二十世紀の国語 (棒引仮名遣)

公開 : 2006/07/07 © 平頭通

外堀も徐々に埋つて来たので、そろそろ中に分け入る事にします。二十世紀の丁度百年間は、日本語の書き言葉にとつて、受難の一世紀になりました。茲からは、其の様子を事実に基づいてお話して行きたいと思ひます。内容についての批判は、又、別途改めて公開する豫定です。

二十世紀の少し手前

十九世紀の末は、日本史で言ふ「文明開化」の時代です。米国から黒船がやつて来て、当時鎖国してゐた日本を開国させ、結果、欧米の文物が多量に其れこそ大雨が降る如くの勢ひで押寄せて来ました。鉄道や蒸気機関や医療等の最新技術や、数学や哲学や化学等の最先端の学問が一気に流入して来た訣です。此のやうな文物にドップリと浸かつてしまつた現代日本人には全く想像の出来ない心境で、当時の日本人は受止めてゐたのだらうと思ひます。

当然、「日本は此の侭ではいけない、早く欧米に追附かねば」と考へる人々も現れて来るのも道理でせう。さう言つた人々の中に表音主義者もゐたのです。表音主義者は、欧米の言語表記が押並べて表音文字を使用してゐる点に着目して、日本語も表音文字で表記するやうになれば欧米のやうな先進国になれるのだと確信してをりました。其のやうな考への元、様々な結社を立て、明治の初期から日本語表記を表音化しようとしてゐたやうです。

さうして、明治33年(1900)、十九世紀最後の年に或る行動に移つたのです。

文部大臣の諮問

時の文部大臣は、新しい「小學校令」を施行する為、落合直文などの様々な国語学者に諮問し、案を出させました。其の答申は誠に表音的な内容であつたらしく、其の結果、「棒引仮名遣」と呼ばれる「小學校令施行規則」が出来上りました。

国語と云ふ言葉

日本には其れ迄、「国語」と云ふ教科が在りませんでした。明治33年以前は、「読書」「作文」「習字」の三教科に分離してゐました。明治33年8月「小學校令施行規則」が施行され、初めて「国語」と呼ばれる教科が誕生しました。当然、教科としての国語は現在も引継がれてをります。国語の教科の内容については、「小學校令施行規則」の第三条を確認すれば解ると思ひますが、其れ迄の「読書」「作文」「習字」の教科を一つに統合したやうな感じに定義されてゐます。事実上、国語の歴史は茲から始ります。

仮名字体を決定

仮名は、従来固定された字体を持たず、色々な漢字の音訓を借りて表記させてゐました。漢語に使ふ漢字と区別する為に草体に崩して表記するのが一般的だつたやうです。又、カタカナの場合は、現在の字体以外に「子(ネ)」や「井(ヰ)」や「コト」「トキ」「トモ」などの合字も多用されてゐました。ですが、同じ仮名に複数の書き方が在るのは、読む側にとつては負担になります。試しに当時の文章を取寄せて読んでみて下さい。直ぐ納得できると思ひます。此のやうな状況が、明治33年以降ガラッと変ります。

事の起りは「小學校令施行規則」の第十六条と其れに附随する第一号表で記載するひらがなとカタカナの一覧にあります。此の規定で初めて仮名の字体が確定された訣です。其の後、先づは印刷業界の活字から表外字とされた変体仮名が消えて行きました。結構早い勢ひだつたやうです。又、元が文部省令ですから、教育現場からも変体仮名は消えて行きました。もう当時の教科書にも変体仮名は在りません。仮名については此の時になつて初めて正しい字体の概念が確立しました。

結果的に此の状況は、規定自体は廃止されてゐますが、現在迄ずつと続いてをります。一往、変体仮名の字母を一覧にした「変体仮名字源一覧」を作つておきましたので参考にして下さい。

棒引仮名遣

本題に移ります。「小學校令施行規則」の第十六条と第二号表の規定が「棒引仮名遣」と呼ばれてゐるものです。此の規定は、漢字の字音に限定して其の表記を改変する事を目的としてをります。当然、文部省令ですから教育現場のみでの話ですが、社会的な動揺のやうな反応が現れたやうです。其れ迄に使はれた実績の無い表記が、小学校の教室で突然現れたのです。推して知るべしです。

特徴は、長音記号に「ー」が採用された点にあります。内容はと言ふと、従来の字音仮名遣として、「にやう」「ねふ」「びよう」等、なんだかよく解らない字音のやうなものが在るかと思へば、「きゆう(宮)」「しゆう(衆)」「ちゆう(虫)」等、実際に存在する筈の字音が洩れてゐたりと、見た目とは裏腹にあまり整理はされてはゐなかつたやうです。と言つて、和語の仮名遣は従来通りと云ふ訣で、「今日」は「けふ」、「教(けう)」は「きょー」となつて不統一が否めません。参考迄に、当時の『修身教典』から「棒引仮名遣」の実例を引用してみませう。「げんじろー」と「てっぽー」と「いさましい」と三つの語に注目して下さい。

しらかみげんじろーは、いさましいらっぱそつでありました。
げんじろーは、てっぽーのたまにうたれても、いきがきれるまでらっぱをふいてゐました。

特に「棒引仮名遣」の特徴とも言ふべき長音記号の「ー」は顰蹙ものだつたやうです。其のやうな社会的不安に対処するべく、明治41年「臨時假名遣調査委員會官制」を立上げました。成行きは後程。

初めての漢字制限

小學校令施行規則」の第十六条と第三号表の規定は、小学校で教へるべき漢字を一覧にした文字集合です。字数を数へたら、丁度1200字在りました。一往、各々の漢字の楷書と行書とを教授する事が求められてゐました。此の規定自体は、飽く迄も小学校での授業で教へる為の漢字を集めたものと云ふ事で、世間ではあまり注目されてはゐなかつたやうです。

ですが、此の規定が日本で初めて行はれた漢字制限の実物である事は、茲で強調しておきます。

文部省訓令

讀書、作文、習字ノ如キ之ヲ合セテ國語ノ一科目トセラレタリ」は、初めて国語が教科として出来た件、「假名ノ字體竝ニ字音假名遣ノ例ヲ示シ以テ兒童ヲシテ簡便ニ實際ノ應用ニ資シ易カラシメンコトヲ期シ」は、仮名字体の統一と、新定字音仮名遣の件、「尋常小學校ニ於テ教授ニ用フル漢字ノ數ヲ凡ソ千二百字内外ニ於テ選用スルコトヽセリ」は、漢字制限実施の件になります。

纏め

日本も二十世紀に這入つて「国語」と云ふ新しい教科が誕生しました。仮名の字体も統一されました。併し、「棒引仮名遣」が出現してしまひました。果して此の後どうなる事でせう。

参考資料

関聯頁

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