にごりえ」の場合

言葉の事を考へるのに、實際に使つたのかどうかも判らないやうな例を引合ひに出して、喧々囂々としても仕方ないので、此處では實際の例に即して話を進めたいと思ひます
先づは樋口一葉の「にごりえ」から引用です。

客は結城朝之助とて、自ら道樂ものとは名のれども、實體なる處折々に見えて身は無職業妻子なし、遊ぶに屈強なる年頃なればにや是れを初めに一週には二三度の通ひ路、お力も何處となく懷かしく思ふかして三日見えねば文をやるほどの樣子を、

ニートの結城さん、何故かもててゐる御樣子の段です
私には何とも羨ましい限り。

先づは「通ひ路」、之は「カヨイジ」と讀みますが、イを「ひ」と書きます。「通ひ」は、通はない・通ひます・通ふ・通へば、と活用するハ行四段活用動詞だからです。
又、「思ふ」も同樣にハ行四段活用動詞ですので、思はない・思ひます・思ふ・思へば、と活用します。

其れから、「見えて」や「見えねば」なる言葉が在ります。之はヤ行下一段活用動詞ですから、見えない・見えます・見える・見えれば、と活用します。之を語中語尾のハ行音の積りで「見へて」とかやると恥晒しになつちまひます

以下は參考程度。
結城の假名遣は「ゆふき」
道樂(ダウラク)は略字で「道楽」
實體はジッテイと讀んで略字で「実体」
處は略字で「処」ところと讀む
路の假名遣は「ぢ」
何處と書いて「どこ」と讀む
懷かしの略字は「懐かし」
樣子(ヤウス)は略字で「様子」


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