干支と年月日

公開 : 2009/04/02 © 平頭通

『日本書紀』の記年法

『日本書紀』では、編年体を採用し、干支を使用した年月日の記述がなされてゐます。勿論、一般的に旧暦と呼ばれる太陰太陽暦を使用してゐます。此処では神武即位前紀と神武紀以降とを例に採り、実際の記年例を検討して行きたいと思ひます。

干支について

干支は、「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の十干と「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥 」の十二支とを夫々順番に回転させて行きます。そして、十干と十二支とを綜合させたものが干支であり、甲子から癸亥までで合計六十種類を数へます。

更に十干では陰陽五行説を取入れて、木・火・土・金・水を夫々兄弟(えおと) に分ける訓を与へたり、十二支では夫々に対応する具体的な動物が当て嵌められたりしてゐます。

神武即位前紀の記年法

例へば、上記のやうな年月日の記述が在ります。通常の年月日では、年号と月数と日附とで三つの部分に分けられますが、上記の年月日の記述の場合は、五つの部分に分けて考へなければなりません。

では具体的に考へてみます。「己未年」の三文字が年号を表します。「つちのとひつじのとし」と読みます。神武天皇が即位された年の干支を知つてゐる人は、二年前の年の事だと判る筈です。実際の記述を見ると、前の記事と同じ年号の場合は、年号の項目は省略されてゐます。

次の「春」の一文字が季節を表します。一年を春・夏・秋・冬の四つの季節に分つのは現在と変りませんが、分け方が一寸違ひ、正月から三月が春、四月から六月が夏、七月から九月が秋、残りの十月から十二月が冬になります。但し、前の記事と同じ季節の場合は、季節の項目は省略されるやうです。

次の「二月」は一年を十二箇月に分けた内の一つの月を表します。太陰太陽暦の場合、閏月の問題がありますが、例へば「閏五月」ならば季節は其の侭「夏」とします。『日本書紀』では月の表記は干支では示さず、正月以外漢数字で記述してゐます。読み方は「ふたつめのつき」と読んでも「きさらぎ」と読んでもいいと思ひます。

参考として、月の読み方を正月から本来の仮名遣で書留めておきます。「むつき・きさらぎ・やよひ・うづき・さつき・みなづき・ふみつき・はづき・ながつき・かんなづき・しもつき・しはす」以上です。

次の「壬辰朔」の三文字が、其の月の一日の日の干支を言つてゐます。此の三文字で「みづのえたつのついたち」と読みます。其の月の基準となる干支の始りを此の部分で記述してゐます。

最後の「辛亥」が具体的な日附になります。「しんがい」とも読みますが、此処では「かのとゐ」と読みませう。干支は順番に進みますから、「壬辰」から数へて何日になるかと言ふと、普通に数へて二十日となります。唯、其の月の最初の日を表現する時丈は此の部分が省略されます。

結果的に読み方は「つちのとひつじのとしのはるきさらぎのみづのえたつのついたちかのとゐのひ」で、旧暦の神武即位二年前の年の二月二十日を意味します。

以上を踏まへて神武天皇の即位の日を見てみませう。「辛酉年春正月庚辰朔」、神武天皇元年は、干支で「かのととり」の年だと判ります。旧暦の正月「むつき」は季節で言へば春です。日附は「庚辰朔」としか書かれてゐませんから、其の月の最初の日を表しますが、此の正月の「かのえたつ」の日は元日である事も判ります。詰り、太陽暦の世で言ふ「旧正月」にあたります。読み方は「かのととりのとしのはるむつきのかのえたつのついたちのひ」です。明治の頃、偉い先生が此の日を太陽暦に換算した結果、二月十一日を紀元節としました。

神武紀以降の記年法

見ての通りで、五つの部分には分かれてゐますが、年号を示す部分のみ数字に変化してゐます。「七十有六年」の五文字は、神武天皇が即位した年を元年として、七十六年数へた年の事を言ひます。此処では既に年号で干支は使用しません。其の外の記述は、神武即位前紀と変りありません。「三月」は「やよひ」です。「きのえうま」が一日ならば「きのえたつ」は十一日を意味します。読み方は「ななそとせあまりむとせのはるやよひのきのえうまのついたちきのえたつのひ」になります。こんな感じに読んで行きます。

最後に

実は此の記年法、現在でも使へたりするんですよね。条件としてはどうしても旧暦になつてしまふ事。実用的では無いにしても、一つの方法論としては有りだと思つてゐます。因みに、平成廿一年四月二日は、「己丑年春三月辛未朔丁丑」「つちのとうしのとしのはるやよひのかのとひつじのついたちひのとうしのひ」となります。

参考資料

関聯頁

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