反論「現代仮名遣い」

公開 : 2006/11/04 ; 改訂 : 2006/11/06 © 平頭通

茲では、「現代仮名遣い」や其の改定前の「現代かなづかい」に対する批判を展開してみたいと思ひます。場合に依つては、少々過激な表現を使用しますので、豫め断つておきます。

基本原則に対する疑義

「現代仮名遣い」の基本原則は、「前書き1」に「語を現代語の音韻に従つて書き表すことを原則とし, 一方, 表記の慣習を尊重して一定の特例を設けるものである」と明記されてあります。「現代語の音韻」を書き表して欲しいとし乍も、「表記の慣習」を特例として持出して来てゐる処に矛盾があります。

又、改定前の「現代かなづかい」の「前書き」では、「大体、現代語音にもとづいて、現代語をかなで書きあらわす場合の準則を示したものである」とされ、「現代仮名遣い」で「表記の慣習」とされてゐる部分が「大体」の一語で片附けられてしまつてゐます。適当です。

本来、「現代語の音韻」を書き表すとすれば、「じ」「ぢ」「ず」「づ」の四つ仮名の書き分けはありませんし、助詞の「は」「へ」「を」は、音韻の通りに書けば済む話です。其処に「特例」が効いて来ます。

四つ仮名の書き分け

実際の「現代仮名遣い」では、四つ仮名の書き分けを行つてゐます。第一に「同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」」、之は「ちぢみ(縮)」「ちぢむ」「ちぢれる」「ちぢこまる」「つづみ(鼓)」「つづら」「つづく(続)」「つづめる(約)」「つづる(綴)」などの語が該当するのですが、同様の条件である筈の「いちじく」「いちじるしい」は何故か除外されてゐます。結局「同音の連呼」と言つても、全てが其の条件に当て嵌められる訣ではないのです。詰り、一語一語の仮名遣を憶えないと「現代語の音韻」が判つてゐても書けないのです。

第二に「二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」」、之は、「はなぢ(鼻血)」や「こづつみ(小包)」のやうな「ち(血)」や「つつみ(包)」など、元々清音だつた語が複合語になつた場合に連濁の現象を起す語を対象にしてゐるやうです。ですが、之も同じ「二語の連合」の語でも「つまずく」や「いなずま」は「ず」を遣ふのが本則となつてをります。本来、爪突くだから「つまづく」、稲妻だから「いなづま」なのですが、「「づ」を用いて書くこともできる」と云ふオマケ扱ひで済まされてしまつてゐます。此の「オマケ仮名遣」ですが、例に引かれてゐる語は全て本来の仮名遣では「づ」の仮名を遣ひます。更に酷い事に「むつかしい」とも読まれる「難」は、「むずかしい」とされるのですが、此の語は「二語の連合」ではない為、オマケ扱ひすらされてはゐません。

第三に、「漢字の音読みでもともと濁っているものであって, 上記(1),(2)のいずれにもあたらず, 「じ」「ず」を用いて書く」、之は「じ(地)」や「ず(図)」の字音の事を言ふのですが、外にも色々在るやうです。連濁の関連で、「ちゃ(茶)」は「二語の連合」を適用して「ぢゃ」になり、「ちゅう(中)」は本則が「じゅう」オマケで「ぢゅう」と、もう無茶苦茶です。「付表」に至つては、盆提灯の「提」と、一本調子の「調」とが「ぢょう」とされ、「二語の連合」として扱はれてゐます。

結局、四つ仮名の書き分けは、「現代語の音韻」丈では書き分けが出来ません。若し音韻に従つて書き表すのであれば「じ」と「ず」の仮名丈で十分です。又、どうしても書き分けなければならないのであれば、確りとした根拠を提示できる仮名遣を遣つたはうが幾らか増しです。第一が説明し切れず、第二には「オマケ仮名遣」が在るなんて、どうしやうもないと思ひませんか。「ぬのじ(布地)」や「きじ(生地)」では、「二語の連合」扱ひ出来ない事を巧く説明できますか。

助詞の「は」「へ」「を」

「現代仮名遣い」の原則に従つて書けば、助詞と雖も、「わ」「え」「お」とならなければなりませんが、特例の適用に依り「は」「へ」「を」と表記されます。

助詞の「は」の場合は、「助詞の「は」は, 「は」と書く」とされてをります。「現代仮名遣い」では「わ」と書く事は出来ません。改定前の「現代かなづかい」では、「たゞし助詞のはは、はと書くことを本則とする」とされてゐるので、発音通り「わ」と書いても必ずしも間違ひではありませんでした。

助詞の「へ」の場合は、「助詞の「へ」は, 「へ」と書く」とされてをります。「現代仮名遣い」では「え」と書く事は出来ません。改定前の「現代かなづかい」では、「たゞし助詞のへは、へと書くことを本則とする」とされてゐるので、発音通り「え」と書いても必ずしも間違ひではありませんでした。

助詞の「を」の場合は、「助詞の「を」は, 「を」と書く」とされてをります。「現代仮名遣い」では「お」と書く事は出来ません。改定前の「現代かなづかい」でも、「ゐ、ゑ、をはい、え、おと書く。たゞし助詞のをを除く」とされてゐるので、発音通り「お」と書く事は出来ませんでした。当初から「を」の仮名には「お」の音価と助詞としての機能とを担はせてゐた事になります。

繰返しますが、「現代語の音韻」で表記させるのであれば、助詞は「わ」「え」「お」になります。改定前の「現代かなづかい」では「わ」「え」の表記は可能でしたが、助詞の「を」を「お」で表記する事は出来ませんでした。恐らく接頭語の「お(御)」との混同を避ける意味合があつたのでせう。「現代仮名遣い」では、助詞は「は」「へ」「を」で表記する事が規定されてゐます。併し乍、同じ助詞でも「さへ」は表音的な表記に改変されて、「さえ」と書く事にされてゐます。助詞だから「表記の慣習」の特例が採用される訣ではないのが不思議です。

因みに、助詞の「は」「へ」「を」は、本来の仮名遣其の侭の表記です。「表記の慣習」等と適当な説明をしてゐますが、盗人猛々しいとは正に此の事です。

長音表記の「う」

ウ列の長音と、オ列の長音を表記する場合は、「現代仮名遣い」ではウ列又はオ列の仮名に「う」を添へます。例へば、「よ」の長音は「よう」と書く感じになります。

元々、字音仮名遣の撥音表記に「ん」と「う」が在りました。が、時代が経ると共に撥音表記の「う」が、ウ列やオ列の長音に発音されるやうになりました。其のやうな経緯が在つた後に、「現代かなづかい」の制定で長音表記の「う」が決定的になつてしまつたと云ふ事情が在ります。従つて、「現代仮名遣い」で長音に発音される「う」の表記は、厳密には本来の「う」"u"の音価を書き表してはゐないのだと理解する必要が在ります。

逆にウ列の長音やオ列の長音に発音される「う」を一般の人はどう発音してゐるのかを考へるに、仮名の一文字一文字を音価の通りに発音する人もゐれば、長音として発音する人もゐる、又、オ列の仮名に添へられた「う」であれば「う」の表記の部分を「オ」と発音してゐる人もゐるかも知れません。ですが、聞く側を考へると、例へば「こう」を「こー」と聞いても「こお」と聞いても「こう」と聞いても「こ〜」と聞いても全て同じ語(概念)として認識されてゐます。之が日本語の特徴の一つになつてゐます。

同じ語(概念)を複数の発音で表現できる、其の点に日本語の多様性があるとも言へますが、「現代語の音韻」を書き表す事を原則とする「現代仮名遣い」にあつては、此のやうな多様性は無用な書き分けと判断されたやうです。「こう」「こー」「こお」「こ〜」は全て「こう」に統合されてしまひました。然も、何故「こう」の表記でなければならないのかの説明がありません。

結果的に「こー」や「こお」や「こ〜」等、(「おう」「そう」「とう」「のう」「ほう」「もう」「よう」「ろう」等でも本質に変りなし)と思つて発音してゐた人々は、不本意乍、「こう」と云ふ表記を使用せねばならなくなりました。幾ら「現代語の音韻」を書き表してゐると言つても、其処まで徹底してはゐないと云ふ話です。

又、表記が違へば語が違ふのではないかと思ふのが人情です。「こー」と「こお」と「こ〜」との表記の間に語の違ひや意味の違ひ(其の他ニュアンスの違ひ等)の存在を感じ取るやうな人がゐた場合に、表音主義者から適切な解答は得られる事は無いでせう。唯単に、「其のやうに発音してゐるから、さう表記してゐるに過ぎない」程度の答へしか聞けないと思ひます。「意味に相違が無いのなら、どうして書き分ける必要があるのか」、書き言葉と話し言葉を峻別する人なら当然疑問に思ふ筈ですが、表音主義者は其の疑問を疑問として認識できません。

以上纏めると、「現代仮名遣い」で「う」の表記が在つたとしても、必ずしもア行のウに発音されるとは限らないし、長音に発音される語を自分の感じた通りに表記させる事も叶ひはしません。当然、此んなのは特例とは言へません。

特殊な長音表記「お」

更にややこしい事にオ列の長音には、オ列の仮名に「お」を続けて書く場合も在るのです。「現代仮名遣い」では、以下に一覧にする語に限つて、長音表記の「お」を遣ひます。

「現代仮名遣い」に掲載されてある語群を一覧にしてみました。本来は、オ列の長音なので「オ列の仮名に「う」を添える」のが原則ですが、何故か「う」ではなしに「お」を添へてゐます。原則通りに書けないのが、上記に一覧にした語群です。原則が在るのに其れとは違ふ表記を定めてゐるのも如何なものかと思ひます。

此の表記には実は絡繰りがあります。「現代仮名遣い」ではかう説明してゐます。

これらは, 歴史的仮名遣いでオ列の仮名に「ほ」又は「を」が続くものであって, オ列の長音として発音されるか, オ・オ, コ・オのように発音されるかにかかわらず, オ列の仮名に「お」を添えて書くものである。

まあ、歴史的に考へれば、「とほる(通)」の「ほ」はオ列の仮名ですから、ウ列の仮名にはなり得ません。其処に「現代仮名遣い」の原則通りに「とうる」とされてしまつたら、「通る」と云ふ語の二音目に新たに「う」の音価を与へてしまふ結果になり、日本語としてあり得ない発音の語を作つてしまふ事になつてしまひます。其んな馬鹿な話もありません。さう言ふ事情で敢へて「お」を添へてゐるのかとも思ひます。

併し乍、結果的には、本来の仮名遣ではどう書かれてゐたのかを知つてゐないと、上記に一覧にした語がどのやうに仮名で書かれるのかが判りません。本来の仮名遣の書き方を知つて初めて「現代仮名遣い」の書き方を判断できるんであれば、態々仮名遣を変更する迄もない事です。

「新しい仮名遣は「ほ」や「を」が「お」になつて表音的になつた」等とは言へません。本来の仮名遣で、語中語尾に「ほ」や「を」を遣つてゐた語を引張り出して来て、「お」の仮名に塗替へた丈ですから、結果的には、本来の仮名遣(歴史的仮名遣)からの盗用である事に何ら変りはありません。盗んだ物の形を変形させても、盗んだと云ふ事実は消せません。

エ列の長音

「現代仮名遣い」では、エ列の長音について、以下のやうな規定になつてゐます。

エ列の仮名に「え」を添える。

例として「ねえさん」「ええ(応答の語)」が挙げられてゐます。「ああ成程、エ列の長音の表記は「え」を添へておけばいいんだな」と思つた其処のあなた、一寸待つて下さいよ。

身近にエ列の長音に発音される語は何か無いですか。「映画」はどうでせう。「エイガ」と発音してゐますか。「エーガ」と発音してゐますか。「政治」はどうでせう。「セイジ」と発音してゐますか。其れとも「セージ」と発音してゐますか。「警察」はどうでせう。「ケイサツ」ですか。「ケーサツ」ですか。もう幾らでも出せますよ。何方にせよエ列の長音に読まれる事はある訣なんです。之等の字音仮名遣を遣つた漢字熟語は、「現代仮名遣い」では「えい、けい、せい、てい、ねい、へい、めい、れい、げい、ぜい、でい、べい、ぺい」と書く事になつてゐます。規定もちやんと在ります。

次のような語は, エ列の長音に発音されるか, エイ, ケイなどのように発音されるかにかかわらず, エ列の仮名に「い」を添えて書く。

例も附けておきます。

「かれい」は鰈の事でせう。まあ、華麗でも加齢でも「現代仮名遣い」では同じ事です。「せい」は「背」でも背中ではなく、身長や背丈の意味です。二段目は四段動詞の連用形のイ音便に依る表記です。三段目は一文字の字音語、四段目は二文字の字音語です。本則よりも付記のはうが例が多いのは気のせゐですか。之では本則など在つて無きが如しです。結果的に、エ列の長音の表記として「え」を添へるべきか、「い」を添へるべきか、判断が困難になります。

「五段活用動詞」未然形オ段の怪

国語の文法には、「五段活用動詞」など無いのですが、「四段活用動詞」ならば在ります。

「五段活用動詞」と云ふ用語は、「現代仮名遣い」で動詞の未然形に意思推量の「う」を接続する際に現れる活用語尾の「こ、そ、と、の、お、も、ろ、ご、ぼ」の活用形を言ひます。例へば、「かく(書)」と云ふ語の場合は、「かかない、かこう、かきます、かく、かく時、かけば、かけ」となる具合ですが、其の中の「かこう」が該当します。「現代語の音韻」では、オ列の長音と認定されるので、原則通りにオ列の仮名に「う」を添へてゐる事になるのですが、結果的に四段活用の未然形がア段の仮名とオ段の仮名との二種類に増えた事になつてしまひます。

本来の仮名遣では、未然形の活用語尾はア段の仮名で書き表される約束になつてゐます。其の際、接続される意思推量の「う」は、文語で使用される意思推量の「む」がウ音便に変化したものです。「現代仮名遣い」では長音記号の一種として「う」を添へてゐる訣ですから、添へられた「う」を助動詞として説明するのには無理があります。

「連用形にも二つの活用形が在るんだから、未然形に二つの活用形が在つてもいいぢやないか」と言ふ反論が来さうですが、同じ「二つ」だから構はないとはなりません。連用形の場合には、音便現象で説明されます。例で示せば、連用形の「書き」は、過去完了の「た」を接続するとイ音便で表記して「書いた」となります。元々の文語表記は「書きたり」です。「き」を「イ」と読ませるのは不都合があるので、音便表記を採用してゐます。現在採用可能な音便表記は、撥音便、促音便、イ音便、ウ音便の四種類のみです。未然形で「オ段」になる活用形は、音便表記としてはどれにも該当しません。未知の音便表記を創作して新たな活用形とするなど、馬鹿げた話です。

抑々、「現代仮名遣い」では、未然形に接続される「う」を、オ列の長音と認識してゐる筈です。「こう、そう、とう、のう、おう、もう、ろう、ごう、ぼう」を一つの音韻と認識してゐるのですから、其の表記を文法解釈の為に二つに分断する事は出来ない筈です。態々分断してまで文法的に説明する必要はありません。

結論、「オ段の未然形」や「五段活用動詞」など存在しません。全ては幻です。

「言う」は「いう」でいいのか

「現代仮名遣い」には、「言う」について、以下のやうな特例規定が在ります。

動詞の「いう(言)」は, 「いう」と書く。

其の例には、「ものをいう(言)」「いうまでもない」「昔々あったという」「どういうふうに」「人というもの」「こういうわけ」が挙げられてゐます。「言」の訓は本来の仮名遣では「いふ」と書くハ行四段活用動詞で、語幹は「い」、活用語尾は「は、ひ、ふ、ふ、へ、へ」と変化します。「現代仮名遣い」でも語幹の「い」に変化は在りませんが、活用語尾は「わ、お、い、う、う、え、え」と、ワ行とア行との二つの行に跨つて活用する醜態を晒してゐます。

「ワ行とア行とに跨る活用」を、現在の国文法では、「ワア行五段活用」と呼ぶさうですが、意味不明です。「ワ行五段活用」が可ならば、「わ、を、ゐ、う、う、ゑ、ゑ」と活用してもいい筈ですが、其のやうな活用は不可です。逆に、「ア行五段活用」が可ならば、未然形に「あ」が現れても構はない事にもなるのですが、「現代語の音韻」を書き表す事を旨とする「現代仮名遣い」にあつては、「ア」と発音されないのに「あ」と書く訣には参りません。結果的に、動詞の活用形が崩壊して、文法が破壊された事になります。

又、語幹の「い」にも問題が在ります。本来の仮名遣で「言」の語幹が「い」になるのは当然として、「現代仮名遣い」でも語幹の破壊に迄は手を附けられなかつたやうで、語幹は「い」の侭です。ですが、茲で一寸考へてみて下さい。普段「言う」と云ふ言葉を発音する時、どう云ふ風に発音してゐるのかを。大概の人は「イウ」と二つの音で発音してゐるかも知れませんが、一寸気を許すと「ユウ」「ユー」「ユ〜」等と発音してゐる事もあると思ひます。之を「現代仮名遣い」の原則で表記すれば、「ゆう」となる筈です。が併し、「ゆう」とは書かずに「いう」と書けと規定されてゐます。活用形を破壊しておき乍、語幹は残す、意味不明です。

字音仮名遣には元々、「いう」と書いた漢字が在ります。代表的な処で「優・又・友・右・幽・悠・憂・有・猶・誘・遊・郵・酉」なんかが在りますが、此方は「言」のやうに「いう」とは書かず、「ゆう」と書くと規定されてゐます。元々「いふ」と書いた語が「いう」になつて、元々「いう」と書いた語が「ゆう」となる、誠に奇妙な法則です。因みに発音はどれも殆ど変らない筈です。をかしいと思ひませんか。

形容詞の語幹破壊

皆さんは「おはようございます」や「おめでとうございます」や「ありがとうございます」と云ふ言葉をよく御存じの事と思ひます。挨拶の言葉として広く定着してゐます。

「おはようございます」は、「お早う御座います」です。「早い」は「はやい」と書きます。「はやく」「はやき」「はやし」「はやい」「はやさ」等と遣はれる語で、語幹は「はや」です。が併し、「おはようございます」では何故か語幹が「はよ」になつてしまつてゐます。「はや」と「はよ」とは同じ語であると言へるんでせうか。

本来の仮名遣では、「おはやうございます」と書きます。文法的には「早し」の連体形「はやく」の「く」がウ音便に変化して「はやう」と書きます。語幹は崩れませんし、文法的にも巧く説明が出来ます。「現代仮名遣い」では、オ列の長音と判断して「はよう」としたみたいですが、結果的に語幹を破壊し、文法も破壊されてしまつてゐます。

「おめでとうございます」にしても同じ事です。「目出度い」は「めでたく」「めでたき」「めでたし」「めでたい」「めでたさ」と遣ひますから、語幹は「めでた」であり、「めでと」にはなりません。本来の仮名遣ならば、「目出度く」のウ音便で「めでたう」が正解です。同様の事は、「ありがとうございます」にも言へます。「有難く」のウ音便だから「ありがたう」が正解です。国文法の授業で「はよう」の「よう」や、「めでとう」「ありがとう」の「とう」を活用の一種として教へてゐる国語の先生がゐたら、其の人は大嘘吐きです。御注意下さい。

又、シク活用の形容詞の場合には、「たのしゅう(楽)」「うつくしゅう(美)」等、小書きの「ゅ」が餘計に挿入されます。本来の仮名遣では、「たのしう」「うつくしう」となり、「たのしく」や「うつくしく」のウ音便である事が判ります。「現代仮名遣い」では、文法を説明する時にどうするのでせうか。「ュウ音便」など聞いた事もありませんが。

「現代仮名遣い」は、「現代語の音韻」を書き表す事に性急で、国語本来の特質を無視してしまつた部分が多々在ります。「こおう(怖)」も「かろう(辛)」も「あたたこう(暖)」も「おおきゅう(大)」も、形容詞の語幹は破壊され捲つてゐますし、シク活用の形容詞では、活用形が破壊され捲つてゐます。

五十音図の破壊

五十音図は、日本語に使はれる仮名を、子音と母音の組合せの図に書き並べた物を言ひます。早い時期に仏教の学僧が作成し、宣長大人が「おを所属辨」で完成させました。本来、ワ行の仮名は、「わ・ゐ・う・ゑ・を」となります。

処が、「現代仮名遣い」では、「ゐ」を「い」、「ゑ」を「え」と書換へてしまつた為に、仮名の「ゐ」と「ゑ」とが全く遣はれなくなつてしまひました。辛うじて助詞の「を」が残された程度ですが、之とて特例であり、「現代語の音韻」で書き表せば、「お」になるのが道理です。ですので、「現代仮名遣い」制定後の五十音図は、ワ行に限つては「わ」と「を」しか在りません。「ゐ・う・ゑ」は必然的に虫食ひになります。

宣長大人が苦労して完成させた此の五十音図を、「現代仮名遣い」は簡単に破壊してしまつた訣です。之こそ憤りを禁じ得ません。

纏め

御覧のやうに、「現代仮名遣い」は、嘘と盗用と矛盾と破壊とのオンパレードです。「喋る様に書ける現代仮名遣い」なんて、真ッ赤な嘘の大嘘です。表音主義の立場から見て、餘計な書き分けがある分、表音的ではない訣ですし、正かな派の立場としては、文法や活用語尾などの破壊には目に餘るものがあり、正統な仮名遣の後継にしては質が悪過ぎます。此のやうな質の悪い表記方法が、現在一般に使用され、学校教育に採用されてゐるのです。非常に歎かはしい事です。日本語の表記に採用するべき本来の仮名遣(正かな)は、由緒正しいものですし、国文法にも親和性が高い表記になつてゐます。其の事が容易に理解できる環境が必要です。

参考迄に、本来の仮名遣での書き方を記した文章を作つておきましたので、茲に書かれた内容と比較してみて下さい。

平成十八年十一月六日追記

事実を知らない読者諸兄にあつては、怒りすら覚える文章に見えるかも知れません。ですが、現実を見る目が在る人であれば、必ずや御納得頂ける内容だと思ひます。高が仮名遣と馬鹿にするのもいいのですが、自分自身が日常空気の如く使用してゐる言葉と云ふものが、之程迄に蔑ろにされてゐる現実は、日本人の誰もが知つておく必要があると私は常々考へてをります。之を読んで、「嘘だ」と思つたお方がお出ででしたら、以下に示す文化庁のサイトに行つて、其の内容を今一度御確認願ひます。私は嘘は一言も申してはゐない筈です。其れでもあなたは「現代仮名遣い」を採りますか?

参考資料

関聯頁

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