仮名遣の歴史 (仮名の成立)

公開 : 2005/10/24 © 平頭通

上代特殊仮名遣

茲からは、日本語表記の歴史について話題を進めて行きたいと思ひます。

日本に文字がやつて来たのは、大体古墳時代の頃になるかと思はれます。日本に残る最古の書物は『古事記』で、之の成立が和銅5年(712年)ですから、日本での漢字の使用は、大体1300年程度は軽く越えるものと思はれます。其の『古事記』の応神記には「又科賜百濟國、若有賢人者貢上。故、受命以貢上人、名和邇吉師。即論語十卷、千字文一卷、并十一卷、付是人即貢進。」と在り、百済の和迩吉師と云ふ人が論語や千字文を舶載して来朝したのが、日本史における文字伝来の嚆矢となるやうです。併し乍ら、実際には仏教伝来と共に朝鮮半島経由で漢字が伝来したものと考へられてゐます。

『古事記』は、現在の漢字仮名交り文とは違ひ、全て漢字で記載されてあります。漢字伝来の当初は漢字しか文字が無かつたので仕方の無い話です。其れでも、漢字を本来の用法で使用してゐたり、漢字を訓読みして使用してゐたり、漢字の字音を借りて表音的に使用してみたりと、日本語を表記する為の様々な工夫をして書上げてゐる点は、注目に値すると思はれます。結構高度な技術が駆使されてゐるので、『古事記』以前にも様々な書物が存在してゐたのではないかと思はれますが、残念乍ら其れ等の書物は現在紛失してしまつて見る事が出来ません。

漢字の字音や字訓を表音的に使用して表記した仮名の事を万葉仮名と呼びます。万葉仮名は、『万葉集』に使用されてゐる仮名から採られた意味ですが、実際は記紀万葉に使用された仮名全般の事を指してかう呼ぶ事になつてゐます。この仮名には、清音と濁音とを区別して87種に類別されるとされ、更に『古事記』ではモの仮名の甲乙をも区別して88種に類別されます。ア行のエとヤ行のエとが区別される外に、キヒミケヘメコソトノモヨロ(清音13種)、ギビゲベゴゾド(濁音7種)が甲乙二類に分類されます。例へば、コの甲類で書かれる語はコの乙類では書かれず、逆にコの乙類で書かれる語はコの甲類では書かれないと言つたやうな明確な区別が認められる為、之を上代特殊仮名遣と呼んでゐます。仮名遣とは云ひますが、同音の仮名を語に依つて使分けた訣では無く、飽く迄も音を漢字で書表した結果として此のやうになつたものですから、厳密には仮名遣とは違ふものと判断するべきでせう。蛇足ですが、神代文字は漢字伝来以前の文字だと云ふ説は、現在の国語学では上代特殊仮名遣の発見に基づいて否定されてゐます。

以下に、上代特殊仮名遣で書分けられた仮名の種類を五十音図式の一覧にしておきます。

上代特殊仮名遣の仮名種別
ア行エ(ア行)
カ行キ(甲)キ(乙)ケ(甲)ケ(乙)コ(甲)コ(乙)
サ行ソ(甲)ソ(乙)
タ行ト(甲)ト(乙)
ナ行ノ(甲)ノ(乙)
ハ行ヒ(甲)ヒ(乙)ヘ(甲)ヘ(乙)
マ行ミ(甲)ミ(乙)メ(甲)メ(乙)モ(甲)モ(乙)
ヤ行エ(ヤ行)
ラ行ロ(甲)ロ(乙)
ワ行
ガ行ギ(甲)ギ(乙)ゲ(甲)ゲ(乙)ゴ(甲)ゴ(乙)
ザ行ゾ(甲)ゾ(乙)
ダ行ド(甲)ド(乙)
バ行ビ(甲)ビ(乙)ベ(甲)ベ(乙)

又、万葉仮名では、様々な字体の漢字を同音の仮名として利用してゐましたので、同じ音を表すのにも多くの漢字が使用されてゐました。下に仮名の一例を示してみます。

キの甲類
[清音] 支 岐 伎 妓 吉 棄 弃 枳 企 耆 祇 祁・寸 杵 服 來
[濁音] 藝 岐 伎 儀 蟻 祇 {山耆}
キの乙類
[清音] 歸 己 紀 記 忌 幾 機 基 奇 綺 騎 寄 氣 既 貴 癸・木 城 樹
[濁音] 疑 擬 義 宜

之等の甲乙に類別される仮名は、平安時代中期に至つて其の殆どが区別されなくなつてしまひました。上代特殊仮名遣の発見は更に時代が下つて江戸時代の国学者の活動に依るのですが、其の経緯は後程書き加へる事とします。

イロハ歌と五十音図

先づは、イロハ歌を示しておきます。

之は大乗仏教の教へを和歌で端的に表したものと言はれ、従来は弘法大師(空海)が制作したとされてゐました。併し乍ら、国語学の見地からすると、弘法大師の生きた時代は、コの甲乙やア行のエとヤ行のエとの区別がまだ残存してゐたので、ア行のエとヤ行のエとの区別が見られないイロハ歌はもう少し後代の作であらうと考へられてゐます。イロハ歌が文献に現れるのは、平安時代の後期になるので、或は其のぐらゐの時期に制作され、弘法大師の作と云ふ或る種の権威附けを行ひつつ世間一般に流布されて行つたものであるのかも知れません。弘法大師の作と云ふだけで、標準として十分な効果があつたものと考へられます。之は重要な部分になります。結果的に、平安時代後期(1000年)の頃に発音し分けられた音の全てを一回づつ使用して仮名書きされた歌が、イロハ歌になるのです。此のイロハ歌の四十七文字が日本語を書き表す為の表音文字の種類として、今日まで変らずに使分けられて来ました。

又、平安時代には「あめつちの詞」と云ふものも流布してゐました。以下に示しておきます。

あめつちの詞では、ア行のエ(榎)とヤ行のエ(枝)とが夫々区別されて仮名を四十八種に分類してゐます。其の為、此の詞が成立したのはイロハ歌より古いと考へられてゐます。

次に、五十音図を提示しておきます。

五十音図
ア行
カ行
サ行
タ行
ナ行
ハ行
マ行
ヤ行
ラ行
ワ行

以上が正しい五十音図になります。五十音図は、梵字(サンスクリット文字)の一覧表を参考にして日本語の仮名を一覧にして見せたものになりますが、動詞や助動詞の活用や、係り結びの結語の形式(「てにをは紐鏡」を参照)などにも利用できる利点があります。五十音図の中で、同じ仮名を使用してゐるのは、先づア行のイとヤ行のイとが在りますが之は初めから書分けはありません。次にア行のウとワ行のウとが在りますが之も初めから書分けはありません。次のア行のエとヤ行のエとの場合は、十世紀以前は書分けられてゐたのですが、イロハ歌が流布して以降は全く同一の仮名になつてしまひました。因みに、現在の五十音図ではワ行のヰとワ行のヱが省略されて其の代りに撥音表記のンが加へられてゐますが、之は誤りです。五十音図の内、オとヲの所属については、定家仮名遣の関係で永らく混同してゐたのですが、本居宣長が『字音假字用格』で所属を明かにして以降混乱がなくなりました。

扨、仮名にはひらがなカタカナの二種類が存在します。夫々別々の道を歩みつつ、現在に迄、継承されて来ました。ひらがなは、漢字を表音的に使用した万葉仮名を草書のやうな崩し字として使用する方法であり、『源氏物語』や『枕草子』や『蜻蛉日記』等の平安女流文学に使用された仮名の事を言ひます。主に和語を書記す事を目的としてをり、此の仮名を草仮名とか女手とか呼んでをります。因みに、「変体仮名字源一覧」を作つておきましたので、参照して下さい。

又、カタカナは、漢文訓読や仏典の訓点や漢字の音読などの為に、漢字の脇に書記した助詞や送り仮名や振り仮名が其の起源になります。万葉仮名の文字を省略して其の一部分を書く事で、一定の音を簡易に記す形式の仮名になります。其れが訓読文で文章の表に表れる事に依り、漢字仮名交り文の体裁が出来上る訣です。カタカナの場合、元々漢文などの外来語の音を書表す事に使用されて来た為、現在では外来語の表記や表音的な擬音語などの表記に活用されてゐます。

仮名の字体については、明治の頃に一つの標準が示されました。此の件については後述します。

仮名の標準

日本語を表記する仮名の標準は、イロハ歌の四十七文字にある事が此の時点で確立しました。

次回は、定家仮名遣に移ります。

参考資料

関聯頁

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正字正かなの正
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