神代文字の事

公開 : 2006/08/18 © 平頭通

私は常々、神代文字(かみよもじ)等と云ふものは無かつたと思つてゐるのですが、世間では「古代日本には漢字が伝来する以前に文字が存在した」と云ふやうな噂を信じてゐる人もゐるやうです。江戸時代の国学者、平田篤胤も其のやうに信じて神代文字の研究をしてゐたやうです。茲では、阿比留文字を中心に実際の神代文字を提示した上で、どのやうに考へるべきかを論じてみたいと思ひます。

先づ、「神代文字」の定義をしておきます。日本に漢字が伝来したのは、応神記の記述を信用すれば応神天皇(ホムタワケ、八幡神)の時代に朝鮮半島から齎された事になりますが、其れ以前の日本に既に文字が存在してゐた場合、其の文字を指して「神代文字」(かみよもじ)と呼ぶ事にします。ですので、若し神代文字で書かれた文献が存在するのであれば、有史以前の日本の様子を垣間見れるのではないかと考へる人もゐるやうです。

日文、阿比留文字

神代文字には様々な種類が在り、皆夫々が夫々なりに自己主張をしてゐます。其の中でも平田篤胤が認めた「阿比留文字」(あひるもじ)を中心に話を進める事にします。阿比留文字は、「日文」(ひふみ)とも呼び、現在でも神社の印章やお札等に書かれる文字として使用されてゐます。平田篤胤のお墨附きがあるので、神道でも一定の理解はなされてゐるやうです。

平田篤胤は、本居宣長の死後、其の門下に這入つたと言はれます。何でも夢枕に宣長大人が現れて、師弟の契りを交したと云ふ伝説も在るぐらゐです。聖書ではサウロ(タルソのパウロ)が基督の幻を見て基督教徒になつたと云ふ記述が使徒行伝に在ります。丁度其の日本版のやうなものでせうか。閑話休題。

阿比留文字には以下の種類が在ります。以下に簡単に纏めておく事にします。

阿比留文字
真書 …… 横組、縦組
草書 …… 阿伎留神社古字、出雲文字、阿波文字

平田篤胤の説

此ノ條には、世ノ事識人(ことしりびと)たち、古語拾遺に、上古之世未有文字云云[上古ノ世未タ文字有ラズ云云]、と記出(かきいで)られしを證據(あかし)として、神世に文字(もじ)無(なか)りしと論(い)へる非説(ひがこと)なる由(よし)を、日本紀私記、釋日本紀を始め、古キ書等(ども)に徴(あかし)をとりて精(くはし)く辨(わきま)へ、それに就(つき)て、古(ふる)く假名日本記といひし史(ふみ)の二部(ふたつ)ありし事、および其ノ書體(かきざま)の考へ、また釋日本紀を讀(よ)む心得(こゝろえ)かた、日本紀の私記どもの事、釋日本紀にいはゆる肥人書、薩人書、私記に圖書寮に在(あり)しと云へる梵字體の書などは、神世字(かみよもじ)なりし事、天武天皇の御世(みよ)に造(つくら)しめ給へる新字といふ書(ふみ)のこと、神世字(かみよもじ)の字原字體の考へ、空海の製(つく)れる以呂波字(いろはもじ)は、神代字(かみよもじ)の書法を用(もちひ)たる事、また梵字も空海より後には、神字の書法を用ヒたる事など、總(すべ)て字體の原(もと)を論(あげつら)ひ、漢字(からもじ)わたり來(き)て後、次々(つぎゝゝ)に神字を罷(や)めて、其ノ字を弘(ひろ)く用(もち)ふる事となれる由(ゆゑ)よし、また欽明天皇紀ノ本註に、帝王本紀多有古字云々[帝王本紀ニ多ニ古字有リ云々]と見(みえ)たる文の論ひ、さて中ツ世の人々の、上古に文字(もじ)ありと言(いは)ざりし意(こゝろ)ばへ、また古語拾遺に、書契以來、不好談古浮華競興云々[書契以來、古ヲ談ルコトヲ好マズ浮華競ヒ興リ云々]と云(いは)れし事の、深(ふか)き由(よし)ある事まで論(あげつら)はれたり。

平田篤胤の著書『古史徴開題記』の一春之卷の内「○ 神世文字の論」を引用してみます。此の論では、神代文字の実際を提示するのではなくして、古書の記述等を通して如何にして神代文字が存在してゐたのかを論じてゐる文章になります。ですが、引用にも在りますが、斎部広成が著した『古語拾遺』の記述については如何ともし難いと思はれます。 平田篤胤は其の後、古社や旧家等に伝へられた変つた文字を蒐集し其の中から自論の展開に最も相応しい阿比留文字を採用して「日文四十七音」としました。『神字日文傳』に詳しく述べられてゐます。阿比留文字には、諺文(ハングル)に酷似した真書と、其の真書とは全く異なる書体の草書が伝へられてゐます。真書には横組と縦組の二種類が存在し、草書は特に「阿比留草文字」(あひるくさもじ)と呼んで伝来の違ひに由り数種類が存在してゐるやうです。平田篤胤は、真書を「肥人書」、草書を「薩人書」のやうに考へてゐたやうです。

「日文(ヒフミ)読法」

舊事大成經ニ。小野妹子(ヲノヽイモコ)ヲ河内國平岡宮ヘ遣シ。秦河勝(ハタノカハカツ)ヲ泡洲泡輪宮ヘ遣シ。神字ヲ取出シタル由ヲ記シタレド。神字ヲバ載せズシテ 普味譽彙務奈夜古堵茂知爐羅年紫紀流圍厨努蘇馬嘉有於依爾利汨轉能摩數亞世會餔列氣(ヒフミヨイムナヤコトモチロラネシキルユヰツワヌソヲタハクメカウオエニサリヘテノマスアセヱホレケ) ノ文ヲ載セタリ。

落合眞澄は神代文字が存在したと云ふ立場から『日本古代文字考』を著しました。其の中に、「日文四十七音」の文字の配列についての典拠を示してをります。唯、『先代旧事本紀大成経』を典拠にしてゐる点はあまり感心できません。之は伊勢神宮を非難したとして江戸時代の頃から偽書とされてをります。又、四十七字の配列については、「ヒ」から「ロ」迄の十三字では物の数へ方を参考にしたのでせうが、十四字以降は意味不明です。恐らくイロハ歌の並べ替への一種なのでせう。

日文四十七言「日文」

右神代四十七音ノ字ハ。天兒屋根ノ命之眞傳也。對馬國卜部阿比留(アヒル)氏内々ニテ之ヲ傳ヘラル秘ス可シ々々。

○一本云。右日文四十七言ハ。日神天思兼ノ命ニ勅シテ作ル所ト云フ。[一本、マタ一本モ同ジ奧書ナリ、]

○一本云。右神世行文。中古謂ハユル肥人書也。

此の阿比留文字真書横組は、天児屋根命から伝はつた文字で、秘伝として対馬国の卜部の阿比留氏に伝へられたとなつてをります。一目瞭然ですが、之は朝鮮の諺文です。下に諺文の「日文四十七音」を掲示しておきますので、見比べてみて下さい。

縦体阿比留字

此字前文ニ同ジ。前文ハ横連合ニシテ此字ハ縱連合ナリ。字原モ前文ニ同ジ。

右神世字。天思兼命所撰云。對馬國卜部阿比留中務傳之。

○一本云。右日文者。日神勅思兼命所製也。筆法祕傳者。筆意。把筆。運筆。全假。離合。廣文。縮文。以上七條。卜部家口傳有之。

此の阿比留文字真書縦組も、横組の文字と同様、対馬国の卜部の阿比留氏に伝承されてゐたとされてゐます。矢張り一目瞭然ですが、之も朝鮮の諺文です。子音(父音)と母音の位置を組替へた丈の文字です。

訓民正音でヒフミ

諺文は、李朝の世宗(セジョン)の命で「訓民正音」として1446年に制定されました。制定当初は、二十八字の字母が在つたのですが、現在では子音三つと母音一つとが削られ、二十四字になつたさうです。母音の字母が縦長の時は横組、母音の字母が横長の時は縦組にする約束事があります。併し乍、阿比留文字の場合は、其のやうな約束事は一切無視されてゐます。

諺文で「日文四十七音」を書いてみました。非常に似てゐる事がよく解ると思ひます。其れでも部分的な違ひはありますので、註釈しておきます。

カ行とタ行の子音字母の相違
之は朝鮮語の特徴に由来するもので、阿比留文字と同じ子音字母を語中で使ふと、全て濁音に変化してしまふ為、語中の清音を別の子音字母に書換へる事になります。
「ス」「ツ」の母音字母
無声音化の為、他のウ列の文字とは違ふ母音字母を使ひます。
「チ」「ツ」の子音字母
タ行の「チ」「ツ」は、厳密には「タ」「テ」「ト」と子音が違ひますので、"ch"の子音字母を使ひます。
エ列の母音字母
朝鮮語ではエ列の音を二重母音と見做して、複合型の字母を使用します。阿比留文字ではエ列専用の字母で統一させてゐるやうです。比較すると、縦棒が二本か一本かの違ひ丈です。
ヤ行の半母音字母
朝鮮語ではヤ行音は二重母音と見做します。ですので、ゼロ符号の子音字母を使ひます。其れでは日本語の五十音図に合致しないので、阿比留文字では新たな半母音字母を創作してをります。
ワ行の半母音字母
朝鮮語ではワ行音は二重母音と見做します。ですので、ゼロ符号の子音字母を使ひます。阿比留文字では「○」をワ行の半母音字母と見做してゐます。
ワ行の「ヰ」「ヱ」「ヲ」
日本語の音声は「イ」や「エ」や「オ」に同化してしまつてゐますが、仮名遣として考へた場合、其れに見合つた別の文字を提示したはうがいいと判断し敢へて定義しました。結果的に、阿比留文字の「ヲ」が、諺文では「オ」になるやうな椿事となります。
阿比留文字のア行
「イ」と「エ」とはヤ行に属し、「ウ」はワ行に属しますので、残りの「ア」と「オ」を何処に置くのかが問題になります。結果的には「○」の上部を切離した下膨れの"U"の字母を「ア」や「オ」の識別符号にしてゐます。

後は見比べて判断して下さい。恐らく訓民正音制定の1446年以前に阿比留文字が使用されてゐたと云ふ確固たる記録は見出されてはゐないと思ひます。

阿比留字草体

武藏國畔切(アキルノ)神社銅古字

右武藏國多摩郡畔切(アキルノ)神社銅古字慶長八年夷丘(ヒナヲカ)ヨリ掘出シヽ所ナリ。以後神寶トスルト云ヘリ。己レ若年ノ時此摸寫ヲ得テ珍藏ス。今年二月實物ヲ見ムコトヲ思ヒ立テ同所即チ五日市村ナル松原神社ノ祠官阿留多伎連ノ家ヲ訪ヘリ。然ルニ此銅ハ天保元年十二月七日ノ火災ニ罹リ紛失セリト云フ。

明治二十一年
落合直亮識

古字ノ世ニ傳ル者數種アリ。然レドモ傳寫ノ久キ訛誤甚多ク見ルベキ者ナシ。此書摸寫ナリト雖古雅最モ愛スベシ。

落合眞澄が阿比留草文字(あひるくさもじ)の代表として掲げたのは、武蔵国あきる野に在る阿伎留神社に伝承されてゐたとされる銅版古字になります。非常に達筆の阿比留草文字ですが、天保の火災で焼失してしまつたさうです。

出雲字(イヅモモジ)

[傳ニ載スル所]

右出雲國大社所傳云。

[以上ハ墨ニテ記シ以下ハ朱ヲモテ記シタリ、]

武藏國人金井滌身麻呂傳政文者也。

[金井滌身麻呂、何人ト云コトヲ知ラズ、政文ガ事ハ既ニ云ヘリ、千家君云、大社ニ古字ヲ傳ヘシコト祖父以來聞カズ、雨森精翁ト云フ者鰐淵寺ニ讀書ノ師タリ、云ク同寺ニ古字ヲ傳フト云ヒ傳ヘタレド其時既ニ古字ハアラザリキト云リ、然レバ出雲ノ大社ノ古字ハ何レノ世ニ失タルカ詳ナラズ、享保頃ノ學者新井君美出雲ノ大社ニ竹簡ニ書ケル文字アリトイヘレバ此頃マデハアリシニヤ、此文ヲ以テ日文ノ草体ハ阿比留字ノ真体ヨリ出タルヲ知ルベシ、]

引用の伝承が錯乱してゐますが、恐らく「出雲文字」(いづももじ)の本体は紛失してしまつたが、其の複写は伝へられてゐると言ひたいのでせう。草書の字の右下に阿比留文字の真書が併記されてゐるので、落合眞澄は真書から草書に発展したのだと理解してゐます。恐らく理解の助けとする為に併記させた丈だと思ひます。

阿波字(アハモジ)

[陸前本吉郡、加美郡及信濃伊奈郡等同字体アリ、阿波國大宮ニ傳フル所ナリ、今阿波字ト名ク、]

阿波國大宮神主充長ト云人。神名書一冊ヲ著シ數種ノ古字ヲ載セタリ。又自(ミ)ラ中臣祓詞ヲ古字ヲ以テ記セリ。安永八年ノ序跋アリ。傳附録ニ載スル所字体正シカラズ。今原書ニ由テ記ス。此字体ハ阿比留草体ヲ主トシ種々ノ字ヲ折衷セシモノヽ如シ。〓(ケ)〓(ヘ)〓(コ)〓(ホ)等ハ象形字ト見エテ上記(ウヘツフミ)ノ字ニ近シ。十幹字ハ琉球字也此字類ニアラズ。今之ヲ略ス。此字体ヲ以テ記スルモノハ枯葉村古碑中里千族所藏。藥法字。赤須村小町谷氏所藏。桐板字等ナリ。傳附録ニ此字ヲ充長ノ作物トセル論等ハ過テリ。

阿波国の大宮の神主、充長が、古字を掲載した著書を出したとし、其の古字を「阿波文字」(あはもじ)と呼んでゐます。阿比留草文字の系統の文字ですが、多少の変化が加へられてをります。『上記』は、偽書の一つですので、其の書物に書かれてある事を以て論拠にするのは問題があると思ひます。落合眞澄は、充長が作つた文字だとする論は間違ひだとしてゐますが、充長が阿比留草文字を参考にして創作した文字で良いと思ひます。

神代文字に対する疑義

茲からは、神代文字に対する疑問点と私の論を展開する事にします。

神代文字は、其の定義からして、日本に漢字が伝来する以前に日本で創作して使用されてゐた文字であるとされてゐますが、其のやうな文字を記した物が現存するのかどうか考へてみます。武蔵国埼玉(さきたま)に「稲荷山古墳」が在りますが、其処から出土した鉄剣に「漢字」が彫り込まれてあつたさうです。内容からして有史以前の物ですから其の当時は既に日本で漢字が使はれてゐた事になります。先づさう云ふ考古学的な見地から見直す必要はあると思ひます。

又、日本に漢字が伝来して以来之まで、日本では漢字を自国語の表記に使用して来たのです。仮名も元を糺せば漢字です。若し神代文字が漢字伝来以前から使はれてゐたのであれば、態々支那から漢字を輸入する必要も無かつたのですし、優れた文字であれば若しかすると日本以外の地域で神代文字を使ふ人々が出て来てもをかしくはなかつたかも知れません。併し実際はさう云ふ状況ではありませんでした。

日文四十七音と五十音図

大体において神代文字は、イロハ歌に類似する「日文四十七音」か五十音図に類似した形態で提示される傾向があります。其の事から、「表音文字」である点と、仮名文字の書換へなのではないかと云ふ点との二つが浮び上ります。

先づ表音文字については、文字の伝播を考へる必要があります。文字を発明したのは支那と埃及の二大文明になります。何方も表語文字を使用してゐます。文字を始めて書く場合、言語の音声を基準に書く事よりも、語其の物を書かうと欲した結果、表語文字になつたのだらうと考へます。そして、文字を使ふ文明人を見た周辺の人達は其れを自国語でも使へるやうに工夫します。一番手つ取り早いのは、文字で表された音声のみを写す事です。之が文字の伝播と表音文字の誕生です。日本でも何も無い所から文字を創作したのであれば、表語文字となつて然るべきですが、提示された神代文字は何故か全てが表音文字です。何かの文字の模倣と考へるのが妥当だと思ひます。其れでも漢字伝来以前に模倣したのであれば、之は神代文字としても良いでせう。

参考迄に、印度の文明でも文字は早くから使用されてゐましたが、梵字からして既に表音文字です。何処で発明された文字なのかは私は知りません。

仮名文字の書換へについては、文字が一対一で対応する点にあります。中には五十音図全ての枡目に別々の文字を宛がつたものも見受けられますが、五十音図その物が仏教由来の音韻図ですから、仏教伝来以前迄に遡る事は先づ無理です。ヤ行のエを分けるのは評価しますが、ア行のウとワ行のウは同じですし、ア行のイとヤ行のイも同じです。態々分ける必然性はありません。

上代特殊仮名遣との兼合ひ

上代特殊仮名遣は、石塚竜麿が纏め上げ橋本進吉博士が再発見した、奈良時代に行はれてゐた仮名の書分けの事を言ひます。イロハ四十七字に加へ、ヤ行のエや清音濁音の区別の外に、「キ・ヒ・ミ・ケ・ヘ・メ・コ・ソ・ト・ノ・モ・ヨ・ロ」や其の濁音「ギ・ビ・ゲ・ベ・ゴ・ゾ・ド」の廿字が甲乙の二様に書分けられてゐたのです。四十七と一つと廿と廿で、合計八十八種類の書分けが行はれてゐたのです。之は国語学における大きな成果なのですが、神代文字は、四十七字か多くても五十字程度です。濁音の書分けすら対応から外されてゐるので、仮名の書換へと見られてもしやうがない部分はあるかと思ひます。

唯、上代特殊仮名遣に完璧に対応する神代文字が在れば在つたで別の問題が想起されます。仮名遣は、同音の仮名の書分けを言ふのですが、書分けるべき仮名が現在の仮名に加へ廿一種類増え、更に古語に対応した濁音の仮名の書分けも必要になります。文字が在つても書けない可能性が高いと思ひますし、若し其のやうな神代文字の文献が存在したとしても、近世の捏造であれば直ぐにバレます。又、文法や用語法や書体等の検討を加へれば、当該古記録が本物か偽書かは調べが着くものです。

或る人の研究では、古代日本語の母音は「ア・イ・ウ・オ」の四つだつたと云ふものも在ります。其の当時の神代文字が表音文字で実在するのならば、清音三十八、濁音十六の音の書分けになつてゐたのかも知れません。

古記録等の文献

文献自体の問題も在ります。公表される古記録等の文献は記紀万葉より更に古い時代の文献であるとの謳ひ文句で現れるのが殆どでせう。大体其のやうな貴重な文献が突如として現れるのも疑問が在るのですが、「秘伝」等の事情もあらうかと思ひますので、問はない事にします。

神代文字を使つた文献には、『秀真伝』(ホツマツタヱ)や『上記』(ウヘツフミ)等の古史古伝が在りますが、其の他の和歌や日記等の文藝に類するものや、納税等の事務的記録に類するもの等に神代文字文献が皆無なのも疑問です。外には神社の境内等に在る石碑や神社に奉納された物品や宝物等に断片的に使用実績が残されたのみでは無いでせうか。出現する環境が神道や其の周辺に限られるのも不可思議な点です。

古記録が発見されたの自体、大体江戸時代後半から明治大正の頃ですから、国学の興隆も幾許かの影響を与へてゐた等とも考へられさうです。

神代文字の字体

阿比留草文字や茲では紹介できなかつた神代文字は殊に特殊な字体をしてゐるので、意図的に他の文字との差別化を図つてゐるのは判るのですが、阿比留文字の真書は限り無く朝鮮の諺文に近い字体になつてをります。朝鮮が真似したので無ければ、阿比留文字のはうが諺文を真似てゐると考へるのが妥当でせう。諺文はどの文字を参考にして作られた文字なのか確定はしてゐませんが、蒙古のパスパ文字や梵字や漢字の文字構成等を綜合的に取入れて作られたとは考へられさうです。阿比留文字は、対馬の阿比留氏に伝来してゐたとされてゐます。対馬と朝鮮半島は目と鼻の先です。対馬の郵便局では看板に諺文を併記してあるとも聞きます。状況的には朝鮮から諺文が伝はつて阿比留文字になつたと見るのが妥当だと思はれます。

字音を写した神代文字

神代文字で書かれた古記録の内には、「キチニチ」(吉日)のやうに字音語を神代文字で書いた物も見受けられます。字音は漢字の本来の読み方を言ひますので、漢字が日本に伝来して後に書かれた比較的に新しい時代の記録であると判断できます。唯、之を以て神代文字が漢字伝来以後に創作された文字であるとするのは無理があるでせう。

多種多様の神代文字

若し本当に神代文字が日本に漢字が伝来する以前に使用されてゐた文字であるのならば、一つか二つ程度の種類の文字が各方面で使用されてゐたと考へる事が出来ます。一つの言語表記に多様な書き方が在れば混乱の元ですし、国家として統制が図れません。現実の神代文字は、誠に多くの種類が存在します。本来は暗号か戯事だつた記号が、後世に「神代文字」として認知されるやうになつたのであれば、之程の種類が存在したとしても肯けると云ふものです。

私の結論

神代文字は、日本に漢字が伝来する以前から在つた文字ではありません。全ては、幻です。

神代文字の需要

幾ら神代文字が漢字伝来以前の日本の文字ではないにしろ、全く必要が無いと云ふ話にはなりません。神道や仏教は何方も宗教です。宗教には必ず呪術的な側面が存在します。其のやうな呪術的な面を演出するアイテムの一つに文字が在ります。幸か不幸か仏教には梵字(ブラフミー文字)と呼ばれる文字が始めから在りました。一般大衆が読めない文字(暗号)で仏の特殊な力を表現する、梵字には其のやうな役割があります。神道には元々其のやうな特殊な文字は在りませんでしたが、宗教に呪術は附きものです。仏教の梵字のやうな文字が神道でも必要になつて来るのは道理です。其処に出て来たのが「神代文字」です。神様の御名を直接お札に書くのは畏れ多いと云ふ訣で、神様の御名を神代文字で書記してみたり、神社の朱印に神代文字を使ふ等して、霊験新たかな氛囲気を演出する訣です。今まで論じて来た中では、阿比留草文字系統の字体が此の役に最も相応しいと感じられます。「日文四十七音」夫々に主要な神様を配置させて、仏教の梵字仏のやうにしてみるのも趣があるかも知れません。

参考資料

関聯頁

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