北樺太地名比較

此処では地名が言語の相違によつてどのやうに変化するかの実例を一覧にしておきます。日本語・支那語・露西亜語・英語の四箇国語を同じ地域と比定される名称で横に並べました。キリル文字は馴染みが薄いと思はれるので、英文字に翻字しておきます。地名程度は世界で統一できれば理想ですが世の中さう甘くはないと云ふ意味で受止めて頂ければ結構です。

一覧

日支露英、北樺太地名比較
日本語 かなづかひ 支那語 読み方 露西亜語 英文字翻字 日本語読み 英語
樺太 からふと 庫頁島 クエ島 Сахалин Sakhalin サハリン Sakhalin Island
幌渓 ほろこたん 普隆靄 プルナイ Пильво pil'vo ピリヴォ
後戸 のちと 特肯(特懇) トイク Мыс Тык Mys Tyk トイク岬 Cape Tyk
間宮海峡 まみやかいけふ 韃靼海峽 ダッタン海峡 Татарский пролив Tatarsky Proliv タタール海峡 Strait of Tartary
間宮迫門 まみやのせと пролив Невельского Proliv Nevel’skogo ネベリスコイ水道 Nevelskoy Strait
夏子 なつこ 拉哈(拉喀埼) ラッカ岬 мыс Лах Mys Lakh ラフ岬 Cape Lakh
和牙 わげ (汪艾) ワンゲ мыс Уанги Mys Uangi ウアンギ岬 Cape Uangi
鉾部 ほこべ 博和畢(白活必) ポホビ Погиби Pogibi ポギビ
鵞小門 がをと 庫艾格達岬 クエグト岬 Мыс Елизаветы Mys Yelizavety エリザベス岬 Cape Elizabeth
弁連戸 べれんと 皮倫圖(披倫兎) ビレント Залив Пильтун Zaliv Pil'tun ピリトゥン湾 Gulf Piltun

補註

樺太(からふと)
江戸時代でも当初は「カラフト」と呼ばれてゐたが、江戸時代後期に「北蝦夷地(きたえぞち)」と呼ばれるやうになつた(文化六年)。明治に這入り「樺太」に戻された(明治二年)。
島である事を強調する意味で「樺太島」と云ふ表記を以て呼ばれる事もあるが、本州・九州・四国・北海道・台湾等と同様、「島」を附けずに樺太と呼ぶのが正規の呼称である。
間宮海峡(まみやかいけふ)
外満洲の東岸と樺太の西岸との間に在る陸地に挟まれた海域を言ふ。北側の鄂哥都加(オホーツク)海と南側の日本海とを結ぶ南北に細長い海域となつてゐる。独逸の医師シーボルトが命名し、氏の著書により欧洲世界に紹介された。命名の由来は、間宮林蔵が渡樺し樺太が島である事を世界で始めて確認した事実に基づくとされる。日本人が勝手に名づけた地名ではない事に注意されたし。
此の海峡を北から細分した場合、鄂哥都加(オホーツク)海に面した「樺太湾」、其の南部に這入つた所の「黒竜海湾」、更に南に最狭部とされる「間宮迫門」、最狭部を抜けた南側に拡がる南部の「間宮海峡」の四つに分けられる。海峡南部には樺太の附属島嶼とされる海馬島が浮ぶ。
夏子(なつこ)
樺太最西端の岬。後戸の北側の対岸に位置する。岡本監輔の『窮北日誌』では、泣子(ナツコ)と表記されてゐる。『大日本地名辞書続篇』では、大見出しで拉喀埼(ラツカ)とし、本文中に、リヤック埼・夏子(ナツコ)・ナッコ・ナツカウ等とあり、皆、同じ岬周辺を言ふ地名とされる。『北蝦夷図説』には、ノテトの次なる者をナツコといふ(スメレンクル夷ラツコと称す)と在り。発音が転じたものと解される。夏子(なつこ)も拉喀(ラツカ)も、中程の「つ」は促音に読むのが正しいとされる。間宮林蔵の言ふ「ナツコ」「ラツカ」は此の地を指し、此の岬から海路で大陸の東韃(とうだつ)へ渡つた。
弁連戸(べれんと)
縫江から北へ音沓戸に至る間に在る東海岸沿ひの大きな湖沼。『窮北日誌』では、辨連戸(ベレント)と表記されてゐる。『兵要日本地理小誌』では、地図に弁連戸、本文中には辨連戸(ベレントウ)と表記される。又、『大日本地名辞書続篇』では、大見出しで辨連湖(ベレン)とし、本文中に辨連沼(ベレントウ)の表記あり。高橋景保の著書に「披倫兎(ビレント)」の表記ありとすれども清人の記述を借用したものと解される。間宮林蔵の言ふ「ヒレントー」は此処かと。
普隆靄(プルナイ)
清朝の書物に記録されてゐる地名。清朝が認知してゐた庫頁島(樺太)の地名の中では最南端に位置する。因みに、庫頁島のかなづかひは「くえたう」。

後註

日本語の地名
北方地域の日本語地名は、岡本監輔の『窮北日誌』と『兵要日本地理小誌』と『大日本地名辞書続篇』とを参照してゐる。樺太保障占領期の地図等も一往参考にはしてゐるが、其の当時の地名は露西亜語の地名をカタカナで書き写したものなのであまり積極的には取入れない事にした。間宮林蔵の資料も地名の読み方として参考にした。
又、『大日本地名辞書続篇』に掲載の地名には、支那語に依る表記と思はれる地名も散見される。日本語の字音から類推して余りにも懸離れた表記となつた地名は除外した。日本語として安心して読める表記を採用するやう努めた。
かなづかひに就ては、当時の資料に即して当て嵌めるやうに心掛けた。資料は全て「 戦前のもの」なので、「現代仮名遣い」では書かれてはゐない。従つて必然的に本来のかなづかひで書かれる事になる。
支那語の地名
庫頁島の支那語地名は、一次資料が入手できないので、支那語のウェブページを参照して極力清朝当時に使はれてゐたと思しき伝統的な地名を拾集した。又、『大日本地名辞書続篇』に掲載の地名には、支那語に依る表記と思はれる地名も散見される。其処で一往参考例として支那語と判断した地名を括弧附きで追記する事にした。尚、戦前は簡体字が存在しないので繁体字で表記しておいた。
日本語による読み方に就ては、『大日本地名辞書続篇』に掲載のものを採用した。外来語なのでカタカナ表記とし、島や海峡や岬など読み方が省略されてゐる部分は漢字のまゝとした。


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