ブチ)は、神代紀にも、斑駒(フチゴマ)と見えたり、是をむちごまとも訓るは、古ヘはふを清(スメ)ることをしらずして、鞭(ムチ)をも俗(ヨ)にぶちといふにならひて、これをもむちなるべしと心得たる、おしあて也、紅粉(ベニ)は、和名抄に{赤凡粉(ヘニ)と見えたり、上の件の外に、げにといふ言は、現の字の音にて、後のこと也、場(バ)は、ふるくも大庭(オホバ) 馬場(ウマバ)などは見えたれど、たゞ場(バ)といへることは見えず、こはもとにはにて、大庭(オホバ)はおほには、馬場(ウマバ)はうまにはなるを、音便にばとはいひなせる也、又可(ベシ) 如(ゴトシ)などのたぐひは、上に言有てつゞく言なれば、ことゝゝ也、

十一の巻 さねかづら

四〇 三部神経といふ偽書の事

三部の神経といふものあり、天元神変神妙経、地元神通神妙経、人元神力神妙経これ也、みな天ノ児屋根ノ命の神宣なるを、後に北斗七元星宿真君降り来て、漢字にうつして、経とすと、或ものにいへり、むかしはかばかりつたなき事を造りいひても、世の人はあざむかれし也、その書はいまだ見ざれども、まづ題号のやう、からぶみ仏ぶみを、うらやみへつらひたるほど、いとをかし、神道者といふともがらの家には、かゝるをかしき書どもおほかるなり、

四一 旧事大成経といふ偽書の事

先代旧事本紀といふ偽書(イツハリブミ)七十二巻有リ、先代旧事大成経ともいふ、潮音といひし僧(ホウシ)、志摩ノ国の伊雑(イザハ)ノ宮の祠人某とあひはかりて、造れりしを、いつはり顕はれて、元和元年に、かの二人ともに、流罪になりて、此書ゑれる板も、焼(ヤキ)すてられにき、潮音は、黄檗といふ流(ナガレ)の禅ほうしなりしとぞ、

四三 上つ代にも一種の文字有けんといふ事

ちかきころ或書にいへるは、以理推之、上古必応有一種文字、不則其事莫由伝焉、蓋文史之(ノ)興、在履中天皇時乎、神武至履中、既歴数百載、其間政事沿革、至上下譜系、言語歌謡、既繁且多、況開闢以降、恐非口伝所堪矣、といへり、一わたりはたれもみな、然思ふべきことなれども、これはつねに文字をつかひならひて、万ヅの事を、それにゆだぬる世の心をもて思ふから也、文字なかりし世は、又さて事はたりて、思ひのほかなるものにぞ有けむ、さればもし上つ代の人に、此説をきかせたらむには、かへりてわらひぬべき也、

四九 仮字のさだ

源氏物語梅枝巻に、よろづの事、むかしにはおとりざまに、浅くなりゆく世の末なれど、かんなのみなむ、今の世は、いときはなくなりたる、ふるきあとは、さだまれるやうにはあれど、ひろきこゝろゆたかならず、一すぢに通ひてなむ有ける、たへにおかしきことは、とよりてこそ、書いづる人々有けれといへり、此ノかんなといへるは、いろは仮字のこと也、此かなは、空海ほうしの作れりといふを、万の事、はじめはうひゝゝしきを思ふに、これも、出来つるはじめのほどは、たゞ用ふるにたよりよきかたをのみことゝはして、その書キざまのよきあしきをいふことなどまでは及ばざりけんを、やうゝゝに世にひろくかきならひて、年をふるまゝに、書キざまのよさあしさをも、さだすることにはなれりけむを、源氏物語つくりしころは、此仮字出来て、まだいとしも遠からぬほどなりければ、げにやうゝゝにおかしくたへにかきいづる人のいでくべきころほひ也、

六三 ことば ことのは

言(コト)を、ことば又ことのはといふことは、古今集の序に見えたれど、万葉には、ことゝのみいひて、ことばといへるは、廿の巻なる東人の歌にたゞ一ツ、伊比之古度婆曾(イヒシコトバゾ)わすれかねつるとあるのみ也、但しこれは、婆ノ字は波を誤れるにて、波(ハ)もてにをはならむも知がたし、此集には、波曾(ハゾ)と重ねいへる例も、これかれあればなり、

十二の巻 山ぶき

三〇 のもじ添て書クまじき例

今の世学者(モノマナブヒト)、物かくに、のもじを書クまじきところに、添ヘて書クこと多し、たとへば国ノ名を某の国、人ノ名を某の君など書クのもじなり、かゝるたぐひはみな、某国某君と書て、のは読ミ付クべき例なるを書キ添ヘたるは、こちなくかたはに見ゆるわざぞかし、但しやまとの国げんじの君などやうに、仮字にかく時は、のもじかならず書クべし、こののもじの例、たとへば在原ノ業平ノ朝臣、ありはらの業平ノ朝臣、在原ノなりひらの朝臣、かくのごとし、これにて書クべきと、かゝで読ミ付クべきとのけぢめをわきまふべし、さるを今の世の人は、大かたのもじを読ミつくることをしらで、のもじかきたらぬをば、のとはよまぬたぐひおほかる故に、そこを思ひて、かくまじきところにも、かくなめり、又古学のともがらなどは、殊に万葉集の歌の書キざまにならひて、歌ならぬ事も、書キざまみだりなることおほし、かの集の歌をかけるやうは、歌ならぬ物かくのりには、とりがたきことのみ多きぞかし、

三一 俗言(サトビゴト)にはのといふべきをはぶくことある事

今の俗言(ヨノコト)には、のといふべきを、省きていはざるたぐひ多し、国々の郡ノ名村ノ名など、古ヘはかならず、なにの郡又なにの村とこそいへるに、今はなべて、なにごほりなにむらとのみいひて、のといふことなし、又ふぢはらの某(ナニガシ)、みなもとの某などは、今ものといへども、いはゆる称号苗字には、のを附ることなし、うちとけごとには、まれにつけていふことあれど、そをばかへりて正しからぬことにすめり、されど雅(ミヤビ)ては、称号苗字にも、かならずのといふべきわざぞ、大かた言の葉のまなびせむ人は、かゝるいさゝかのふしにも、心をつけて、雅(ミヤビ)と俗(サトビ)とのけぢめを、わきまへしるべきわざになむ、

七三 第五の音にはたらく言 得(ウ)のはたらき

もろゝゝの用言(ハタラキコトバ)、第一の音より第四の音までに活(ハタラ)きて、第五の音にはたらくは無きを、来(ク)の、許(コ)とも活(ハタラ)くのみ、第五の音なるは、いとめずらしきこと也、又もろゝゝの言の中に、阿行(アノクダリ)の音にて活(ハタラ)くはなきに、得(ウ)のみ、宇延(ウエ)と活(ハタラ)くは、阿(ア)の行リなる、これも又いとめづらし、

十三の巻 おもひ草

六 文字を添て書る例

同集に、雖干跡(ホセド)、将有裳(アラモ)、不知爾(シラニ)、これらの書ざま、下なる跡ノ字裳ノ字爾ノ字衍(アマ)れるがごとし、此例、続紀の宣命ノ詞、又菅家万葉などにも有リ、其外にも有しとおぼゆ、

十四の巻 つらゝゝ椿

八七 仮字

皇国の言を、古書どもに、漢文ざまにかけるは、仮字といふものなくして、せむかたなく止事を得ざる故なり、今はかなといふ物ありて、自由にかゝるゝに、それをすてゝ、不自由なる漢文をもて、かゝむとするは、いかなるひがこゝろえぞや、

八八 から国の詞つかひ

皇国の言語にくらぶれば、唐の言語はいとあらき物なり、たとへば罕言といふこと、皇国言にては、まれにいふといふと、いふことまれなりといふと、心ばへ異なり、まれにいふは、言(イフ)といふこと主となりて、罕ながらもいふことのあることなり、いふことまれなりは、罕といふこと主となりて、いふことのまれなるなり、他の言も此たぐひ多し、すべてのことみなかくの如し、

参考資料

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