樺太郵便の歴史

開設 : 2007/02/08 © 田村尾(平頭通)

樺太の郵便局の歴史を年表形式で御紹介します。

此の歴史は、新樺太市役所の提示する史観に基づいて構成されてゐます。又、可能な限り並列世界の歴史を取入れてゐます。

樺太郵便の歴史年表

明治四十年(1907)
四月一日、軍政廃止により樺太庁発足。樺太廳郵便電信局、ウラジミロフカ支局、マウカ支局外五局、軍政より引継ぐ。
大正五年(1916)
十月一日、簡易生命保険創業
大正九年(1920)
五月、尼港事件勃発、沿海州ニコライエフスクで多数の日本人が惨殺される。此の事件に合せて、北樺太に野戦郵便局が数年間設置される。
第五十野戦郵便局(亜港)
第五十一野戦郵便局(類古府)
第五十三野戦郵便局(デルピンスコエ)
大正十一年(1922)
ソヴィエト聯邦(СССР)成立
昭和二年(1927)
日ソ郵便交換開始
昭和十八年(1943)
四月一日、樺太庁が廃止され内地に編入。樺太の郵便局は、逓信省の管轄となる。

之より並列世界の歴史とは異なります。

昭和二十年(1945)
八月廿日、真岡電話交換手毒物所持事件。真岡郵便局の電話交換手として勤務する九人の女性が勤務中、青酸カリ等の毒物を所持し乍、仕事に従事してゐた事が発覚。毒物を没収の上、処分を待つ身とされたが、当時の局長の寛大な措置により、九人全員厳重注意のみで不問となる。ソ聯軍が樺太に侵攻して来ると云ふデマを真に受けてしまつたとの専らの噂である。
昭和廿二年(1947)
郵便法公布
此の頃、気屯郵便局と北樺太オノール郵便局との間で行はれてゐた北緯五十度の日ソ郵便交換がソ聯の一方的な決定で廃止される。
昭和廿三年(1948)
巴里万国郵便条約公布
昭和廿四年(1949)
六月一日、郵政省発足、電気通信事業と分離。
簡易郵便局法施行、樺太では施行とほぼ同時に十局の簡易郵便局が開局。
お年玉付郵便葉書発行
昭和廿五年(1950)
暑中見舞用郵便葉書発行
昭和四十一年(1966)
真岡郵便局に終戦当時の電話交換臺が保存状態の良好な侭、放置されてゐたのが判明。郵政省は逓信総合博物館の職員を派遣して、歴史的遺物として同博物館に移送する事を希望するも、樺太の地方議会で引渡し拒否の方針を決定。移送を断念する。
昭和四十六年(1971)
豊原郵便局が豊原中央郵便局に昇格。
昭和五十一年(1976)
川上炭山郵便局を廃止し、川上炭山簡易郵便局を開局。
此の時期、炭鉱の郵便局が軒並み簡易郵便局化する。
昭和五十四年(1979)
豊原国際空港拡張に伴ひ、豊原空港内郵便局を開局。
昭和五十五年(1980)
豊原中央郵便局を皮切りに郵便貯金のオンライン化開始。島内初のATMを設置。
昭和六十一年(1986)
鉄道郵便局廃止
ソ聯のゴルバチョフ書記長がペレストロイカ(再編)の方針を打ち立てる。
平成元年(1989)
気屯郵便局古屯分室を廃止、古屯郵便局が特定集配局として新たに開局。同局の風景入り通信日附印の使用開始。
古屯郵便局と北樺太オノール郵便局との間で、日ソ郵便交換が再開される。
平成三年(1991)
ソ聯崩壊
十二月廿六日、露西亜共和国建国
平成八年(1996)
新樺太国際空港開港により、新樺太空港内郵便局を開局。
平成十年(1998)
最後まで残つてゐた内幌炭山簡易郵便局のオンライン開通で、全樺太郵便貯金オンライン化完了。
平成十二年(2000)
古屯郵便局の局舎を建替へて、二階に新たに樺太逓信博物館を設置。真岡郵便局に保管されてゐた電話交換臺を移送して展示物の目玉とする。其の外、丸型ポスト(実際に利用可)や為替貯金窓口会計機、尼港事件当時の軍事郵便やオフライン通帳などを展示。
平成十三年(2001)
一月六日、郵政事業庁発足
一月廿九日、亜港に日本国領事館を設置。日本人観光客誘致を条件としてラック岬に領事館用の敷地を確保。
平成十五年(2003)
四月一日、日本郵政公社発足。之に伴ひ樺太郵政では、郵趣家に積極的なアプローチを展開する独自の方針を打ち立てる。『旅行貯金用郵便貯金通帳』は此の方針から立案される。樺太郵政局貯金課より、主務者印押印拒否禁止の通達を発出。
八月一日、ラック岬の日本国領事館敷地内に古屯郵便局拉喀埼分室を開局。夏の間だけ普通郵便及び両替の業務を開始する。同時に、樺太独自の記念切手の発行を開始。
平成十七年(2005)
一月廿四日、新樺太市政開始に伴ひ、古屯郵便局を新樺太郵便局に改称。
平成十九年(2007)
二月三日、新樺太郵便局のウェブサイトを開設。

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