引用の是非

公開 : 2005/09/17 ; 修正 : 2005/09/18 © 平頭通

もう書き尽されてゐるやうですが、私の視点から申述べておきます。

引用の意義

引用は元来、他者の書いた内容を引合ひに出して、自論を展開する事に用ゐられるものです。特に討論や論争における引用には、一定の注意が必要だと思はれます。

引用の要件は、「引用する文章が明示されてゐる事」と「引用された文章だと明確に判断できる事」と「引用元の出典がはつきりとしてゐる事」との三点が確りとしてゐれば宜しいかと思ひます。引用は、其の性質上、どうしても本文よりも短くなつてしまひます。其の時に、引用する側が、不適切な切取り方で引用して論を展開して来た場合は、引用された側は、其の事実を指摘した上で抗議する事は可能だと思ひます。今回の件が其れに当るかどうか迄は、どうなのでせう。

引用の要件

第一に、引用文の明示の事ですが、此の場合、引用元の文章と必ずしも同じ様式にはならない場合がある事を理解する必要があります。印刷物の場合は、漢字の字体や仮名遣や送り仮名程度は合せられますが、改行位置や使用活字の違ひ迄は合せてはゐないやうです。抑々、小説や論文などでは、連載されてゐた時と、製本に上つた時とで、改行位置が変つてしまふ場合も多々あります。私が調べた所では、「官報」で掲載された時と、『法令全書』に掲載された時との間で、改行位置が変化してゐる記事を幾つも見て来ました。本文ですら此のぐらゐですから、通常の文章ならば、改行位置には無頓着で構はないと考へます。厄介なのは、詩文の引用です。改行位置も文字の置き方も使用してゐる活字すらも詩を構成する大切な一部である事が往々にして存在します。之をウェブに移して引用するとなると結構難しいものがあると思ひます。

第二に、引用された文章だと云ふ事が明確になつてゐるかどうかと云ふ点ですが、印刷物の場合は、本文より数段下げて段組されるのが通例になつてゐます。どの本を見ても大概は此の様式になつてゐます。又、本文中で文を引用する場合は、鍵括弧を使ふ習はしです。HTML文書の場合は、blockquote要素や、q要素が在るので、之を使ふ事で引用である事を明確にする事が出来ます。後はスタイルシートで判り易く見た目を作ればいいだけです。更に、cite属性やtitle属性を活用する事で、何処から引用して来た文書なのかを明確にさせる事が出来ます。

第三に、引用元をはつきりとさせる件です。印刷物の場合は、引用文の前後のどちらかの段落に、どの本からの引用なのかを書記してゐる場合が殆どだと思ひます。HTML文書であれば、少くともどのサイトのどのウェブページから引用したのかを書いておけば良いのではないでせうか。cite要素で括るかどうか、a要素でハイパーリンクを行ふかは適宜判断が必要です。引用文の前後どちらかに、何処から引用したのか書いておくのが印刷物の場合からの慣習です。

引用の改変

文章を引用する場合、引用元と引用先との間の環境の違ひで其の侭に引用できない場合がある事は知つておくべきでせう。漢字や仮名の出せない欧文などの環境に対して「なんで漢字や仮名を使はないで引用するのだ」と云ふ事は出来ないと思ひます。unicodeで作成された文書を"JIS X 0208"で引用する場合、一部の文字が複写できない場合があります。文意を失はない範囲で異体字を選ぶか、仮名に直すかぐらゐしか手はありません。又、引用元が明かに誤字脱字などを起してゐる場合に、其れを直して引用する事も可でせう。尤も、誤字脱字を指摘するのであれば、話は別です。

又、文意を失はない改変が外にもあるかどうかになりますが、大体、相互に変換が可能なものは、「常用漢字」と正字や「現代仮名遣い」と正仮名遣や漢字と仮名とローマ字書きや送り仮名の送り方ぐらゐのものでせうか。唯、仮名から漢字に変へた場合、漢字のはうが意味が限定される場合があるので、其の点で元の文書の文意から変化してしまふ虞はあります。

引用における改竄

改竄と云ふのは、悪い意味での改変になります。文章が改変されて引用されたからと言つても、其れだけで改竄とは言へません。

改竄と判断する場合は、自分の文章に別の文句を加へられて相手の都合のいいやうに解釈されたとか、自分の文章の或る部分と別の或る部分とを繋ぎ合はせて引用して、如何にも其れが貴方自身の意見のやうに言はれてしまふとか、文章を途中で切つてしまふ事で、本来の主張とは正反対の主張をしてゐるやうに見せ掛けるやうな姑息な遣り方の場合が該当するでせう。

さう云ふ点を確りと吟味した上で、論拠を示した上で、不当な引用をしてゐると指摘する事が肝要です。

扨、以上を踏まへた上で、下記の事例に言及する事にします。

引用の事例

無為徒食日記 2005年9月より、「12日」の一部を引用してみようと思ひます。

ネチケットの拡大解釈

ただ、いわゆるネチケットみたいなものがかなり拡大解釈されつつあるのだなという流れは感じましたね。自分が不快と思うことはすべてネチケット違反・道徳違反という解釈が一部ユーザーの間でまかり通っている模様。実際、無断リンク・直リンクされただけでサイトを閉鎖するという人がいるようですが、当方にはその意識がよく分からない。そんなガラスみたい心の持ち主は、アクセス無制限の場で物なんかいわなきゃいいのにね、と思う。だって、ネット上で物をいうってことは、公共の電波を使って何かを叫ぶのとほとんど変わりがないわけでしょう。無断リンクとか直リンクってのは、テレビ番組にたとえていえば、視聴者による録画・録音に近い行為と思われ、それをいちいち番組制作者に連絡してからやりなさいよってのは、ちょっと無理な話かなと思いました(※)。

同意。

では、上記引用の場合を検討してみたいと思ひます。此の事例の場合は、元々仮名で書かれてあつた部分を漢字に直して引用してゐます。具体的には、「所謂、云う、言う、全て、良い、事、例え」ぐらゐですか。実際に読んでみた限り、此の事例ならば、文意を失ふやうな事は無いと思はれます。「いわゆる」と「所謂」ならば相互に入替へてもほぼ問題はなささうなものですが、問題は「いう」に対する「云う」と「言う」でせう。漢字にすると意味が限定されると云ふのは先にも述べました。元の文が「いう」である以上、どちらの意味で使つてゐるのか読む側には明確ではありません。或は、両方の意味を包含した意味合で使用してゐるのかも知れません。其の意味では、行過ぎた改変であると見られても否定は出来ないものかと思はれます。其れを改竄と結論するかどうかは又別の話になります。文意を歪められて実害を蒙つた事を証明できれば、改竄になり得ます。

続いて出典の件、印刷物の慣例から考へるに、矢張り実際に文章の中で何処から引用したのかの出典が示されてある事が望ましいと考へられます。HTMLのマーク附けについては、なんら問題無いと考へられますし、此の侭では勿体無い話です。私がいけないと思ふのは、blockquote要素の内側に出典を示す一文を潜り込ませる事です。之は引用文を繋ぎ合せられたと見られても否定できません。出来ればblockquote要素の外側に出典を示すべきでせう。

次に、引用文と主文との関係について。之は、短すぎる感もありますが、引用文も引用元から適切に区切られてゐますし、其れについて簡潔に意見を述べられてゐるのですから、問題とはならないでせう。慾を言へば、もう少し表現が豊かになれば宜しいのかと思はれます。

平成十七年九月十八日、追記

17日23時20分現在で、実際の引用文が修正されてゐる事を確認致しましたので、当方の孫引きの部分も修正しておきました。表記の改変には或る種のリスクが伴ふ事は理解できたと思ひます。

blockquote要素でcite属性を活用する件は、HTML文書としての出典の明示の手段として最も好ましいものである事は私も同意する所ですが、印刷物での慣習として広く行はれてゐる本文中の出典の明示にも一定の理解は必要かと思はれます。私からは以上です。

結論

結論と言つてはなんですが、私は自分の正仮名遣の文章が「現代仮名遣い」に改変されて引用されたら非常に不愉快です。相手の嫌がる事をするなと迄は言ひませんが、自分が厭だと思ふ事を他人にする事は控へられたはうが宜しいかと思ふのです。

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