「ダ・ヴィンチ・コード」(Sony Pictures)より更に強力な異端を御紹介します。
グノーシス(gnosis)主義は、紀元二世紀前後に欧羅巴や中近東を席巻した一種の思想を云ひます。叡智を認識(グノーシス)する事が目的の思想です。正統を標榜する羅馬教会の基督教からは、「最大の異端」として敵対視されてゐました。然し乍、皮肉な事に此の思想が存在する事に依り、其の頃は漠然としてゐた基督教の教義の輪郭がはつきりとしたものになつたのは、事実として疑ふ餘地がありません。新約正典の確定も然り、三位一体論も然りです。異端の存在が、基督教の教義を強化して行つたのだと云ふ事実を捉へる為にも、此処に示した事柄を知つておく必要はあると思ひます。
グノーシス主義にも色々な宗派が在つたのですが、此処では紀元二世紀頃の基督教グノーシス主義を中心に其の基本となる部分を簡単に述べておきたいと思つてゐます。
グノーシス主義の世界観を表す独特の用語等を一覧にしてみます。簡単に言へば、アイオーンは完全な神で、対するアルコーンは神としては不完全な存在とされます。
グノーシス主義は、古代の埃及か希臘の辺りに起源を持つと思はれますが、正確な所は解りません。唯、其の考へ方に途方もない包容力が在る為に、周辺に存在する色々な宗教を取入れて行き、色々な宗派が各所に構成されて行つたやうです。代表的な所では、基督教グノーシス主義や猶太教グノーシス主義、希臘神話を元にしたグノーシス主義など、様々に存在しました。此処では、其れ等の基本となるグノーシス主義の思想を簡単に述べたいと思ひます。
グノーシス主義では、様々な思想や宗教を取込んで行きます。古代希臘羅馬神話、ヘルメス文書(ポイマンドレース等)、新プラトン主義(プロティノス)、猶太教、基督教、其の他諸々の思想や文献を参照して形を変へつつ自らの思想其のものを形作りました。
グノーシス主義では、この世(宇宙)を不完全な存在として捉へてゐます。其れは、神とするには不完全な存在のデーミウールゴス(造物主)が造つた世界だから、仕方のないものだと云ふ考へ方です。そして人間は、不完全な物質世界であるこの世に落込んでしまつた存在だと云ふ風に理解します。
この世は不完全な世界だから、悪い事や嫌な事や困難な状況などが色々と起つてゐるのだと考へてゐます。完全な神がこの世界を造つたのならば、此のやうな事は起らずに済んだのではないかと考へます。
基督教や猶太教の唯一神ヱホバ(ヤハウェ)を、ヤルダバオートと呼び、この世を造つた第一のアルコーンと云はれるデーミウールゴスとして統合してしまひます。希臘羅馬神話の神々や天使なども、アルコーンの一種になつてしまひます。グノーシス主義は、様々な宗教の神々を全て、不完全な存在とされるアルコーン(支配者)として統合して行き、其れらの宗教の世界観をも取入れて其の世界観を元にデーミウールゴスの造つた不完全な世界として把握する事に依り、其れらの宗教に侵蝕して行く思想でした。
又、この世の外側にはプレーローマ(充満)と呼ばれる至高神が支配する完全な世界が拡がつてゐると、グノーシス主義を信奉する人々は信じてゐます。人間の霊の故郷はプレーローマだと信じられてゐました。残念な事は、この世はデーミウールゴスが造り出した世界なので、プレーローマに存在するアイオーン達には手出しが出来ません。人間はこの世にゐる限り、アイオーンからの助けは望めないと云ふ事になります。然し乍、ソーテール(救済者)と呼ばれる人がプレーローマからこの世に出現して、グノーシスを働き掛ける事が起ると信じられてゐました。
此のやうに、プレーローマとこの世を別けて考へる思想を特に反宇宙的二元論と呼んでゐます。
人間の肉体とプシュケー(魂)は、デーミウールゴスが創造した不完全な代物だと考へてゐます。然し乍、人間のプネウマ(霊)は、プレーローマに由来する存在で、其の事を認識する事がこの思想には求められてゐたやうです。其れが不完全な世界に落込んでしまつた人間が救済される方法だと云ふ事なのです。
魂は、五感を司る肉体の働きを云ふのでせう。又、霊は、人間の思ひや考へ等の思考を云ふのだと思はれます。霊を高める為には論理的な思考が必要とされると思ふのですが、実際はどのやうだつたのかは判りません。
人間の死については、死後其の人の霊はプレーローマに帰つて行くと信じられてゐたやうです。
人間の肉体は不完全な代物だと云ふ考へから発して、肉体は邪悪だと考へ禁慾主義に走る宗派も在れば、逆に肉体は汚されるべきだとして放蕩に走る宗派も在つたやうです。
救済については、二種類の方法が在るとされてゐました。一つは、自分の内部に在る霊に依つて自ら叡智を認識(グノーシス)する方法です。グノーシス主義の主張する世界観や人間観を確りと把握する必要があります。
もう一つは、ソーテールに依る働き掛けに基づいて叡智を認識する方法です。各宗派のグノーシスに達した指導者などが働き掛けを行つてゐたとは思はれますが、基督教グノーシス主義の場合は、基督がソーテールとして認知されてゐたやうです。其の為、「トマスによる福音書」や「真理の福音」などソーテールの言葉を集めた様々な新約聖書の外典が著されました。現在は、ナグ・ハマディ写本のグノーシス主義関聯文書群や異端反駁の為に書かれた中世基督教文書での引用などから、之等の新約外典の内容が知られてゐます。
基督教グノーシス主義にとつての基督(キリスト)は、プレーローマからこの世に遣はされたソーテールと看做されます。従つて、霊としてのキリストの存在のみを認めるので、この世の肉体としてのイエスとは全く別の存在と認識されます。グノーシス主義の新約外典などでは、基督が子供の姿で現れるやうな場面も在りますが、之は霊としての基督が重要なのであつて、この世の姿には全く関係しないとの考へから来たものなのでせう。基督は完全に霊的な存在ですから、グノーシス主義では基督の復活も否定されます。此のやうな思想を基督仮現論と呼びます。
グノーシス主義が、仏教に似てゐると指摘される事があるのですが、内容を検討して行くと、全く異なる思想である事が解ります。グノーシス主義の根柢には、此の世の中に対する極限迄の悲観的姿勢が見て取れるのですが、仏教の根柢には其のやうな悲観的姿勢は見受けられません。ブッダの言ふ悟りと、グノーシス主義の救済とは全然違ふ考へ方である事を認識する必要があります。
この世の創造についてグノーシス主義では大体次のやうに説明してゐます。先づ、プレーローマにソフィア(智慧)と呼ばれるアイオーンがゐます。ソフィアは自身の慾望に衝き動かされ、誤つた創造をしてしまひます。其の結果、醜いデーミウールゴスを産出してしまひます。ソフィアは自らの行ひを恥ぢて、プレーローマの外部へデーミウールゴスを投棄するのですが、デーミウールゴスは自らの無知から、不完全な物質世界「この世」を創造してしまひました。以上が、グノーシス主義で言ふ天地創造の核心です。
至高神のゐるプレーローマと、デーミウールゴスが中心に居坐る不完全なこの世とを、完全に分離して考へるのが、グノーシス主義の神話や思想の特徴です。
グノーシス主義には色々な宗派が在つたやうです。簡単に列挙してみます。
邦訳されてゐる物を中心に御紹介します。カトリックやプロテスタントや東方正教会などの正統教会諸派では、教義の相違などから之等の文書を禁書扱ひしてゐますが、基督教の成立過程を知るには避けては通れない文書群です。
「オフィス派」の項目で悪魔崇拝と云ふ言葉が出て来ました。悪魔崇拝は、本来敵対する相手を悪魔の力を借りて破滅に追込む事を云ひ、崇拝する側は様々な魔術を駆使するのですが、「オフィス派」の場合は、「創世記」の蛇を神の使ひの救済者として見てゐる為、厳密には悪魔崇拝とは云へません。飽く迄も正統教会の側から見た状況として「悪魔崇拝」とされた丈です。
出来立ての正統教会にとつて、グノーシス主義は最も危険な異端として執拗に排斥されました。詰り之まで述べて来たやうに、グノーシス主義には、危険視される丈の強固な思想基盤が在つた訣なのです。正統教会は、此のやうな異端に確りと対抗できるやうにする為に基督教神学を確立させて来ました。又、グノーシス主義に内在する問題点も在ります。思ふに、無節操に其の土地土地の土着の宗教を採り入れたが為に、地域毎に教義の内容が変化し易かつたでせうし、この世を悲観的に観察する面其れ自体も単純に受入れられるやうな教義ではなかつたと推察されます。正統教会や其れに附随する西欧の近代思想は、中世の「カタリ派」もさうですが、常に異端からの干渉に晒されるやうな土壌で育まれて来たと云ふ点を理解せねばなりません。日本は其のやうな土地ではないので、様々な外来の宗教は、神道を土臺とする日本文化に吸収されてしまひます。
現在の神秘思想などもグノーシス主義の系譜に載せられてゐる場合がありますが、厳密に云ふとグノーシス主義の生残りは「マンダ教」しか在りません。然し乍、プレーローマに対比できる「霊界」や「死後体験」や大乗仏教等で信じられてゐる「輪廻転生」等の考へ方は、部分的に考へればグノーシス主義の所産とも言へるかも知れません。
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