社説 漢字を廢止せよ

昭和20年11月12日(月曜日)
讀賣報知報道

新日本建設(せつ)のための文化政策はいろいろと提(てい)示されてゐる。民主主義の積極的建設(せつ)を標(へう)榜するといふ自由、社會、共産(さん)三主要(えう)政黨(たう)の政策もほゞ明らかとなつたか、またはなりつゝある。敗(はい)戰とその後に續く危機(きゝ)が深くかつ大きいだけに、行はるべき改革(かいかく)また徹底的に餘すところがあつてはならぬ。上は天皇制(せい)から政治經濟、衣食住萬般の問題、下は便所の 在り方 まで鋭いメスの批(ひ)判と冷嚴な科(くわ)學的反(はん)省の俎上に上せられねばならぬ。だから問題と政策が複雜(ざつ)多岐(たき)に亙るのは當然であるが、こゝに民主主義の發達と密接(みつせつ)に結びついた問題で、いまだに忘れられてゐる重要(えう)なものがある。それは國字問題だ。

民主主義の運(うん)營を期(き)するには一定の知能の發達を必要(えう)とする。その運(うん)營をさらに圓滑化するためには一層(そう)大きく知識と知能とを高めねばならぬ。文明社會において知識(しき)と知能とを高める最も廣汎かつ基(き)礎的な直接(せつ)手段(だん)は言葉(ば)と文字である。階級(きふ)的な敬語(けいご)その他の封建的傳習(でんしふ)の色濃い日本の國語(ご)が大いに民主化されねばならぬのはいふまでもない。しかし、日本にあつては言葉(ば)記載(さい)の手段(だん)たる文字改革(かいかく)の必要(えう)は特(とく)に大きく、政治的な意味さへある。現在日本の常用文字たる漢字がいかにわが國民の知能發達を阻害(がい)してゐるかには無數の例(れい)證がある。特(とく)に日本の軍國主義と反(はん)動主義とはこの知能阻害(がい)作用を巧(たくみ)に利用した。八紘一宇(う)などといふわけの解らぬ文字と言葉(ば)で日本人の批(ひ)判能力は完全(ぜん)に封(ふう)殺されてしまつた。

或る調査(さ)によれば、漢字假名交り文でする國民學校六年間の課程(くわてい)は、點(てん)字使用の盲人教育において、僅か三年乃至四年の間に完了されうるといふ。日本の兒童(どう)は國民學校、中學校を通じて文字の學習(しふ)に精(せい)力の大半を消耗する。そのため知識そのものを廣めかつ知能を高めるための眞實の批(ひ)判的教育は閑(かん)却される。歐(おう)米先進(しん)國では文字が簡單で、その學習(しふ)の必要(えう)は殆(ほとん)どない。一切の時間と精(せい)力が知識そのものゝ獲得に向けられる。この相違の實際(さい)の結果はいかに大きいことか。われわれ自身ですら忘(ばう)却、非能率その他漢字から受ける不便(べん)のどんなに大きいかをくどくどと述(の)べる必要(えう)はあるまい。リノタイプの使用によれば新聞紙(し)の製(せい)作も現在の半數の人員で行はれうる。

隣邦(りんぱう)支那の封建時代に完成しただけに漢字には封建的な特(とく)徴が濃厚だ。徳(とく)川封建時代には漢字漢文が常用された。しかし、明治維新の民主的改革期(かいかくき)には早くも漢字に對する批(ひ)判が擡頭した。その結果漢字假名文が發達し、簡易(かんい)化され、現にわれわれの見る如き文章が成長して來た。一方假名專(せん)用、ローマ字論(ろん)等漢字廢(はい)止の運(うん)動が發達した。興味ある現象(しやう)はこれらの運(うん)動が必ず政治的民主主義運(うん)動の勃興(ぼつこう)に伴つて隆盛を來してゐることである。明治初年の民權(けん)運(うん)動にも大正、昭和の民主主義運(うん)動の勃興(ぼつこう)にもそれが見られた。しかし、その度毎(ごと)に封建主義と軍國主義とはこれを抑壓(あつ)してしまつた。かつてレーニンは『ローマ字の採(さい)用は東洋民族(ぞく)の一革命(かくめい)であり、民主主義革命(かくめい)の一構(こう)成分子である』といふ意(い)味を述(の)べたといふことである。トルコのケマル・パシヤが前大戦の敗(はい)北後行はれた民主主義革命(かくめい)でローマ字採(さい)用を斷行したことは餘りにも有名だ。民主主義と文字改革(かいかく)とは内的な深い關係を持ち、漢字廢(はい)止運(うん)動は民主主義運(うん)動の一翼(よく)であるといへる。

わが國にはいま第三回目の、そして最後の勝利を收むべき民主主義運(うん)動が澎湃として卷き起りつゝある。外壓(あつ)に基く上からの民主主義革命(かくめい)は漸く下から燃え上る民主主義運(うん)動と結びつかんとしつつある。一切の封建的傳統(でんとう)と障害(しやうがい)物はかなぐり捨てねばならぬ。いまこそ封建的な漢字に對しても再批(ひ)判を下すべき時が來たのである。漢字を廢(はい)止するとき、われわれの腦中に存在する封建意識(いしき)の掃蕩が促進(しん)され、あのてきぱきしたアメリカ式能率にはじめて追隨(ずゐ)しうるのである。文化國家の建設(せつ)も民主政治の確立も漢字の廢(はい)止と簡(かん)單な音標(へう)文字(ローマ字)の採(さい)用に基く國民知的水準(じゆん)の昂揚(かうやう)によつて促進(しん)されねばならぬ。街に氾濫する生かじりの英語(えいご)學習(しふ)よりもこの方がはるかに切實(じつ)な問(もん)題である。民主主義的各黨(たう)各派(は)の一考(かう)すべき問(もん)題ではあるまいか。

参考資料

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