少し言はせて呉れ

公開 : 2009/03/01 © 平頭通

なんか、俺がこんな文章書くのはをかしいと思ふんだけど、どうも傍から見てゐて書かずにはゐられないんで、一往参考迄に書いて置く事にした。多分誤解してゐる面とかもあるかも知れないけど、其処は御容赦願ひたい。と先に留保入れておく。

今回件で、あれを見てゐて、アンチの連中は野嵜さんの事をよく見てゐるなと思つて感心してしまつたんですよね。でさ、普段アンチの連中は野嵜さんの鼻を飽かしてやらうと天蚕糸ね引いて今か今かと待構へてゐるんですよ。凄い事だと思ふんですよね。でね、どうして今回のやうな事が出来たのかつてのを考へると、どうも普段から闇黒日記とかの野嵜さんの書いた文章を読んでゐて、どう云ふ点に興味が有るのかとか、どう云ふ話題を出せば乗つて来るのかとか、ちやんと分析してポイントを掴んで話を作つてゐるんですよね。ピンポイントでロックオンしてバシッと仕留めた。恐るべき事ですが、結果を見るとどうもさうとしか思へない。

多分ね、昔に野嵜さんと何かの件で論争になつてコテンパンにやつつけられた人達がさ、今のアンチになつて活動してゐるんだと思ふんだよね。ぢやなきやさ、何でいつも野嵜さんが俎上に上がるのか解からない。でね、最初に野嵜さんにやつつけられた時に、自分が提示した論理に矛盾があつたんだらうけど、其れをさ、自分自身の人格が否定されちまつたんだと勘違ひして怨みに思ふ。ほら、人間つてさ感情の生き物ぢやないですか。だから、凄く悔しいと思つて、次には何とかアイツをやつつけたいつて思ふものぢやないですか。でさ、正攻法は無理なのはアンチも理解してゐるんでせうから、レッテル貼りとか、尤もらしい嘘とか書き連ねて相手を罠に落さうと画策するんだらうね。本当は其れぢやいけないんだよ。でも、自分の感情が命令しちやつてゐるもんだから止められない。其処まで追ひ詰められちまつてゐるんだらう。もう心に蓋閉めちまつてゐるんだらうから、こんな事自覚すら出来ないんだらうけどな。

日本人つてさ良くも悪くも批判慣れしてゐない。だからこんな事が起きちまふ。残念な事だけど、之は今の日本の現実だな。

俺はさ、野嵜さんずうつと見て来たから言へるけど、野嵜さんは他人の人格を否定するやうな事はしないよ。さう云ふ人格を評する言葉を使ふ時も必ず理由を述べてから使つてゐるよ。其れにさ、野嵜さんはいつも論争相手と対等の立場で論じてゐるんだよ。だけどさ、売り言葉に買ひ言葉で結局話がグダグダになつて、挙げ句にアンチだもんなあ。野嵜さんは本当は論理と論理とをぶつけ合ふ論争をしたいんだと思ふんだ。だけど、俺が今まで見てゐた限りいつも裏切られてばかりゐた。悲しい事だけど。

後、福田さんの話ね。福田さんはさ、世の中が「右」と「左」とに単純に二分するやうな風潮に疑問を呈してゐた筈。だから、世間一般には福田さんは「右」だと思はれてゐたんだらうけど、実際の福田さんは「右派」の誰かを批判したり、「左派」の宮沢氏だつたかの論を持上げてみたりもしてゐたと記憶する。記憶違ひだつたら御免。福田さんはね、「右」だ「左」だの単純二分法ぢやなくて、人は十人十色、人の論は確り聞いて批判すべきは批判し、称揚すべきは称揚してやるのが正しいと思つて実践してゐたんぢやないかな。ぢやなけりやあんな事できないよ。翻つて現代はもう「右」だ「左」だなんて関係ないと思ふ人もゐるかも知れないけど、阿弗利加の飢餓問題とチベット問題との取上げられ方を指摘する丈で十分でせう。本質は全然変つちやゐない。

正字正かなの界隈の人達は生真面目な人が多いよね。今回の件は見て見ぬ振りをしたつて言ふより、アンチが恐かつたから出て来辛かつたんぢやないかな。俺も其の内の一人んなつちまふけど、其処の処は問はないでやつて呉れ。頼む。

此処で締め。徳保さんは徳保さんなりに野嵜さんを思つて空気嫁つて「おせっかい」したんだと思ふ。其れは其れ自体有難い事だと思ふ。だけど、多分徳保さんも野嵜さんがすんなり自分の提案を受入れて呉れるとは思つてゐなかつただらうと思ふ。でも本人に読んで貰へたんだから第一の目的は達成してゐるんだよね。だから、俺からもお節介しとくわ。或る話題があつて其れに乗るか乗らないかつてのは非常に恣意的な選択です。で其の話題に附いて批判するか称揚するかは何を正しいとするかによつて変化します。批判ばかりしてゐては相手は「糞ッ莫迦にしやがつて」てなつて今回のやうな不幸の連鎖に繋がります。だから、先に恣意的と言つた部分を意識的になつて称揚するやうな内容を引いて来て評して行くのも一つの手ではないかと思ふんです。其れならば福田さんの取つた行動とも整合する筈です。単なるお節介だから聞くか蹴るかはそちらに任す。

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