反対意見への反論 (1)

公開 : 2006/07/06 © 平頭通

正字正かな派に対する反論に反論します。偶々見附けた文章にしか反応できませんので悪しからず。

平成十八年十二月十四日

今現在、日本語の漢字にも改善の余地は多々あります。今よりもいい言語になるならば、どんどん変化してしまうべき。

まあ同意ですね。今のやうに、一貫性の無い偏旁冠脚で見苦しい漢字の字体を使ふよりは、正字のやうに一貫した字体に改善されるべきだとは思ひます。其の意味で「常用漢字」の字体は不完全な代物です。

「出納(すいとう)」なんて「しゅつのう」って読めばいいと思うし、「解毒(げどく)」は「かいどく」、「相殺(そうさい)」は「そうさつ」、「会得(えとく)」は「かいとく」でいいと思う。

話し言葉には話し言葉の使ひ方があります。なので、出納を「スイトー」、解毒を「ゲドク」と発音するのならば、さう発音する必要があります。書き言葉には書き言葉の使ひ方がありますから、話し言葉とは区別して理解する必要があります。

「輻」が車輪の中心から放射状に伸びてる棒状の部分(spoke)、「輳」が車輪の中心部(hub)。

「放射状に伸びてゐる棒状の部分」が伝送路、「中心部」が交換機、呼が伝送路を介して交換機に集中してゐる状態を云ふんだから、特段「輻輳」で問題無いと思ふね。見慣れない言葉は字引で調べる癖を附けませう。

結論、言葉は自然の変化に任せませう。

大体さー、昔の言葉が正しいとかいってる連中は何で平安時代とかそれ以前にさかのぼらないのかねえ? そこら辺の正しい正しくないの判断が恣意的過ぎるんだよ。

まあ、なんだ。俺は「昔の言葉が正しい」とかは言つてゐないんだよね。精々六十年前迄の書き言葉のはうが、「常用漢字」や「現代仮名遣い」よりも増しだとしか言つてゐない。まあ、此の人の場合は、御自分が曖昧な表現をして読んだ人に誤解されても仕方ないと思ふぞ。言葉の正しさにケチを附けてゐるんだから、正確な表現など出来やしまい。

慣れるまでは死ぬ程辛いって事なんじゃないかと。

一往確認しとくが「表意文字」ッて事は、漢字の事を言つてゐるんだよな。日本国内には漢字と仮名が溢れてゐる。子供が普通に生活してゐる分には之等の文字を見掛ける機会は多い。頭の柔軟な子供の内ならば、「死ぬ程辛い」ッて事は無い。個人差はあるだらうが、どんどん吸収できる。逆にさう云ふ時期の子供に対して限定された漢字や漢字熟語しか与へられないやうな状況は改善される必要がある。以上。

平成十八年十月廿二日

注意:当文庫中、一部PDF文書は「旧式明朝印刷体」「明治欽定かなづかい*1」である。

当文庫では「正字」「正かな」とは、けっしていわない*2。

また、TEXT文書はEUCである。これには書体・字形もへったくれもない。好みのFontをつかえ*3。

この点、誤解なきよう。

*1亀井孝氏による。

*2秘密結社『じめじめ団』では「正字」(ただしい字)とは楷書のみである。

*3JIS例示字形にしたがって明朝印刷体向きに符号化してあるので、使用Fontにあわせるのに必要な符号変換は各自されたし。

某所で殆ど語られてしまつてゐますが、私からも。

「「正字」(ただしい字)とは楷書のみである」と書かれて在りますが、楷書の書体に正字と云ふ概念はありません。同じ字音字義を表す楷書の文字に複数の字形がある場合もあります。勿論どれを使用しても間違ひではありません。明朝体でしたらば、どの文字が正字か異体字かは字引きを引けば解りますが、楷書の場合は字引きで引いてもどの文字が正字かは判断できないと思ひます。で、此のやうな楷書に対して「正字」と名附けるのには疑問があります。

「明治欽定かなづかい」は、明治天皇が詔勅を出して定めたと云ふ事実を「官報」や『法令全書』から確認が取れてゐるのでせうか。申し訣ありませんが、どの部分に掲載されてゐるのか判るやうでしたら、御教示下さい。多分無いと思ふけど。

「旧式明朝印刷体」とは、なんなんでせう。一点之繞が「新式」で二点之繞が「旧式」ですか。ならば、「表外漢字字体表」に掲載された之繞の文字は全て「旧式」になつてしまひますね。抑々、「正字」や「正かな」の呼称を毛嫌ひしなければならない必然的理由がありません。

参考迄に「梅雨空文庫」の「本居宣長:うひ山ぶみ」を拝読しました。漢字に伝統的な楷書の表記を採用した事には評価しますが、仮名表記が現代の侭になつてゐるのは頂けません。時代を再現したいのであれば、変体仮名を採用すべきですし、連綿も採用すべきでせう。兎に角、現物に当つてみて下さい。取敢へず、早稲田大学の「古典籍総合データベース」に『玉あられ / 本居宣長 [著]』は在るやうだから、之を参考にして頂戴。

平成十八年十月十四日

十一日の続きです。

たしかに〈新字〉よりは系統的に良いんでしょうが」と在るので、正字を系統的に認めてゐるのでせう。話は其れでお終ひ、と行きたい処ですが、最後の所に「が」と話を繋いでゐます。どうも引掛りますね。以下は「闇黒式引用」で行きます。

驚いたというか、あきれました。こんないい加減な理由で〈正字〉〈旧字〉派などと名乗っている人もいるんですね。世のなかヘンな人もいるものです。

驚くには当りません。現在の日本語表記に疑問を持つて、其れより増しな表記を選択して自ら実践してゐるんです。何も疑問に思はないで、いい加減な表記をいい加減に使つてゐるよりは幾らか増しだと思ひますがね。

では、〈旧字〉がいかに優れた字であるかを知らない竹林さんに、〈旧字〉の素晴らしさを、そして、それでもなぜぼくが〈新字〉を使うのかを教えてあげましょう。

慥かに正字は「常用漢字」よりも優れてゐます。ですがね、此のやうな人に正字の素晴しさを語られてもなんにも嬉しくはありません。大きなお世話です。後、「新字」を使ふ積極的な理由が書かれてゐないのは片手落ちと云ふものです。

となると、その『康熙字典』をもとにした〈旧字〉に一義的にこだわることにどの程度の意義があるんでしょうか。たしかに〈新字〉よりは系統的に良いんでしょうが程度問題であって、唐代の最初の〈正字〉以前からすでに混乱はおこってたんです。

混乱はいつの時代にもあります。其れを殊更に強調されても仕方はありません。正字は、其の混乱の中から一定の秩序を求めて、筋を通した漢字の字体を言ふんです。其れを御破算にしたのが「当用漢字」であり、「常用漢字」なのです。此の人の言ふ「過去の混乱」は混沌の中の混乱、現在の混乱は破壊の結果の混乱、同じ混乱でも訣が全く違ひます。

それに初めて〈正字〉と呼ばれるものが作られた唐以来、千数百年の漢字の歴史のなかで、つねに〈正字〉とはどこかに存在し、特別な場合にのみ使われるものであって、一般的に使われるものではなかったようです。

此の人は、正字を特殊な用途に無理矢理分類して、学者に研究させたり、科挙の答案にさせたりして、一般人から見えない何処か遠くのはうの異郷にでも押込めておきたいやうです。実際は文明開花以前の日本でも『康煕字典』に代表とされる正字の漢字は一般に読まれてゐたのですし、江戸時代にも正字で書かれた漢籍の刊本も多数出版されてゐました。「科挙で使用されてゐた」と言ふ、一面的な事実を元に、其の他の事実を排斥するやうな言論は謹しんで頂きたい。

一面的な事実に基づいて、他者をヘンな人呼ばはりするのは、如何なものかと。

平成十八年十月十二日

併し、相当酷い言はれやうですね。きのふのお方の続きは後程。

平成十八年十月十一日

字体については、殆ど拘つてゐない平頭通が、此の問題に口出しするのも何ですが、私なりに解答を加へておきませう。「外灯都市」の作者は、或る種の権威主義者のやうです。誰が正字を決めたのか明白にならないと納得しないやうです。

そう考えると、なんでいまだにこんなものにこだわる人がいるのか謎におもえてきます。一体なぜなんでしょう?

理由として思いつくのは、日本で幕末から1949年頃まで印刷用の字体として使われていたことです。

もつと単純に考へて下さいな。今、一般的に使用されてゐる「常用漢字」よりも、「当用漢字」制定以前に印刷活字として使用されてゐた正字のはうがまだ増しだから使つてゐるんでせうに。「鳩笛雑記帳」に具体例が記載されてゐますから、其れをよく確認する事です。

おそらく「新字」というのはこのような不都合から、より簡略化された書きやすい字体で活字も書き文字も同一の文字にしよう、という考えから生まれたものだとおもいます。

思ふのは勝手ですが、実際は表音主義者が、国語表記の表音化を実現させる為の途中経過(中継ぎ)で、字体変更や、漢字制限を実施したんです。字体変更の結果、偶々印刷字体が手書き文字に近くなつた丈の話です。例へば、「広」(廣の略字)なんかは元々一部地域で使用されてゐた位相文字ですしね。

しかし、そこまで〈旧字〉に慣れることが良いことだと単純に言えるのかどうかもわかりません。

其りやあ、正字に慣れてゐないよりは慣れてゐるはうがいいに決つてゐるでせう。arukaさんは慣れてゐないから「読み辛い」とか「頭に這入つて来ない」とか言つてゐたんでせう。ならば、慣れれば其のやうな事も無くなる訣ですから、良い事です。

さて、どうも〈正字体〉について、根本的な疑問に気づきました。それは何を指して〈正字〉というのかという疑問です。

最初は「正字が読み辛い」ッて話だつたと思ふんですが、さうぢやなかつたやうです。まあ、いいんですが、ヒント丈記しておきます。漢字の構成要素が確りと整へられてゐる事。音訓義が明かである事。

読んでておもうことは「言葉 言葉 言葉」も「鳩笛雑記帳」も、すべて自己の記述において「誰が」の部分と、具体的な基準の部分が抜け落ちています。

「誰」かに決められた事でないと従へないんであれば、其れは権威主義です。「常用漢字」や「現代仮名遣い」は、内閣告示ですから、其れに従つてゐると云ふ意味では権威主義です。私は自身の表記について誰かの権威に乗り掛るやうな事は考へにはありません。

以下、箇条書きの疑問にお答へ。

1、誰が「正しい字体とは何か」を考へる立場で考え、より好ましいと思はわれる字体を(暫定的であれ)「正字体」と呼んだのか。どんな基準で「より好ましいと思はわれる」と判断したのか。
上に記しました。
2、「康熙字典」を検討し、歴史的にどの字が〈正字〉かそうでないかを分類したのは誰なのか。どんな歴史観でそう判断したのか。
『康煕字典』にも誤りは在ります。過去に批判の書も出されてゐます。又、日本語の文章を書くには、『康煕字典』に掲載された文字丈では足りません。
3、「鳩笛雑記帳」に書かれている体系というのは誰が定めた体系であり、どんな基準で定めたものなのか。
「誰」かが定めないと納得されませんか。さうですか。ならば、「常用漢字」を廃止し、印刷標準字体を旧に復する、と日本国政府が内閣告示や内閣訓令でも出せば、arukaさんはもう正字は読み辛いなどとは言はない訣ですね。

此の人、正字の事を「学者が研究し論議すべき対象」だとか、「実用とはかけはなれた文字」だとか言つてゐますが、一体何を考へてゐるんでせうか。学者が研究するのは、大概は古文書か土中から出土した考古遺物に記述された文字の解読でせう。書けなかつたり書き辛かつたりしたら「実用とかけはなれ」てゐるんですか。幾ら簡略化された略字でも、読めねば実用にはなりません。先づは、読んで理解できる事。書ける事は其の次です。因みに、本来の実用とはかけはなれた文字とは、字音字義の内の何れかが闕如した文字の事を言ひます。字音未詳、字義未詳、等。

私の意見は書きました。後は「鳩笛雑記帳」の作者にお任せしませう。あッ、私ですか、私は常日頃、正字だらうが異体字だらうが、伝統的な楷書だらうが、どんな漢字でも使へる所で使ひたい漢字が使へれば其れでいいと思つてをります。

平成十八年九月五日

「■[雑]簡体字について」と題して何故か正字正かな批判を遣つてゐます。題名はカムフラージュか何かの積りなのでせうか。読んでみると、筆者個人の主観で正字正かなに対して否定的な態度を示してゐるのが判ります。少くとも正字正かなの事について理解してゐる人の書く内容ではありません。

日本式の略字になじみきっている自分のような人間からすると、ちょっと頭がおかしいんじゃないか、と思ってしまうような人種だ。

馴染んでゐるのは当然でせう。学校で習つて来たのは「常用漢字」と「現代仮名遣い」だつたのですから。頭がをかしいとは如何なものでせう。明治大正昭和と使ひ慣らされて来た漢字や仮名遣を使ふ事に関して感覚的に反発されても此方としても困るんですが。

さて、冒頭に書いた現代日本における正字正かなの使用についてだが、新字新かなの理不尽さをじゅうぶん考慮にいれたうえでも、やはりこれはちょっといただけない気がする。もちろんこれは自分の個人的な好悪の問題だから、是非を論じてもはじまらない。

又、感覚的に反発されてゐますね。何処がどうだから「いただけない気がする」んですか。私から言はせて貰へば、現代国語の音韻に基づいて表記するとなつてゐる「現代仮名遣い」なのに助詞の「は」「へ」「を」では正仮名遣が其の侭残つてゐるのが悪趣味だと思ひますね。「個人的な好悪の問題」とは言へ、よくこんな表記で好いと思へますね。

それでもあえて思うところを述べれば、けっきょく文には品格というものがあって、正字正かなはある一定レベルの品格を要求する、ということだ。

之も感覚的な反発ですね。気持ちとしては、品格を備へた文章が書けるやうにとは考へますが、其れは飽く迄も私個人の心持です。実際はどんな人がどんな文章を書かうと一向構はないと思ふのです。どうせ書くのならば、確りした表記を使ひたい。唯其れ丈です。品格は書く場面を選ぶものと理解します。

現代のお粗末な表現には、それなりの表記がふさわしい。げんに歴史的かなづかいなどはある種のパロディの対象にすらなっている。で、おれはといえば、いまの言語的なアナーキズムを愛している。そして、新字新かなはこのアナーキズムによく合致していると思う。

慥かに国語表記からして「現代のお粗末な表現」の先鋒を奔つてゐますから、或る程度は同調します。ですがね、矢張り全部が全部さうぢやないでせう。「歴史的かなづかいなどはある種のパロディの対象」になつてゐたとしても、其れで少しでも現在の国語表記に疑問を持つ人が増えれば私は嬉しく思ひます。

「新字新かな」(と言つてももう60年前の代物ですが)とアナーキズムが合致してゐるとはよく言へたものです。「新字新かな」は、昭和21年に内閣告示として始めて制定されました。詰り、政府お墨附きの表記方法な訣です。政治権力を否定するのであれば、率先して「新字新かな」を批判するべきです。其れとも悪政には媚び諂ひますか。

平成十八年八月卅日

もう一丁行つときますか。

論敵(hwangdongyang2002)は、私の表記方法を「正字は意識すれば表記はどうでもいい」と理解してゐるやうです。こんな極論も無いもんです。之も「正字しか使用を許さない、正字以外は全て誤字だ」と云ふ考へ方から導き出される結論でしかありません。

私は正字で表現できる環境が整つてゐるのであれば正字を使ひます。だが併し、現状は其れを許さない所か、Unicode然り、JIS X 0213然り、益々混亂を冗長させてゐるやうな有樣です。其のやうな現状も理解せずに「平頭通は略字を使つてゐる」と非難されても困るんですがね。まあ、使用できる漢字を正字に制限するのもどうかと思ふんですが。

で、「コンピュータの都合に妥協」ですか。別に電子計算機の都合に妥協しろとは言つてゐません。文字コードの要件を踏まへた上で、どう言つた解釋で記述したら良いかを檢討した結果、かうなつた丈ですから、「正字は意識や認識だけで充分」のやうな言ひ方はしないで貰ひたいですね。慥かに「正字を意識する」のは重要ですが、其れ丈で充分なのではありません。正字の筋を糺した上で、正字も略字も俗字も、書く人が書く場面で必要な文字を使へばいい丈の話です。

「過去の継承も漢字文化圏の繋がりも保てるなら」云々はね、過去から斷絶してしまつた後に規定された文字コードに原因があるんだから、もう既に繋がりは保ててはゐないんですよ。だつたら、別の見方をして出來る事をするしかないぢやないか。

後は例によつて話の方向は捻ぢ曲つてしまつてゐますが、一往、説明しときませうかね。

「康熙字体」云々については、日本には國内で通用する國字が在るんだ。だから康煕字典を金科玉條にしても日本の國語表記の充分條件にはなり得ないんだよ。「假名も化ける場合もある」ッて何だよ。假名が化ける訣ないぢやないか。文字化けは、文字符號化方式(キャラクタエンコーディング)の讀み違ひで起る表記の亂れを言ふんだよ。其れと文字コードの例示字體の件とは全く別の話なんだが、何考へてゐるんだか。其れとも何かい、日本の略字と簡體字で文字の形が同じでも意味が違ふ事を「化ける」とか言つてゐるのか。其れは、あちらと此方の文字の使ひ方の違ひ丈の話で、化けてゐる訣ぢやないよ。羅馬字が何だつて言ふの。ASCIIだつて國が違へば化ける文字があるのも知らないのかい。

「「ゐ」や「ゑ」が変換しにくいという事情」ッてあんた、其れは電子計算機を使ふ側の問題で、個々人の改善が可能な範疇の話だらう。正字の例示字體を表示させる爲の努力が可能なら、「ゐ」や「ゑ」を表示させるのぐらゐ朝飯前だよな。併しあんたは他人にお前は略字派だと罵つてゐる癖に自分は略字を使つて平氣に「舊字體」を使つてゐるとか言へるんだからお氣樂なもんだよ。

此の程度の文字コードに對する理解で、適當な反論してゐるんぢやないよ。程度が知れるよ、程度が。黄東洋、てめえの事だ。

續いて之にも反應しとくか。

「実際は假名も漢字も略字と現代假名遣いでOK」とはどう言ふ料簡だ。俺は今迄「現代仮名遣い」に贊成した事はないぞ。在るのなら證據を見せろ、無理だらうがな。大體「現代仮名遣い」に積極的に贊成してゐるのはあんたのはうだらう。「仮名」や「区別」で入力してゐるから其れがなんだ。あんたみたいな「正字至上主義者」ぢやないから、漢字制限に反對してゐる丈だよ。頭の固い奴は之だから困るんだよな。他人の話もろくすつぽ讀まないで、自分の思つた方向に勝手に話を進める。程度が知れたやうだな。

「過去の文學の復刻や文章の引用」云々、何ほざいてゐるんだか。引用者によつては、原文通りに引用する事もあるし、明治から終戰迄の著作から其の儘引用すれば、正字正かなの文章で引用される事もある。何も引用で「常用漢字」や「現代仮名遣い」に改變する事しかされてゐない訣ぢやない。「大衆はその書き換えた形だけ讀めればいい」なんて言つてゐるのは、表音主義者の連中が喧傳してゐる事だ。過去の著作の全てについて書換へ出來る訣がなからう。思慮が淺過ぎだ。

後、あんたの「文字化け論」、俺の言つてゐる事を、全く、全然、理解しちやゐないぜ。もういいから顏洗つて出直して來な。俺の話が理解できてゐない事が明々白々だ。なあにが「平頭通はローマ字主義者予備軍である」だ、チャンチャラをかしいぜ。黄東洋、てめえの事だ。

平成十八年八月廿九日

昔、「はなごよみ」と呼ばれるサイトの掲示板で論爭になつた件で、其の論爭相手が未だに根に持つて他所の掲示板等で當方を非難してゐるやうですので、茲で反論しておきませう。

此の過去の論爭相手(hwangdongyang2002)は、私の文章の書き方が氣に入らないやうです。で、其の書き方は奴に言はせると「略字旧仮名遣ひ」なのださうです。成程、さう言ふ見方もあるんでせう。

當サイトの表記は、「詞の玉垣の概要」に掲載した通りに行はれてゐます。其處にはどうして其のやうな表記を使ふ事になつてしまつたのか、簡單にですが書記してあります。原因は、大東亞戰爭の敗戰後に規定された文字コードの例示字體に在ります。全ての正字が例示字體になつてゐれば、別に何も問題は無いんですが、同じ音訓義を表す異體字を複數に亙つて例示字體にしてゐるやうな文字が在つたり、酷い場合は、正字の例示字體が存在せず、略字しか表示できない場合もあつたりで、一貫性が保たれてゐません。其のやうな状況下の文字コード(JIS X 0208)で、筋の通つた正字表記が本當に可能かどうか、先づは今一度反省してみたはうが宜しいかと存じます。

折角「舊字體、舊假名遣ひ」に變換した文章を或る掲示板で掲載して呉れたんですが、其れは餘計なお世話と云ふもの。變換した文章内での不備を申し添へておきます。

「遣」此の字は二點之繞が正字です。「漢」此の字は草冠ではありません。「前」此の字は舟月になります。「使」此の字の最終劃には筆押へが在ります。「若」の草冠は四劃ではありませんが、セーフとしておきます。「主」の字の第一劃は斜めではなく縱の點になります。

細かい事を言ふやうで恐縮ですが、事實、電子文書で正字を正しく表記させるのは非常に勞力の要る作業となります。其の點を確りと踏まへた上で、奴が論じてゐるのかどうか私には判りませんが、杜撰な主張である事は間違ひありません。

で、奴は「舊字體、現代假名遣い」が合理的であるとほざいてゐます。「現代仮名遣い」の何處が合理的なのかサッパリ理解できないんですが、奴にしてみればさうなのださうです。奴は普段から漢字の字音を表音記號で書表してみたり、兎角表音を前面に出す事を是としてゐるやうです。ですが、中途半端に表音的な「現代仮名遣い」が合理的とは表音主義の立場でも主張はできない代物です。假名遣についても杜撰な主張である事は間違ひありません。

私は漢字制限を批判してゐます。正字だらうが略字だらうが俗字だらうが、利用できる漢字を制限無く利用できれば其れでいいと言つてゐるんです。正字を使はないから正字正かな派では無いと判斷するのは勝手です。併し、使用できる漢字を「常用漢字」に制限するのも馬鹿げてゐますが、正字しか使用してはならないと制限するのも馬鹿げてゐます。もつと現實に目を向けるやうにして下さい。黄東洋、てめえの事だ。

平成十八年八月廿四日

このサイトの事を本気にしてはいけない

で、結論から書けば、「読むのがめんどくさい」のであれば、読まねばよい丈の話。読まないならばあんな事書くやうな真似もしないで済んだだらうに。後はネタなんでせう。ネタにマジレスする程、俺は……。

平成十八年八月廿日

約一箇月半振りの追加となりますね。正字正かな批判を見附けたので反応しときませう。

ぶっちゃけた話、旧仮名遣いで書かれた文章よりも英語で書かれた文章の方が読む気が起きる。英語の場合は知らない言葉を簡単に調べることが出来るが、旧仮名遣いの場合そもそも全く読めない漢字が山のようにあるのでずっと敷居が高い。俺は文字を文字として認識するというよりも、その音感やリズムで認識する部分が結構多いので、読み方がわからないというのは文章を読む上で極めて大きなハンデになる。なんとなくこういう意味だろうで読むのは別に出来るが、なんとなくこういう音だろうで読むのは正直厳しい。

ふむふむ。此のお方は日本語の文章よりも英語の文章のはうが親近感があるのかな。ならば無理して正字正かなの文章、厭々、日本語の文章など読まずに、英語の文章でも読んでゐればいいんです。大体誰かが既に指摘してゐますが、「旧仮名遣い」の文章を見て「全く読めない漢字が山のようにある」なんて言つてゐるぐらゐです。日本語もまともに使へないのでせう。あまり無理する事はありませんよ。

でも何よりもでかいのは、俺にとって英語を学ぶのは大変役に立つ (ってか、ある程度英語が出来ないと仕事にならん。資料が全部英語だったりする) が旧仮名遣いを学ぶのはクソの役にも立たないということだ。一体旧仮名遣いの何がいいのか、さっぱりわからん。何か合理的な理由があってそうしているのか? でも俺にはそんなものはさっぱり思い付かない。

役に立つから英語を学ぶんですか。実益優先の人は此のやうな事をよく仰いますよね。で、英語と比較して「旧仮名遣い」は役に立たないんださうです。此のお方、どの程度の本をお読みなのか存じ上げませんが、井の中の蛙云々とは此の事を言ふんでせう。

勿論、伝統とされているものにも素晴らしいものはあるだろう。でもそれは伝統だから良いのではなく、ただ単にそれよりも優れたものが出てきていないってだけの話だ。つまり伝統であることそれ自体にに価値は無く、せいぜい博物館に置いてあれば十分な代物だろう。

上の論を仮名遣に当て嵌めると、伝統とされる正仮名遣よりも、「現代仮名遣い」のはうが優れてゐると云ふ論理になります。何処をどう判断したらさうなるのか不思議でなりませんね。「現代仮名遣い」なんかより正仮名遣のはうがよつぽどまともな体系に整へられてゐるのに、其れに気が附けないとは。実益優先も茲まで来ると何だか困つてしまひます。「計算機科学」の教育に当てよう等と云ふのはいいんですが、人間、言葉がまともに使へなければ物事の理解に支障を来すと思ふんですがねえ。

平成十八年七月六日

勘違ひしちやいけないのは、唯単に昔の表記に戻れッて言つてゐる訣ぢやなく、今よりも自由に漢字が使へて、由来のはつきりとした仮名遣が遣へたはうが、「常用漢字」や「現代仮名遣い」を国語表記に採用するよりかなんぼか増しだと言つてゐるんです。其処の所を履違へないで下さいね。

やりたい人間が好きかってやってその結果出来上がった日本語は、確かに良い物とは言い難かったと思う。「日本語の教室」の著者は「出鱈目な改訂によって作家が言葉の細部に気を配れなくなった」という様なことを書いていて、それはその通りだと思った。

茲の部分は同意。併し以下がいけねえ。

しかし、だからといって改編前の日本語にロールバックするのはナンセンスだ。もはや当時正しく認識されていたその言葉は現在読みづらいどころか解釈に困る部分すらある。そして、その言葉の中で育っていない大半の日本人はそこに含まれる微妙なニュアンスなどもくみ取れない。それは英語の微妙な言い回しの中に含まれるニュアンスを日本人がくみ取れないのと同じだ。

其りやあ「常用漢字」や「現代仮名遣い」にドップリと浸かつてしまつた人々から見れば戦前の文章は読み辛いかも知れないでせう。唯単に「ロールバック」するんならさう云ふ風になつても仕方あるまい。私が使つてゐるのは、現代語です。現代語を仮名遣で書いても何等支障はありません。又、解釈は、文や文章の単位で行はれるべきもので、仮名遣の単位では通常行はれません。

もはや当時の日本語は現在の日本人にとっては古典になっていて、当時の言葉や仮名遣いを再現することには何ら利点はない。

約六十年前の文章でもう「古典」ですか。ならば「当用漢字」や「現代かなづかい」も立派な「古典」ですね。

むしろ著者の意図は、改編を通して失われてしまった細やかな表現力などを、現代の日本語の中に何とか取り戻せないかという事ではないだろうか。いまや「い」と「ゐ」の区別を明確につけられる人は多くない。それはもう「それでいい」のだと思う。今は今で当時は存在しなかった単語や言い回しが沢山あり、それらの区別を文章を書く人間が考え、細やかな表現を行いさえすれば、失われた表現そのものは戻ってこないにしろ、良い日本語を作っていくことは可能だ。

教育からして「い」と「ゐ」との区別を求めてはゐないのですから、当然の帰結でせう。唯、其れでいいかどうかは別問題です。「常用漢字」「現代仮名遣い」の中丈で物事が済む間ならばまあ問題は無いかも知れません。併し乍、一旦其処から離れてしまつた場合、「それでいい」は容易に「其れぢや困る」に変化します。之が一点。

其れから「良い日本語」を作つて行くのであれば、其の土臺となる部分を確りしておかねばならないのは当然でせう。「現代かなづかい」のやうになんだかよく解らない規則を振り翳して突然変更するなんて其れこそナンセンスです。

失われた過程は非常に理不尽で、同じようなことを繰り返してはならないと思う。が、残念ながら自分たちの世代はその改竄後の日本語で育っている。それなら今の日本語を極限まで煮詰めて表現を行うのが、書き手としては最善の行動ではないかと思った。

本当、理不尽と云ふのは同意ですね。唯、煮詰めた処で悪いものは悪い侭、煮詰めたが為に餘計に悪い点が強調されちまふんぢやないかな。さうならないやうに程々にね。

此のお方の御意見を要約すると「日本語の表記が改竄されたのは理不尽だが、現代人の殆どはもう此の表記で育つてしまつてゐるから、表記を云々するよりも今使はれてゐる表記で良い日本語を構築しようぢやないか」と云ふもの。土臺が怪しい表記では「砂上の楼閣」に等しいと思ふんですが如何。

まあ、本当に「読みづらいどころか解釈に困る部分すらある」んなら、多分私の書いた此の文章も読み辛いんでせう。非常に残念ですねえ。六十年の歳月とは斯くも断絶の険しいものだつたのか。

関聯頁

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