詞の玉垣 (題未定2)

公開 : 2008/07/22 © 平頭通

平成十九年一月廿八日

江戸五色不動が正確なのには驚きました。六箇所全て当時の侭、掲載されてゐます。明治の頃は、目青不動が外苑前郵便局の所に在つたとされてゐますので、御参考迄。

平成十九年一月廿七日

どうやら消滅した模様です。外で飲んでゐたから、気附くのに遅れてしまひました。

平成十九年一月十一日

また客が店員に、

(2)「娘からすでに申し上げてあるはずだが、どうしたのかね」

と言った場合も同様です。

一寸心配になつたので、自身の意見を記しておきます。

上記の例では、「娘」が一体誰に対して「申し上げて」ある筈なのでせうか。謙譲語を使用する場合は、人間関係が豫め明白になつてゐる事が前提です。先生と生徒、上司と部下、親と子、等の関係に於いて、下位の者の行為が上位の人間に何らかの影響を及ぼす場合を表現する時に使はれる言葉です。ですので、謙譲語が使用された時点で話中での人間関係がはつきりとしてしまひます。上記の用例は、「申し上げ」られた相手の立場が不明瞭ですが、場合に依つては不適切な用例と判断され兼ねません。

追記しますが、店員が娘さんよりも上位の人間だとしても、娘さんが何か註文したのならば、其の場では上位の人間は店員よりも娘さんのはうに該当します。さうでないと云ふ状況設定が缺けてゐると云ふ意味です。

敬語には色々な説明や使はれ方が在ります。どのやうな解釈でも、社会に出て確りと使ひ熟せれば其れでいいと思ひますが、出来る丈、実状に合致した説明が出来るやうになればいいなとは感じてをります。

平成十九年一月一日

明けましてお目出度う。旧暦はよう知らんが、日本の正月はけふから始るから、其処んとこ宜しく。

今年は、去年よりも楽しい話題で盛り上りたいと思つてゐます。宜しく。

平成十八年十二月卅一日

巷で遣はれてゐる漢字で気になつた部分を切出しておきます。後で何処かのコンテンツに置換へる豫定です。

カン【刊】
字訓は「けづる」「きざむ」。偏の部分は「干」になる。正字。
カン〔刋〕
本来は「セン」「きる(切)」と読む文字だが、俗に誤つて「刊」の異体字として印刷文字に遣はれる事もある。
ケン【券】
字訓は「わりふ(割符)」「てがた(手形)」。中下は部首で「刀」に作る。正字。
ケン〔劵〕
「券」の誤字。一往、「ケン」とは読むが、「うむ(倦)」「つかれる(疲)」の字義を持つ為、「券」とは別の文字。上段の二つの点の向きに騙されぬやう。
サイ【齋】
字訓は「ものいみ」「つつしむ」、国訓で「いつく」。中下の部分は「示」になる。正字。
セイ【齊】
字訓は「そろふ」「ひとしい」。中下の部分は「二」になる。本来は、「齋」とは別の文字だが、齊藤(斉藤)や齊木(斉木)など、人名では「サイ」の字音で読まれる事が多い。正字。
セキ【跡】
字訓は「あと」。旁は「亦」で、形声の文字。正字。
セキ【迹】
「跡」の本字。呉音は「シャク」で、本地垂迹のやうに遣はれる。生前の白川静博士は、此の文字を使用してゐた。
セキ【蹟】
「跡」の別体字。詰り、同音同義の同じ文字。地名などで「跡」とは別にして書き分けてゐる場合もある。
タツ【達】
字訓は「とほる」「とどく」。旁は「幸」ではなく、一本多く書く。正字は此方の文字。
タツ【逹】
「達」の異体字。二点之繞に騙されぬやう。
チ【恥】
字訓は「はぢ」「はぢる」。旁が「心」になるはうが正字。
チ【耻】
「恥」の俗字。伝統的な楷書であれば、此方の字体で書いても間違ひとは言へない。
チャク【著】
字訓は「きる」「つく」。「常用漢字」の「着」の正字。
チャク【着】
「著」の俗字。元々印刷の字体でも此の文字は使用されてゐたが、「当用漢字」の制定で完全に切離されてしまつた。
チョ【著】
字訓は「あらはす」「いちじるしい」。「着」は俗字だが、通常此の意味では使用されない。
テウ【弔】
字訓は「とむらふ」「つる」。人や生物の死に纏はる文字。正字。
テウ【吊】
「弔」の俗字。日本では「つる」「つるす」の字義専用の文字として使用される。
デン【傳】
字訓は「つたへる」「つたはる」。旁は「專」と同じで右上には点は附かない。正字。
デン〔傅〕
「傳」の誤字。本来は「フ」「かしづく」と読む。因みに「新字体」は無い。
ホン【本】
字訓は「もと」。部首は「木部一画」。正字。
ホン〔夲〕
本来は「タウ」「すすむ」と読む別の文字だが、伝統的な楷書では「本」の意味として多用されてゐる。

平成十八年十二月十七日

舩木さんの所で紹介されてゐたから、早速入手して来ました。中々興味深い内容の本ですね。明治33年は、「棒引仮名遣」開始の年ですが、此の教科書では採用されてはゐない模様です。原文の書体は楷書もどきの教科書体を採用してゐるやうです。「機」や「事」や「寒」は、楷書の字形ですが、二点之繞にウネリが在つたり、「妻」や「雪」などは突き抜けてゐたりで、一文字一文字が興味深い字形をしてゐます。変体仮名や、合字のカタカナを使用してはゐない所を見ると、明治33年の此の教科書を出した頃には、仮名の字体が安定してゐたのかな。うーむ。

併しねえ、此の頃の文章をさ、現代語に翻訳しなければ読めないッてさあ、一体日本語ッてどう云ふ言語なのさ。

平成十八年十二月十六日

全集では確かめ得ない南蠻への態度の一端があらはれてゐるといへませう。 (kzhrさん) 06 12/15 21:53

著作は、作者に帰属されるものであると考へます。であるならば、中身の文章は当然としても、其の装釘にも作者が意とする形式のものが表現されて然るべきです。装釘は、購入者の先づ第一に目に触れる部分ですから、其の点の吟味も必要でせう。

平成十八年十二月十日

取敢へず復帰。

平成十八年十一月十四日

「新常用漢字表」
正直(゚⊿゚)イラネ

平成十八年十一月九日

筐底より発見。豪い物を見附けてしまつたのかも。

一人の未亡人が、周圍のあらゆる束縛から自由になろうとして、すべてを自分の計算どおりに運ぼうと意圖し、そしてまたそのとおりに事が運んだ爲に、かえつて動きのとれぬ窮地に追いこまれてしまうという物語りを、

云々。

平成十八年十一月三日

「女奚不曰。」の部分が落ちてゐたので、追加修正。其の上で、原文の段落に「学」云々との断り書きが無い以上、「学問の」云々とするのは朱子学としての解釈になります。で、「発奮」ではなしに「発憤」となつてゐるので、情熱や意慾とするのは誤りではないにしろ、孔子を聖人と見立てた一つの解釈であると云ふ事です。人間ならば、状況如何で文字通り「いきどほる」事は有り得ます。「学」に対する理想家である先生が弟子の悪い態度を見て怒る事もあるでせう。又、世間一般の「学」に対する態度に憤りを感じる事もあつたでせう。原文からはさう云ふ解釈も可能です。

平成十八年十一月二日

追悼購入。と言ふか、闇黒日記で『論語』を話題にしてゐたので、購入してみました。

話題の「発憤亡食」は、述而第七の「發憤忘食」として収録されてあります。

簡野道明補註の『論語集註』では、以下のやうな割註があります。

未得。則發憤而忘食。已得。則樂之而忘憂。以是二者。俛焉日有孳孳。而不知年數之不足。但自言其好學之篤耳。然深味之。則見其全體至極。純亦不已之妙。有非聖人不能及者。蓋凡夫子自言類如此。學者宜致思焉。

此のやうな事が書かれて在ります。此の割註の部分は、朱子学の祖、宋朱熹の手になる集註です。恐らく「但自言其好學之篤耳」の部分が、「学問の情熱(意慾)」と解釈される所以なのかと思はれます。

次に、宮崎市定著の『論語の新しい読み方』より、こんな一文が在ります。

大体論語の読み方は漢の時代に定まって、それから宋の時代に変わって、また清朝になって原へ戻ろうということになったのが大きな動きで、さらにまたその中にもいろいろな小さな流れあるわけであります。

東亜細亜の歴史に詳しい宮崎さんは、『論語』の読まれ方について、漢の時代の読み方、宋の時代の朱子学、清朝の考証学の三つに分類した上で、其の外にも様々な読まれ方をしてゐる事や、最近では儒教の神聖な聖典としての読まれ方以外の読み方も出て来てゐる事を指摘されてゐます。『論語』の文章は、色々な読まれ方がされるし、様々な解釈が為されもします。解釈の条件としては、其の時代の文化を把握し、其の言葉が発せられた時の状況を把握してゐないと本当の意味での解釈は出来ないと思ひます。孔子は文字文章を残さなかつたと言ひます。孔子の言葉が文章に上つた時に或る種の潤色や改変がなされてゐないとも限りません。其の辺りの事情も視野に入れた適切な解釈が求められると考へられます。が併し、解釈は其の解釈をした本人に帰属する部分です。どのやうな解釈でも他の解釈を元に誤りとするのは如何なものかと思ひます。

白川静著『孔子伝』では、以下のやうに記載されてゐます。

孔子は学を好む人であった。憤を発しては食を忘れ、楽しんでは憂いを忘れ、老いゆく身をも気づかぬ[述而]ほどの人である。

いやあ良かつたあ。白川さんの見解も見出せました。此の文を読んで判るのは、「憤」を「いきどほり」か「いかり」かで読んでゐる事です。「学」に対する姿勢と、現状との乖離とが此のやうな行動になつて現れた。さう云ふ解釈になりさうです。

長逝された碩学の漢字学を土臺にした『孔子伝』を楽しみに読み進めたいと思ひます。白川静さんの御冥福をお祈り申し上げます。

平成十八年十月廿四日

『國語學史』は、昭和22年の腐つた紙質の本で、内容はジックリと読みたいのですが、其れを此の本が許して呉れるか否か、心許ない。『字音假字用格』は、サイトのネタに使ふ積りで多少値が張つたが入手してみた処、実は「古典籍総合データベース」に収録されてゐたと云ふオチです。まあ、宣長大人の刊本が入手できた事丈で嬉しいのは変りありません。題箋は「な(那)」だけ辛うじて読める程度、裏表紙無しの状態でした。今回は、久々に友と会食をして来ました。新村さんの本は其の時のオマケです。友は元気だつた。

平成十八年十月廿三日

SKKを使ふ正字正かな派が一人増えた模様です。まだ試してはゐませんが、辞書サーヴァを落し込めば、複数の辞書を登録できる筈です。

平成十八年十月十五日

竹林さん、今回は災難だつたと思ひますが、正字正かなを使つてゐると、大なり小なり此のやうな事はあります。私が「反対意見への反論 (1)」を設置してゐるのは、一部の人には教へてあるのですが、正字正かな派の名誉恢復と啓蒙の為なのです。題名を見ての通り、此方から火種を提供する事はありません。特段あの頁を使つて議論をしたり、論戦をしたりしたいのではない事は茲に明記しておきます。又、今回の件は、「正字正かなの正」の記事の趣旨を確りと認識してゐれば、なんでもなかつたと思ふのですが、認識の甘い人がいい加減な事を垂れ流してゐる現状には歎かはしいものがあります。

平成十八年九月廿四日

"Wikipedia"ッて云ふのは、一つの記事に多数の人間が介在して編輯や改変が可能なシステムなんですよね。ッて言ふ事は、若し仮に正かなで私が其処に何かを書いたとしても、いつ何時に私の書いた記事が不正な「現かな」に書換へられるとも限らない訣ぢやないですか。其れは私の本意ぢやないから、今迄、あそこには書込んでゐないんですよね。慥かに参考にはなるんですよ。でも、自分が記事を書くとしたら、第三者に因る改変が無い部分での書込みならば許せるぐらゐです。

反対論者から「お前は何処其処で「現代仮名遣い」を使つてゐる」とか言はれたくないし。

平成十八年九月十七日

死後の世界が假にあるにせよないにせよ、絶對的な區切りを直視せず、その先を夢見てゐるやうでは現實が完成しない。

七鍵さん、死後の世界は在るかどうかは、まあどうでもいいでせう。認めるか否かは個人の自由です。若し死後の世界が無いと思つてゐて、死後の世界が存在したとしたら、其の衝撃は計り知れないものが在ると思ひます。死後の世界が在ると信じてゐて無かつたとしても、何も問題は在りません(何も無いんですから)。ならば、在ると思ふはうが現実的だと思ふのです。別に強制はしませんが、現世丈が全てかどうか、其れは、死後のお楽しみでいいんぢやないですか(?)。

「死後の世界を夢見る」よりも、如何に現実をどう生きるか。其れが大切なんだと思ふんですが。

本当に強制はしませんよ、私は。

平成十八年九月十日

"メールが着た" - Google 検索――約 37,000 件て何これ。

普通に「きた」を変換すれば出て来るものと思はれます。

正しくは「来た」です。明かな誤変換ですが、「ついた」を意味する漢字と字面が同じなので、間違へ易いのかも知れません。

平成十八年八月卅日

此の日、「国語国字用語集」の存在が明るみに出たやうです。

(昨晩更新した筈の部分が全て更新前の状態に戻つてゐたので、再更新しておきました。バックアップデータでサーヴァの再立上げでもしたのかな)

平成十八年八月廿九日

試にスタイルシートを入替へてみます。此のスタイル自体は借り物です。

平成十八年八月廿五日

舩木さんの所で紹介されてゐたので、早速入手して来ました。此の新刊本には、実際の『韻鏡』が参照用の図として掲載してあります。『韻鏡』は漢字音を知る手懸りになる大切な資料なのですが、其処には或る種の弱点が存在します。此の『韻鏡』と云ふ奴は、漢字の御本家では早々と失せてしまつたんですが、何故か日本には伝はつてゐたと云ふ不思議があります。

此の本の2頁の辺り、私と全く同じ事を書いてゐますね。別に之を読んで神代文字の記事を書いたんぢやないんだけど。あッ、さうさう、正字正かな批判への反論は「反対意見への反論」に適宜追加してゐます。自覚の在るお方は御確認願ひます。

平成十八年八月十三日

今夏の重版で、「たまのみはしら」が出てゐます。岩波文庫に収録された平田大人の著書は三冊在るのですが、やつと全て揃ひました。次は宣長さんのを揃へようと思ひます。

平成十八年七月十一日

此の本の中で大野晋さんが取材を受けてゐます。自身の研究が、橋本進吉博士の研究の延長線上にある事や、日本語とタミル語との関係については、百年後ぐらゐに理解されるであらう事(と云ふ事は、自身の研究が約百年先を突つ走つてゐると言つてゐるとも取れる)等、『日本語と私』を要約したやうな内容を話してゐる模様です。御判断は読んだ人にお任せします。

平成十八年六月廿五日

到頭、と云ふかやつと是を公開します。昭和21年11月16日と言へば終戦から数へて一年と三箇月、米国教育使節団の報告から七箇月と云ふ異例の速さでの制定です。表音主義者や漢字制限論者が如何に「絶好の機会」を逃すまいとしたのかが判ると思ひます。此の日を境に正字正かなは、日本語表記の表舞臺から追出されてしまひました。現在の日本語が歴史的に自然に此のやうになつたと説明してゐる書籍は例外無く大嘘吐きです。御注意あそばせ。

表記の都合上、第1水準、第2水準以外の漢字を多用してゐます。理解の便宜として"span"要素と"title"属性とで現在の字形を明示させるやうに致しました。

関聯頁

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