二十世紀の国語 (國語調査委員會)

公開 : 2006/07/12 © 平頭通

新たに国語の教科を規定した当時の文部省は、「國語調査委員會」と云ふ組織を立上げました。

國語調査委員會官制

明治33年4月、先づ文部省は「郵便の父」として一円切手の意匠にも残る前島密などに対し、国語調査委員を委嘱しました。そして「棒引仮名遣」を、小學校令施行規則で制定して二年後の明治35年3月、「國語調査委員會官制」を立上げました。前島密を始め、国語辞書『言海』の著作で知られる大槻文彦なども委員の名に列ねられてゐます。

立上げ当時は、其の方針も決つてはゐなかつたやうですが、九回の会議を重ね、此の委員会の調査方針が打立てられました。

國語調査委員會の調査方針

茲は重要ですので、少し詳しくお話し致します。明治35年7月、國語調査委員會の調査方針が「官報」で告知されました。主な内容は以下の通りです。

  1. 文字ハ音韻文字(「フォノグラム」)ヲ採用スルコトヽシ假名羅馬字等ノ得失ヲ調査スルコト
  2. 文章ハ言文一致體ヲ採用スルコトヽシ是ニ關スル調査ヲ爲スコト
  3. 國語ノ音韻組織ヲ調査スルコト
  4. 方言ヲ調査シテ標準語ヲ選定スルコト

国語改革に反対する立場の人達が書く書物にも大概以上に示す四行は引用されてをります。「フォノグラム」と云ふ語もよくは解りませんが、茲で言ふ「音韻文字」を今様に表現すれば、表音文字の事を言ひます。國語調査委員會は、文部省の外郭団体の一つなのですが、此の第一に掲げられた調査方針は、国語と云ふ教科を超えて、日本語の表記に対して表音文字を採用すると宣言してしまつたのです。其の前提の下で、カナモジがいいか羅馬字(ローマ字)がいいか等と調査する事となつてゐたのです。

明治35年当時の日本語の表記の事情を勘案すると、表記は江戸時代から慣用されてゐる「漢字仮名交じり文」が主体で、変体仮名はそろそろ使用されなくなつて来たかと云ふ処です。文体は、漢文訓読調などの文語文や言文一致の口語文や書簡に使ふ候文が主体となつてゐた訣です。之等は全て「漢字仮名交じり文」で表記されてゐるのですが、國語調査委員會はかう言つた世間の現状を無視して「文字ハ音韻文字(「フォノグラム」)ヲ採用スルコト」と決め附けて、世間で広く使用されてゐる漢字の事を切捨ててしまつたのです。此の調査方針が今後の国語政策に強く影響を与へる事になります。

後の三つの調査方針では、「言文一致体の採用」は日本語の表記を表音化する事が前提にあるのならば、当然の帰結になります。日本語の文章は、口語文と文語文が在りますが、「当用漢字」と「現代かなづかい」の制定により、文語文の使用は急激に廃れました。方言の調査の件は、表音主義としては避けては通れない問題の一つでせう。「か」と「くわ」の発音の区別等は其の代表格です。表音化するのならば、何方を採用するか悩ましい処でせう。又、当時は標準語(最近では共通語と呼ぶ)も確定してはをりませんでした。ですが、方針としては東京の山の手言葉を基準にして標準語を作らうと考へてゐたやうです。

扨、以上のやうな調査方針に加へ、「目下ノ急ニ應センカタメ」と称して、以下の六つの調査項目を立ててゐます。

  1. 漢字節減ニ就キテ
  2. 現行普通文體ノ整理ニ就キテ
  3. 書簡文其他日常慣用スル特殊ノ文體ニ就キテ
  4. 國語假名遣ニ就キテ
  5. 字音假名遣ニ就キテ
  6. 外國語ノ寫シ方ニ就キテ

第一に「漢字の節減」を掲げてゐます。詰り「漢字制限」の事を言つてゐる訣ですが、方向性としては節減に節減を重ねて最終的には漢字廃止して、カナモジか羅馬字の表記で日本語の文章を書かうと云ふ訣です。一気には出来ないから、漢字を徐々に減らして行かうとしてゐたのです。第二と第三は文語文や候文から口語文主体の表記に変へて行かうと云ふ事です。第四と第五は、仮名遣を改変して表音的な表記にしてしまはうと云ふ事です。

以上のやうな事が、國語調査委員會の調査方針として打立てられました。内容を整理すると基本方針の第一から解る通り、国語表記の表音化を狙つてゐるのが一目瞭然です。結局、國語調査委員會は表音主義者の集りであつたのです。今後、此のやうな公的組織により、日本語の表記が弄られ続ける事になります。

上田万年(上田萬年)

「うへだ かずとし」と言ひます。此の人は明治33年の國語調査委員からの委員で、我が国の国語政策の初期に名を列ねる表音主義者の代表的人物の一人です。若い時分に独逸留学で洋行し、当時の西欧の技術的発展を目の当りにして非常な衝撃を受けてしまつたせゐで、日本に帰つて来た時には強硬な表音主義者になつてゐたやうです。

「晩年、自身の国語国字改良論を撤回した」と云ふ噂がありますが、確証が取れてをりません。

文部官僚の意見

仮名遣に関する文部大臣からの諮問に併せて、文部次官が國語調査委員會の席に顔を出したやうです。次官は文部大臣の代理として其の席で以下のやうな発言をしてゐます。

明治三十三年八月小學教育ニ於ケル新定字音假名遣法制定以來教育者間ニ於テハ國語假名遣ニモ字音假名遣ノ如ク學習ニ困難ナルモノ多キノミナラス字音假名遣ノミ發音的ニシテ國語假名遣ノミ全然舊來ノ假名遣ヲ墨守スルコト教育上不便ナレハ國語假名遣ニ關シテモ何分ノ改正ヲ加ヘタシトハ教育社會一般ノ希望ナルカ如ク

上の引用では、「字音仮名遣だけ改定しても国語の仮名遣が変りなけりや難しい侭だらう。国語の仮名遣も字音仮名遣のやうに変へてしまへ」と云ふやうな趣旨の話をしてゐます。まあ、後は国定教科書の編纂絡みの話で、「期日が迫つてゐるから早くしろ」と云ふ意味なのだと読めます。結局、文部省も国語改革の推進派な訣です。

國語調査委員會の成果

「漢字省減案」や「字音表記法」など、国語表記の表音化を見据ゑたものから、現状の国語表記の歴史を辿るやうな成果まで色々と在りました。中でも私自身が興味があるのは以下の成果です。

國語調査委員會の廃止

大正2年6月、國語調査委員會は廃止されました。当時の「官報」や『大正年間 法令全書』を確認すると、其の外にも数多くの官制に基づく委員会などが廃止になつてをりますので、当時行政改革に依る大規模な組織再編が行はれた模様です。其のやうな大きな波を受けての廃止でした。

纏め

カナモジ派や羅馬字派等の表音主義者を結集させて「國語調査委員會」を立上げ、文部省が其の後押しをする構図が見えて来ます。不幸にも国語政策は此の時以降、漢字廃止から表音化への方針が打立てられてしまつたのです。

次回は、「棒引仮名遣」の其の後です。

参考資料

関聯頁

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二十世紀の国語 (棒引仮名遣)
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