「文語譯聖書」の場合

今囘は聖書です

十字架に懸けられたる惡人の一人、イエスを譏りて言ふ『なんぢはキリストならずや。己と我らとを救へ』他の者これに答へ禁めて言ふ『なんぢ同じく罪に定められながら、神を畏れぬか。我らは爲しし事の報を受くるなれば當然なり。されど此の人は何の不善をも爲さざりき』また言ふ『イエスよ、御國に入り給ふとき、我を憶え給へ』イエス言ひ給ふ『われ誠に汝に告ぐ、今日なんぢは我と偕にパラダイスに在るべし』

基督教の聖典、『文語譯聖書』です。新約聖書は手頃に入手可能ですし、漢字は聢した正字体を使用してゐますので、部分的な漢字の字體を確認したい時にも重寶します。引用箇所は、「ルカ傳福音書」の第二三章、イエスが無實の罪で十字架に架けられてゐる場面です。

其れでは例によつて。「言ふ、救へ、給ふ、給へ」は、ハ行四段活用動詞です。「給ふ」は現代語で言ふ處の「して下さい」程度の意味です。

「汝」の假名遣は、「なんぢ」です。「な」と讀む事もありますが、「なんぢ」と讀む場合はダ行の「ぢ」を遣ひます。

「答へ」は、ハ行下二段活用動詞です。文語なので、終止形ならば「答ふ」になります。

「パラダイス」は、日本語で云ふ「天國」の事です。佛教的には極樂淨土、神道的には黄泉國、希臘神話的には冥府が似た概念ですが、夫々微妙に相違します。

以下は參考程度。
惡人は、略字で「悪人」
譏りての讀みは、「そしりて」
禁めては「いましめて」と讀み、戒めの事
爲ししは、「なしし」と讀む、「ため」とは讀まず
爲は、略字で「為」
報(むくい) はヤ行の「い」
當然(タウゼン) は、略字で「当然」
御國は、略字で「御国」
憶えはヤ行の「え」、終止形「憶ゆ」
今日の假名遣は「けふ」
偕にの讀みは「ともに」、共にの事


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