詞の玉垣 (題未定3)

公開 : 2009/01/01 © 平頭通

平成廿年十二月卅日

戦果抄録

《zip》は始めから諦めてゐたんで、真つ先に《千歳烏山第二出張所》へ行き玉砕。カッとなつて近くの壁サークルで「手乗りタイガーと一緒!」(18k) を入手。後、東館を一回り。「恋 ホワイトブレンド」は、こげどんぼ先生の新刊、「見せてね!」(18k) は[検閲削除]、「大泉学園妄想花嫁」は、あびゅうきょ先生の新刊、"manyukyua"は、くさなぎこより先生のイラストが在ると言ふので入手。少し東館をふら附いてから、西館企業ブースを一回りして、一階へ移動。先づ、《ゆず屋》へ顔を出すも玉砕、名詞を一枚頂く。歴史の辺りを一回りして、押井さんの所で、「どうして女の子のイラストばかり描くの?」を入手し、西館を散策。途中、「焼き肉焼き鳥恋物語」と「同人作家のためのフォントの本 破(2)」とを入手できた。「幸運星畫報」はなんと全編正字正かなで書かれたコピー誌、押井さんに此の事を現物を見せて教へたら、早速そつちのブースへ飛んで行つてしまつたw サークルの人は「レトロな味はひを出したくて」云々と言つてゐたが、かう云ふ試みを同人がやつてゐる事自体が素晴しい事だと思つた次第。

でも、朝は酷かつた。大体なあ、30日は07時前には既に到着してゐたんだ。朝早くから東館の北側の日蔭の歩道に取残される形で並ばされ、後から来た連中がどんどん東側の駐車場に這入つて行くのを指を銜へて見てゐたあの時は本当に辛かつたんだ。やつと這入れると云ふ時には、もう既に追越して行つた連中は大手サークルに大挙して並んでたな。態々地元の一番電車に乗つて駈け附けたのが水泡に帰したのが誠に残念でならない。結果論は言はないが、次回からは順番を違へる事の無いやうに「コミックマーケットのスタッフ」には十分注意して頂きたいと願ふ。まあこんな弱小サイトの管理人のボヤキなど見てゐないだらうが一往記録と記憶に残して置く。

平成廿年十二月廿四日

昨日、天長節の慶き日、或る報道が舞込んで来ましたので其れに絡めて、

文科省高官 「海外に出ても即戦力となる人材を育成すべく盛込みました」

新橋駅前のサラリーマン 「へ〜、知らなかつたなあ。俺等ん時はそんなの無かつたし、どうせ「ゆとり教育」みたいに後で見直し掛かつてなくなるんぢやないの、ハハハ、カーチャン観てるう、お土産買つて行くからねえ」

女子高生 「えー、あたし英語苦手なのよねえ、止めて欲しいなあ」

平成廿年十二月十五日

第11条 怨恨その他の悪意の感情を充足する目的で、反復して、つきまとったり、無言電話をかける行為等を禁止しました。

例の件、「悪意の感情を充足する目的」と云ふ点を含め、条件には十分合致してゐると判断しますが。

平成廿年十二月十一日

早速入手。兎に角、素晴しいの一言に尽きる。多色刷りが嬉しいね。

平成廿年十一月廿五日

「(新)常用漢字の新字旧字「艶」と「艷」 」について

「豐・艷」と「豊・禮・醴・體・鱧」とは、本来系統の違ふ文字なのだから、区別して扱ふべきものです。「広・砿・鉱・弘・仏・払」等、同系列でもない漢字が、見た目同系列のやうな格好をして世間に罷り通つてをります。好い加減こんなのは止めにしませう。

平成廿年十一月十八日

ロダNe_37390.lzh、(anthy.dic 5.7Mbyte) 取敢へずの叩き臺。キーはanthy

平成廿年十一月十三日

ただ政治運動として面白いから護憲運動をやつてゐるに過ぎない。現行憲法無效論を叩いてゐる連中も、政治問題として言爭ひをするのが面白く、そこで敵の論者を叩くのがやり易いから叩いてゐるに過ぎない。本氣で憲法の事を考へて議論してゐる日本人は一人もゐない。

現在の「日本国憲法」が無効である件は同意、論についても大筋は同意。唯、現行憲法の護憲を謳つてゐる連中が、現行憲法の全条項について護憲であるかと云ふとさうぢやないと思ふ。少くとも天皇条項は彼奴等の意識から除外されてゐる筈。其の点を取つても護憲運動なんてもんは欺瞞であり、真意を隠蔽した扇動の為の運動である事は明か。

現行憲法無効論を手続きの点で論難する奴もゐるが、現行の「日本国憲法」の成立手続きについて同様の論難を加へないのは其の論者の片手落ちだと私は見てゐます。日本が確りとした独立国家ではなかつたGHQ占領の時期に、独立国家としての要件の一つである処の憲法が改正される事自体が異常である事を、現在の全ての日本国民が知る必要があります。其れを知れば「現行憲法改正論」の茶番である事も自づと判る筈。

平成廿年十一月十一日

QRコード 洒落と酔狂でケータイサイトを作つてみました。

平成廿年十一月五日

HDD供養の件。心当りと言つたら、神田明神でせう。秋葉原電気街が氏子の地域になつてゐるさうですし、其れに因んでか「IT情報安全守護」なんて言ふ御守も扱つてゐるやうです。打つて附けの御守ですね。唯、HDD供養を扱つて呉れるかどうか微妙な所でせう。で、供養と言つたら仏教のイメージが在るんだけど、神道だと鎮魂かなあ。鎮魂だと黄泉へ行かうとする魂を呼戻すイメージだから之も違ふなあ……。何だろ。

平成廿年十一月一日

最近の世間の話題に就いて幾つか……

「常用漢字表の見直し」の件、正直こんな表現の自由を抑圧するやうな漢字表は要らないと思つてゐます。ですので、文化審議会のなんたら部会で審議して、「この漢字は必要、だけどこの漢字は要らねえ」とか「この漢字に新しい読み仮名を認めてやる」とか、はつきり言つて何うでも宜しい。文化審議会ッてのは、文部科学省設置法に基づいて設置された審議会なんですよね。であるならば、文化審議会内で現在審議されてゐる「常用漢字表」が内閣告示なのは行政の管轄からしてをかしい訣ですが、其処ら辺、皆さんなんとも思つてゐないんでせうかね。文化審議会のなんたら部会で審議してるんだから精々、文部科学省告示が妥当な線でせう。で、文部科学省告示であるならば、其の位置附けは「教育漢字」となるんですが、まあ其処は其れ。「常用漢字表の見直し」の関聨で私が注目してゐるのは、表の名称の直後に来る其の「漢字表」の作成意図、詰り前書きの部分にあります。現在は「一般の社会生活において現代の国語を書き表すための漢字使用の目安を、次の表のように定める」となつてゐますが、之が又制限漢字に逆戻りされちやあ溜つたもんぢやありませんから、最低限此の部分だけでも見張つておかねばならないと思つてゐます。

今一つは、日本語入力やかな漢字変換に関する環境の件、現状はどう甘く見積つても正字正かな入力に優しいと呼べるソフトが在りません。辛うじてATOKが文語モードを搭載してゐるのと、「契冲」と呼ばれる正字正かな入力ソフトが細々と売出されてゐるぐらゐでせうか。後はSKKの正字正かな入力用の辞書が幾つかリリースされてゐるのを確認してゐますが、之は変換方式に若干の慣れが必要なのがネックになつてゐるやうです。私が今注目してゐるのは、Unixに源を発する"WinAnthy"です。まだまだ不安定要素の多いソフトですが、安定して来たら、正字正かな入力用のシステム辞書を作るのもいいんぢやないかと思つてみたりしてゐます。一往、システム辞書(anthy.dic)の作り方や品詞の種類なんかは調べが附いて居るんで、後はちやんと使へる物がリリースされるのを待つてゐるやうな感じです。正字正かな入力用辞書作成で一番のネックはハ行四段活用動詞の登録です。現状は、"H5"や"H5r"の品詞が無いので、夫々の活用毎に登録してやんなきやならないから、辞書が無駄にでかくなつてしまひます。蛇足ですが、WinAnthyの開発チームは、定期的にコミケで発表を行つてゐるみたいですね。

今日は久々に神田に出掛けたいと思つてゐるんですが、

平成廿年十月十五日

「平成疑問かなづかひ」の高崎さんからお呼びがあつたやうですので、少々記録しておきます。先づ、件のウェブページの名称からして、白石氏の著作に対しての感想が主な目的のページになるのだらうと思はれます。私も白石氏に対する批判めいた内容をサイトに書き記してはゐますが、其の手のページから呼出されるやうな事は無いと思つてをりました。で、「反論をどうか宜しく」との事なんですが…

字音仮名遣については私なんかより見識が深い高崎さんに反論はありません。「「この惡魔の規範(112〓)」と思ふ著者は、きっと字音に興味がないのであらう。」と、然う云ふ考へ方もあらうかとは思ひますが、どちらかと言ふと、「ほーら現代仮名遣はこんなに便利で簡単なんだ、だから煩雑この上ない字音仮名遣は止めて正解だッたのさw」と云ふ見方をしてゐるんだと理解してゐます。筆者が字音仮名遣と「現代仮名遣」とでどちらに興味を強く示してゐるかと言へば、間違ひなく「現代仮名遣」のはうでせう。

あと、「一言で表現すると「中世の感覺」である」の意味が解りません。「中世の感覺」とは具体的にどのやうなものなのか、対立する感覚とは一体どのやうなものなのか、「中世の感覺」とは悪い概念なのか好ましい概念なのか。と言ふか、高崎さんのお持ちの感覚が把握できてゐません。

で、高崎さんは「字音仮名遣にもつと注意を払ふべきだ」と云ふ御意見をお持ちなのは、以前から存じてをります。私は「漢字仮名交じり文で書く場合、漢字で書かれる部分よりも、かなで書かれる部分のはうが仮名遣として重要になります」と書きました。物事に優先順位を附ける場合を考へれば、此のやうな書き方になるでせう。字音仮名遣も当然大切なものです。併し乍、漢字仮名交じり文の表記を使用してゐる現代では、表記として現はれる助詞や助動詞や用言の活用語尾の仮名遣は不断から目に触れる訣ですから優先度が高くなるのは当然でせう。あと、煩雑な部分は概して体言や用言の語幹の仮名遣に多く見られます。さう云ふのを纏めてボンと出されると何も知らない人から見れば「なんだ、こんな面倒臭ぇ物はいらねぇ」となつて逆効果です。納得し易い部分から徐々に拡げて行くのが賢い遣り方なんではないかと思ふんです。まあこんな感じで意見として出しておきます。

平成廿年七月廿二日

先日十四日、国語学者の大野晋さんが逝去されたとの報せがありました。謹んで御冥福をお祈り申し上げます。

関聯頁

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