字源の方法

公開 : 2006/03/04 ; 追記 : 2006/03/05 © 平頭通

字源の愉しみ

字源を遡るのは、漢字に興味を持つた人ならば、一度や二度の経験はあるかも知れません。かく言ふ私も其の中の一人です。字源は面白いものです。丸でパズルを解くやうな楽しさがあります。殆どのパズルには解答がありますが、中には解答が導き出せないパズルも存在します。字源も同じ事です。どの文字にも使用の始めがある限りにおいて、字源は存在するのですが、其の字源を確かめるには、其れこそ、何千年と云ふ書かれた歴史を紐解かなければなりません。容易な事ではないと思ひます。又、仮令或る文字の最古層の字形が発見されたからと言つても、其れが其の侭、字源解釈の根拠となり得るかどうかも判りません。結局、字源は其れを示した個人の説でしかないとなる訣です。

併し乍、字源を純粋にパズルとして楽しむのは別として、学問の研究として昇華させたいのであれば、其れ相応の手続きが必要になります。以下に、其の手続きについて述べてみたいと思ひます。

用例の蒐集

用例とは、実際の文章に載つた状態での文字を言ひます。辞書や字引に書かれた親字の事ではありません。其の用例を多数蒐集して、時代別に並べ直して見る事で、一つの文字の成立ちや変遷が眼前に開けると思ひます。

現在用ゐる事の出来る用例には様々な物が存在すると思ひます。中には年代を偽つた偽書も存在するでせうが、其の点を差引いても膨大な量に及びます。更に、焚書されたり埋蔵されたりして現在は確認できない文献などを考慮に入れれば、現在の倍以上の量になる事でせう。

中には、古い辞書の親字が最古層に位置する場合もあるかも知れません。此の場合は、其の辞書の親字が字源になつてゐると解釈しても過言ではないと考へられるでせう。形声や会意の漢字の中には此のやうな漢字も少なからず存在するかも知れません。

漢字の字源解釈における分解点

漢字の字形が始めて定まつたのは、秦の始皇帝の時代の小篆です。其れ迄の金文や甲骨文の時代の漢字では、現在同じ意味とされる漢字でも様々な形で表現されてゐましたし、微細な意味変化もあつたやうです。

小篆で、字形が定まつて以来の漢字は、書体の相違こそあれ、金文や甲骨文のやうな微妙な表現を漢字字形に込めるやうな事はなくなつたやうです。

最古層の文字の決定

用例の蒐集が完了したら、次は、其の中で最も古いと考へられる字形を抽出します。書かれた年代が明確であれば良いのですが、大概は不明確であると思はれます。一つ丈を取出すのではなく、同年代と思しき字形を複数抽出して、比較検討するやうにします。

時代背景の把握

最古層の文字が決定できたら、今度は其の文字が実際に書かれた時代の背景や文化を出来る丈正確に把握する事です。古ければ古い程、把握が困難になりますが、出来得る限り当時の時代の状況を把握して、其の時代に自らを浸すぐらゐの覚悟は必要でせう。

字源の解釈の決定

其の時代の人間になつた自分が最古層の文字を見詰めて、其の文字を書いた人の意識と同調できれば、字源の解釈は出来ると思はれます。実際に此の手続きを行つてゐるのは、私の知る限り、白川静さんぐらゐしか知りません。

明朝体の字形

明朝体の字形は、一見楷書に近いやうに見えるのですが、実際は小篆の字形を楷書風に書直してゐます。又、「常用漢字」の「新字体」は、終戦当時に一般に流通してゐた手書き文字が元になつてゐるやうです。支那の「簡体字」の中には、草書の字形が元になつてゐる場合もあるやうです。小篆を明朝体にした時点で、或る種の解釈が紛れ込んでしまひます。漢字の字源を考へるのであれば、明朝体の字形で考へるのではなく、其の元となつた小篆や楷書や更には甲骨文の字形に立ち還つて考へるやうにしなければなりません。

字源について思ふ事

どの文字にも字源は必ず存在しますが、実際の用例から離れた時点で既に解釈になつてしまひます。此の意味では、白川静さんの研究も、許慎の『説文解字』も全く変りはありません。唯、学問として成立たせる要因は、正当な手続きを踏んでゐるか否かに掛つてゐます。現在一般に使用されてゐる漢字の字形だけを見て、象形文字さながらの字源解釈をしても、素人の戯言にしか聞えません。どの道解釈である事に変りはないのですが、其処迄に辿り着いたと云ふ手続きが決め手であると理解するべきでせう。

又、仮令、正当と考へられる字源の解釈が現時点で存在したからと言つても、其の字源が現在の漢字の字義にどれ程の影響を与へられるのかも疑問です。言語の意味は時代により変遷します。漢字の字義も同様に変遷してゐます。其の事実を無視して、「字源がかうだから此の文字はかう云ふ意味で使はなければならない」と言はれたら、必ずしもさうではないと答へます。

現時点で正当とされる字源自体にも問題はあります。今後、更に古いとされる新資料が発掘された場合、其の資料に基づいて又新たな字源解釈が成立する場合も考へられるからです。一般に広く認められてゐるからと言つても、何時までも正当な解釈の座にゐ坐る事は出来ません。

略字は字源の解釈に不適切であるとの意見もあります。其れは其の通りです。併し乍、略字を遡つて行けばいつかは正字との接点が見出せる筈です。略字は文字の変遷における一つの答であると理解するべきでせう。唯、略字が正しい文字としてゐ坐る事には疑問があります。

語源に対する附記

字源とは別に語源があります。語源は、或る語に対して、どのやうにして作られたのかを解釈したものですが、之も字源と同様にパズルとしての要素があり、素人の戯言が紛れ込み易い分野ではあります。学問的にはどのやうな手続きが必要かを、簡単に箇条書きにしてみます。

  1. 用例の蒐集と時代別や地域別の分類
  2. 最古層の語の決定
  3. 語意に基づく語根の抽出と「単語家族」の分類
  4. 他言語との体系的な比較検討

簡単に書けば、上記のやうになるのですが、実際に此のやうな順番で検討してゐる人は、私の知る限り、大野晋さんぐらゐしか知りません。上記の手続きを踏めば、「名前」と英語の"name"が似てゐるからと言つて、"name"が「名前」の語源になる等と云ふ答は出せないと思ひます。

詰りかう云ふ事

字源にしろ語源にしろ、個人の解釈でしかないのです。語意の説明に活用できる場合もあれば、更に謎を深めてしまふ結果を招く場合もあります。

追記

平成十八年三月五日

扨と、以上のやうに書いた上で、以下に示す或る反論に対して補足しておきませう。

これらの事を考えると、漢字の成り立ちが漢字学習の上で大きな役割を果たしている事が容易に想像出来ます。漢字についての生い立ちを学習するのは興味がある方がやれば良いにしろ、字源は「想像するもの」であって、決して「研究するもの」や「調べるもの」や「学ぶもの」ではないにしろ、石井氏の教育法からして見ると、全くの誤った認識なのです。

正字 - 無為徒食日記」で以上のやうに書かれてあります。総論としては賛成です。会意や形声の漢字などですと、此の教育方法は大変有効に働くと考へられるでせう。象形文字でも、現在の意味に関聯した「漢字の成立ち」を示す文字の場合は、当然有効です。

併し乍、問題は「漢字の成立ち」が判つてゐる文字でも、現在の意味から見てどうにも納得が行かない漢字もあると云ふ場合です。例へば、甲骨文にまで遡れる「幸」の字はどうでせうか。現在の字訓は「さいはひ」「さち」「しあはせ」等の良い意味で使用されてゐるのですが、或る漢和字典では「刑罰の為に嵌める手枷」の形を記した文字とされてゐます。「手枷」が何故に「さいはひ」の意味に通ずるのか謎です。

又、文字に依つては、辞書毎に「漢字の成立ち」の説明が違ふ場合も存在します。例へば、「無為徒食日記」で引用された「學」の字について、白川静さんは、占で使用する複数の棒「乂」を臺「冖」の上で両手を使つて占つてゐる様子があり、其れを子供「子」に見せてゐる状況が表してゐる漢字であると云ふ説明をしてゐます。(『漢字百話』p.130に甲骨文あり) 漢字の字義は殆ど変らないのですが、「漢字の成立ち」では研究者によつて色々な説があります。

又更に、例へば「人と人が支へ合つて 人 の字が出来た」等と、現在では其の甲骨文の字形から否定されてしまつた俗説を、さも真実のやうにして説く人もゐます。

以上のやうな事を考慮すると、一言で「漢字の成立ちが教育に役立つ」と言つても、様々な問題が浮き彫りにされる事でせう。実際の教育に「漢字の成立ち」を活用させるのであれば、怪しい俗説や諸説のある漢字は切捨てて、現在の意味に関聯が明白な字源解釈を厳選して子供達に示すやうにする必要があるでせう。 子供達に嘘はをしへられませんからね。

平成十八年三月廿四日

篆書についの混乱を修正しました。

参考資料

関聯頁

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