正字正かな質問箱 (heitotsu版)

回答に先立って申し上げておきますが、疑問に思ったら自身で調べてみる事を忘れないで下さい。昨今はインターネットと呼ばれる便利なツールが在るのですから、確り活用して正しい知識や知見を得て下さい。そして賛成するにしろ反対するにしろ其の知識や知見を元に自分なりの意見を確りと持って下さい。以下の記事は個別対応で簡易に回答した内容ですので飽く迄も参考としてご覧下さい。

◆項目追記(20190320)

言葉の意味に関する質問

「仮名遣」とは?
簡単に回答すれば、或る語に定まった仮名による綴り方を仮名遣と呼びます。其の意味から「い」「ゐ」「ひ」や「え」「ゑ」「へ」等の同じ音価とされる仮名に於いてどの仮名が使用されるのかが問題となって来ます。
◆歴史的仮名遣って、たとえば「イ」の音を適当に「ひ」「ゐ」の仮名に全部直して書くんでしょ? そんなの意味があるの?
若し歴史的仮名遣で文章を書く事を標榜して最初の段階で其の様な書き方をされるのならば、許容範囲だと僕は認識してます。慣れて来たら正しい仮名遣で書く様に注意して行けばいゝ話ですし。
たゞ質問内容の様な認識で歴史的仮名遣を使って書いてる人を批判した気になってる様では、学校の国語や古文の授業で一体何を勉強して来たんだか心配になるレヴェルですね。お察し致します。
「旧仮名遣」「正仮名遣」「歴史的仮名遣」は同じもの?
夫々微妙に異なりますが基本的には同じものです。まあ其の外にも「復古仮名遣」「契沖仮名遣」なんて表現もありますね。僕の場合は、明治維新前に遡る「定家仮名遣」等の古い仮名遣を「旧仮名遣」と呼ぶ事はあります。
「旧字」「正字」は同じもの?
ほゞ同じものかと。「新字」に対する「旧字」、「略字」に対する「正字」とご理解下さい。
「歴史的仮名遣」と「古文」「文語体」は同じもの?
全て異なります。国語を勉強して下さい。 古文は過去に書かれた日本語の文章、文語体は日本語の書き言葉として最適とされる文体の事です。
「正字」「正仮名遣」とは、それ以外の書き方を「誤字」「誤仮名遣」とみなす呼び方なのですか。
まあ其の様にご理解なさりたいのであれば止めはしませんが。 其れ以外の「漢字字形」や「仮名遣風味の物」はお世辞にもきちんと整理されたものとは表現しづらい代物でしてね。
言葉に「正しい」も「正しくない」もない。旧字旧かなを「正字正かな」と呼ぶのは「正しい」の押し付けでは。
押し付けと云った部分については、「正字正かな」を書くのも読むのも自由ですから、強制的に「読め」とか「お前が書け」とかは主張しません。どちらも自由です。でも、読んで頂けると僕は嬉しいですね。
少くとも、「現代仮名遣い」と「常用漢字表」との規定を正しいものと見做さなければ、現在みたいな状況は出来しない訣ですから、矢張り言葉に「正しい」は存在します。
「正しい」ものを押し付けられるのは困るとのご意見でしたら、貴方は「旧字旧かな」を「正しくない」と信じてご自身の「正しい」を僕に押し付けてるんです。詰り貴方も同じなんですよ。「押し付け」が良くないとの主張であれば貴方は即刻僕に対する批判をおやめ下さい。貴方の行為はまさしく「押し付け」ですから。
康熙字典は漢字の字体の字典ではないし、楷書の字体とも異なるのに、康熙字典体が唯一正しい字体であるかのように扱うのはおかしいのでは。
康熙字典は漢字の字体の字典でもあるのですが、過去の韻書や字引の内容を集大成した感じの構成になってます。漢字の本家で作成された漢字の手引き書として、漢字を書き言葉に利用する日本語にも有用ですから参照される丈です。
楷書の字体は楷書の字体として受継いで行かなければならないとは感じて居りますが、高橋さんが「私の名前は梯子高なるぞ、口高とは別なるぞ」とか、吉田さんが「私の名前は土吉なるぞ、口の上に士を書く勿れ」とか、辻さんが「私の名前は一点之繞なるぞ、二点之繞で書くのは誤りぞ」とか言って来るのは行き過ぎではないかと。楷書は楷書、印刷字体は印刷字体です。
因みに僕は、漢字の正字略字も問題ですが、「漢字制限」の方を大きく問題視して居ります。
◆「じめん(地面)」の「じ」は「ち(地)」が濁ったものではなく、元々「じ」の音があったので、「じ」で書くべきなのでは(「治」も同様)。
まあ、清音の方が漢音で、濁音の方が呉音だから、連濁ではなく元々別々の字音——勿論最初から「じ」ではない——だとの説は一往間違ってはないですね。でもまあ、僕には判断つき兼ねるんですが、「布地」とか「裏地」とか「生地」とか「路地」とか、二文字目の「地」の場合本当に連濁ではないと断言できるんですかねえ。本来の字音仮名遣は「ぢ」なんだから其れでいゝんでは? って僕は思ってるんですけどね。
後、逆に此れは飽く迄も参考ですが、福島県東白川郡矢祭町内川に「谷地下(やぢか)」と呼ばれる地名が在ります。此れなんかは本当に連濁と判断していゝんですかねえ。だとか思ったら「地下」は「ちか」でも「地下足袋」は「じかたび」ですからねえ。混乱を助長してませんか? もう僕には基準がサッパリです。

国語改革の歴史に関する質問

「歴史的仮名遣」が時代と共に変化したのが「現代かなづかい」では。
誤りです。国語審議会に巣食った表音主義者の連中が戦後のドサクサを好機と見て強引に通してしまったのが「当用漢字」であり「現代かなづかい」であったのです。自然な変化でこんなシロモノが出来上る訣がありません。
旧字旧かなは「軍国主義的な政府による押し付け」で、新字新かなは「私たちの民主的な国語」なのでは。
岩波文庫の白帯なんかの復刊とか見てみれば解りますが、左翼的な内容の本でも戦前は「旧字旧かな」で書かれたものが在ります。「新字新かな」は、内閣告示が大元ですからまさしく「政府による押し付け」です。戦争に負けた時期と、「新字新かな」への改変の時期とが、偶々一緒だったから「民主的な国語」の様に見える丈です。其れを世間では錯覚と呼びます。
GHQが旧字旧かなの国語を新字新かなにしたと聞いたのですが。
GHQでは「日本の庶民は文盲――漢字や国語表記のむつかしさ等に依る――が多いから何も分からない庶民が無闇に扇動されて戦争に突き進んだのではないか?」との意見があったらしいけど、語学力テストをしたら識字率が想定外に良かったらしいですね。其の結果GHQは此の件から手を引いたとの事です。「新字新かな」にしたのは、国語審議会の手引きに依る内閣告示が大元となります。
旧字旧かなで書くのは戦前回帰したがる右翼なのでは?
印象ですね。「旧字旧かな」で書く左翼も居れば、「新字新かな」で書く右翼も居ます。夫々に相関はありません。 僕が見る限り世間で話題の「ネトウヨ」 も「ブサヨ」も皆さん「新字新かな」で書かれますね。僕から見れば皆さん同類です。
歴史的仮名遣は明治政府の創作した「作られた伝統」では?
創作ッてえより、既に在ったものを日本語の書き方として採用した丈です。「現代かなづかい」はまさしく創作ですが。
江戸時代は仮名遣が混乱していたのだから、「歴史的仮名遣」の規範なんてものは明治時代まで無かったのでは。
混乱してたとの見方もありかも知れませんが、寧ろ複数の手法が併存して居たと見るのが妥当かと。『古言梯』が出されたのが江戸時代中頃ですから、明治時代以前には既に規範として存在しました。
言葉はコミュニケーションの道具で相手に通じればいいのだし、所詮人間同士の決め事なんだから、どう作り替えたっていいのでは。
此処では書き言葉の事を扱って居ります。言葉は記録の道具でもありますが、高々数十年前に書かれた文章や同様の方法で書かれた文章を「読めない」だ「読みづらい」だとくさゝれる。「作り替えた」為めの弊害が如実に現れて居りますね。
本当に「どう作り替えたっていい」のであれば、「常用漢字表」「現代仮名遣い」なんてさっさと止めちまって即刻正漢字歴史的仮名遣に戻してもいゝッて話になりますが。

実践に関する質問

旧漢字や旧仮名遣はどのように調べますか。
主に字引を利用します。普段は『岩波国語辞典』や『新字源』で引きます。必要に応じて、『広辞苑』や『諸橋大漢和』や『辞海』や『漢語大詞典』も参照します。当座の参考としてインターネットの記事も利用します。
コンピュータで旧漢字や旧仮名遣の入力は面倒では。
僕は、普段 SKK を使用します。「旧漢字や旧仮名遣」用の辞書が在れば変換の手間はほゞ同じです。
旧字旧かなの横書きは、右から左に書かないといけないはずでは?
特段其の様な決りはありません。右から左への書き方は、一行一文字の縦書きが由来とされます。最近でも車輛の右側面のペイントで右から左への書き方をしてるのを見かけますよね。
旧字旧かなの文章にカタカナの外来語は不釣り合いでは?
古文や古い文語文をイメージするから其の様に感じられる丈です。現代口語文で書けばカタカナ表記の外来語も普通に使用されます。
旧かなで書く割に、古文や文語体で書いたり、万葉仮名で書いたりしないのはどうして?
「旧かな」だからと言って、特段「古文や文語体や万葉仮名」で書く必要は無いと判断します。実際に書くにしても、古文で書く事は不可能ですが、一往、文語体や万葉仮名で書く事は可能かも知れません。たゞ、文語体には文語体の、万葉仮名には万葉仮名の約束事がありますから、其れ等の約束事を理解して書かなければならないとは思って居ります。
より古い書き方で書く方がいゝのでは、とのご意見でしたら大きなお世話です。其の外にも「文語文」とか「擬古文」とか「候文」とか「上代特殊仮名遣」とか「宣命体」とか「訓読文」とか「漢文」(訓点附きか白文か) とか「結縄」(此れ漢字ですか?) とか「口伝」(もう既に書き言葉ですら無い) とか色々言って来られますが、唯単に古きゃいゝッて話ではありません。「現代かなづかい」が世に出現した其の時まで淘汰も含めて自然に変化して来た状況を認めた上で、「現代かなづかい」が出現しなければ此の様になって居たとされる書き方で今日の日本語を書いてる丈ですから。
◆文語体や候文、崩し字などを全部学ばないと、旧かなだけ学んでも意味がないのでは。
此れは古い文章を読み解く為めの智識として様々な勉強が必要って意味なのかな。まあ其の様な用途で智識を活用する必要があるのならば、「文語体」でも「候文」でも「崩し字」でも「草書体」でも「草仮名」でも「連綿」でも「合字」でも「変体仮名」でも色々と勉強なさればいゝ話です。僕の方は、過去の文章だけでなく現代の文章でも本来の仮名遣で書かれる可きとの判断から、「現代仮名遣い」ではなく歴史的仮名遣で現代の口語文を書いてるんです。
格式の感じられないくだけた文章に旧字旧かななんて使ってもいいの?
いゝんです。皆さん「現代仮名遣い」で格式の感じられる様な文章も砕けた文章も書かれますよね。同じ事です。仮名遣に格式なんて関係ありませんから。
◆理由があって旧字旧かなを使うならいいけど、理由もないのに使うのは変では。
僕の場合、「常用漢字表」「現代仮名遣い」の内容と、其の導入経緯に附いてとの、二つの部分で全く納得できないッてのが理由の要約になります。だけど、其んなの理由として認めないんだよね。
ならばどう言った理由なら認めるのさ。和歌や俳句や川柳で書くからとかか? 丸谷才一のリスペクトだからとかか? 古文を研究してるからとかか? 自分の都合のいゝ内容でしか「理由」を認めない様な偏狭な人間にはなりたくないものですね。
なぜ旧字より旧かなの方を重視するんですか。
一つには、仮名は皆さん誰でも読めますから安心して使ってます。もう一つには、仮名遣は日本人が永年を掛けて編出して来た日本語独自のものだからです。漢字は支那から伝来したものですし、仮名は其の漢字を加工して制作された表音文字です。どちらも借物である事に変りはありません。ですが、仮名遣は漢字が伝来して以来、日本語で書かれた数多くの記録から抽出された一語一語の軌蹟を表して居ります。日本語を使ってるからこそ仮名遣は大切にされねばなりません。
いつの時代の仮名遣が基準?
今の時代の仮名遣が基準です。基本はいろは四十七文字が音で書分けられた時代の語の書き方が基礎になりますが、飽く迄も現時点の生きた日本語での語の書き方が基準になります。
旧仮名遣を読む時は古語の発音でないといけないの?
音読ならば現代語の発音でお読み下さい。黙読の場合、可能であれば文字を其のまゝ音を介さずにお読み下さい。
旧字や旧かなで本を書いたり、インターネットに文章を載せたりしても大丈夫?
全く問題ありません。ですが、注意する点が二つ程あります。仮名遣はいゝとしても正字は技術的に表示が困難な文字が幾つか存在します。或る程度の妥協は致し方ない部分とご理解下さい。もう一つは不本意なバッシングを受ける可能性がある点です。理不尽なバッシングにも折れない強靭な心を必要とします。

正字正かなで書く意義に関する質問

どうして今でも旧字や旧かなで現代の言葉を書く人がいるの?
人夫々だと解釈します。僕の場合は岩波文庫の復刊や古本を読んで正漢字歴史的仮名遣を学びました。実際に書き始めたのはインターネットの掲示板で実際に書いて他人と対話してる人を見かけてからになります。其の時、「あゝ此の仮名遣で文章を書いてもいゝのか」と納得しました。
新字新かなのどこが気に入らないの?
一言で申せば「中途半端で不出来な代物 」だからです。
旧字旧かなで読み書きして何かいい事あるの?
明治維新以降から大東亜戦争終戦までの文章が或る程度は読み易くなりますよ。明治の文豪の文章を当時の実際の文体で読めます。ですが、江戸時代の文章は変体仮名や連綿や漢字の各種書体の知識が無いと読めない部分があります。明治初期の文章を読み解く訓練をすれば、幕末~江戸時代後期へと遡って行く事は可能かも知れません。
日本語には歴史的に三つの壁が存在します。最近の物から、大東亜戦争敗戦の壁、明治維新の壁、戦国時代の壁が其れです。戦国時代のは公家や貴族が中心となった言語から武家や庶民が中心となる言語への移行です。明治維新のは文明開化から端を発した日本語の近代化に依る変化です。敗戦の壁が現代人にとって最も影響が大です。
要するに、旧字旧かなを勉強させたいの?
したい人が勉強すればいゝ事です。正漢字が読めないとの指摘であれば判りますが、仮名が読みづらいとかは一寸信じられません。仮名なんてみんな普段から使ってるんだから読めて当り前ですが。
読む人なんているの?
此処まで読んで呉れて有難うございます。読みたいと思ったら読んで下さい。
旧字旧かなはマニアックな興味を満たす以外、実用として本当に役に立つの?
色々な局面は想定されますが、明治大正の古い文章を読み解かなければならない場面にぶち当った時は実用で役に立ちます。或る本を読みたいが、手元には当時の文体で印刷された本しか無いし、「常用漢字表」「現代仮名遣い」に改変された情報も無い場合とか。
旧字旧かなは一般人には難しいから、高等教育を受けたエリートだけに任せれば良いのでは。
其の様にして重要な情報が一般人の目の届かない場所に隠蔽されるのですね。
旧字旧かなを使う時代になんて戻らないんだから、こんな努力は無駄だ。
使ってはいけない訣ではないから使ってる丈です。書ける時に書かなくていつ書くんですか。
言葉という「道具」は簡単な方が良いのでは。
言葉が「道具」であるならば、使用の実績が豊富で手入れの行届いた道具を正しい使用法で使用した方が賢いと僕は思ってます。仮令道具と言っても簡単だから良い物だとは限りません。あと、其の「道具」が本当に簡単なのかどうか今一度疑ってみる事をお勧めします。
一つの音に複数の仮名が当てはまる「歴史的仮名遣」は非効率的なのでは。
「現代仮名遣い」でも「じ」「ぢ」「ず」「づ」みたいに複数の仮名が当てはまってますよね。「非効率的」ですねえ。
書き言葉と話し言葉とは別の物です。書き言葉には書き言葉の、話し言葉には話し言葉の、夫々の法則があります。其の法則を元に書き言葉と話し言葉との折合を附ける其の一つの方法として仮名遣が在るのです。効率云々の話ではありません。
日本語から中国の言葉である漢語を追放すれば、漢字も歴史的仮名遣も要らなくなるのでは。
漢語を無くすッて本気で言ってんの? 現状、日本語の中の漢字熟語(漢語)は相当な割合になってますから殆ど血肉化されてると見るのが妥当です。此れを無くすのには相当なエネルギーを必要としますね。万々が一、漢字を無くせたとしても助詞助動詞を含めて和語が残される限り歴史的仮名遣が要らなくなる事はありません。

正字正かなのよくある誤解に関する質問

どうして新字新かなを使う人を非難するの?
誠に恐れ入りますが、「旧字旧かな」を非難して来たのは貴方がたの方です。僕は「旧字旧かな」を擁護する為めに反論したのです。「新字新かなを使う人を非難」した訣ではありません。始めに状況を確りとご理解なさってからお聞き下さい。
でも、「新字新かなで書く人は例外なく頭がアレ」みたいな事を書いた人を見た事がありますが。
僕はそんな事書きませんが、何処に書かれてあるのか知りませんので、判るのであればご教示下さい。
「正漢字正かなづかひが正しい事は自明です。」と書いている人がいるのですが、自分の「正しい」を他人に押し付けているのではありませんか。
討論になってる段階で貴方も含め夫々の人が「自分の「正しい」を他人に押し付けている」のです。自覚があれば其の様な言葉は発せない筈ですが。
何故正漢字正仮名遣が正しいのか、何故制限漢字「現代仮名遣い」が駄目なのか知りたいのであれば、ご自身でお調べになってみて下さい。今ならインターネットでも或る程度は知る事ができます。其れでもご納得いただけないのであれば、どうぞ貴方にとっての「自分の「正しい」を他人に押し付けて」下さい。
これは現代仮名遣いを廃止して歴史的仮名遣に戻すよう政府に働きかける運動なのですか。
いゝえ。使ってもいゝので使ってる丈です。一往書記しておきますが、「常用漢字表」「現代仮名遣い」を内閣訓令で撤回すれば歴史的仮名遣でも「現代仮名遣い」でも表音的表記でも、どんな日本語の書き方も公私関係無く使用できる様になります。撤回については「棒引仮名遣」の時の前例もあります。
言葉は時代によって変わるものなのに、どうして時代の変化を受け入れずに、古い書き方にこだわるの?
あのさあ、古い書き方に拘ってるのは「現代仮名遣い」擁護派の方ですよねえ。昭和二十一年の頃の書き方に未だに拘ってるんですから相当なものです。歴史的仮名遣は、過去~現在・現在~未来へと言葉を引継いで行く為めの規範です。或る一時を切出して決められた固定された規則と一緒にしないで下さいね。
言葉はコミュニケーションの道具なのに、旧字旧かなで書く人は、相手に読ませる気がないのでは?
正漢字歴史的仮名遣で書かれた文章を読んで頂けるのが此方の目標の一つです。なので、敢て自分の良しとする表記方法で文章を書いて居ります。場合に依っては制限漢字「現代仮名遣い」で書かれた文章よりも読ませる気満々で書いて居ります。
言葉は社会の共有財産なので、現在一般的でない「自分勝手な書き方」は「公共の福祉に反する」のでは。
高々「現在一般的でない」程度で「自分勝手な書き方」とか「公共の福祉に反する」とかどれ丈傲慢なんだか。
どうせ学校や会社だと新字新かなで書くんだろ。旧字旧かなで書く覚悟が足りないのでは?
「新字新かな」で書く必要がある場面では粛々と「新字新かな」で書く丈です。正漢字歴史的仮名遣で書ける場所では大いに書き捲ります。
歴史的仮名遣を好きだからという理由で使うのは良いが、正しいからという理由で擁護するのはおかしいのでは? 自分の「正しい」を押し付けないで下さい。
自分の好きなものを貶されたら悔しいと思って擁護するものです。僕は歴史的仮名遣が好きですし正しいと思ってます。だから貴方にも歴史的仮名遣は正しいと主張しますよ。
旧字旧かなを面白がって使うのはキャラ作り?
別にキャラは作ってません。ですがキャラ作りでも恰好附けでも、一人でも多く歴史的仮名遣好きに転向して呉れると嬉しいですね。
◆旧字旧かなで書くのはカッコ付け?
恰好附けてる様に見える人も世の中にはお出でなんですね。心から恰好いゝと思って呉れるのならば、正漢字歴史的仮名遣の方に来て頂けると嬉しいですね。歓迎します。「カッコ付けやがって気に入らない奴め」とか思ってるんであれば其の僻み根性をどうにかして頂きたいものですが。
インターネットで旧字旧かなを使う人は、どうして攻撃的な人ばかりなのですか。私がちょっと馬鹿にしただけで、ものすごく反撃してきます。
現在、我々は謂れの無い迫害を受けて居る。其の様な状況下で批判的な言説がインターネットと呼ばれる全世界に門戸の開かれた場に繰り拡がれる訣です。其の様な批判的な言説を見て見ぬ振りをする事は、第三者的な立場として当該批判が世間一般に広く受入れられたと見られる訣です。我々にとって其の様な事態は誠に受入れ難い。なればこそ、謂れの無い批判的な言説には毅然とした態度を以て果敢に対応せざるを得なくなる。其を以て攻撃的なる人とは此れ如何に。
旧字旧かな信者はどうしていちいち言い返すの? 「触れてはいけない気が狂った人」と余計に思われて界隈の評判を損ねるだけだから、大人の対応をすればいいのに。
貴方が言った「大人の対応」ッてどんな対応の事ですか? 莫迦にされてもへらへらと笑ってろッて事ですか? 莫迦も休み休み言ってなさい。はっきり言って貴方みたいな人に「大人の対応」とかしてみた所で別の意味で「評判を損ねる」丈ですからね。反論して「あの界隈には骨のある奴が居る」と感じて呉れた方がよっぽどマシですよ。
私がこうやって旧字旧かなについて正直な意見を言うのは言論の自由なのに、それにいちいち突っかかってくるなんて、言論の自由の侵害ではありませんか。
言論の自由は反論も含めての内容になります。ですから「正直な意見」は結構な話ですが、批判された側にも「正直な意見」を主張する言論の自由は存在します。悪しからず。
戦前教育を受けた世代が旧字旧かなを使うのは良いが、戦後教育世代が旧字旧かなを使うのは見ていて「痛い」。
戦前教育を受けた世代はもう最も若い人でもそろそろ80歳超えてる段階になるのかな。所謂後期高齢者と呼ばれる世代になりますね。今インターネットを使って正漢字や歴史的仮名遣で書いてる人は粗方全員が戦後教育世代になるのかも知れませんね。若し「痛」くない世代の人がお出ででしたら当時の教育の事等ご教示頂けると幸甚です。

おまけ

わざわざこんな事を歴史的仮名遣で書くなんて、ご苦労なこった。どうせ相手に読ませる気がない独りよがりだろ。
お読み頂ける人にお読み頂ければ結構です。(バレてないのかな)
この文章を現代仮名遣いで書けるんだ。それならすべての文章を現代仮名遣いで書けばいいのに。
僕の場合、歴史的仮名遣で書かれた文章を多くの人に読んで頂けるのが目標の一つです。なので、目標となる文章其の物を態々「現代仮名遣い」に改悪する事は あ り ま せ ん

文責:heitotsu

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