基礎用語集

近頃、左翼的な用語(左傾用語)が幅を利かせてゐるので、左傾用語を正す意味で確りとした日本語の語彙を提示しておきます。一部の人からは「差別語だ」とか言つて来るかも知れませんが、其れはあんた方が勝手にしてゐる定義であつて不当な言はれやうであると指摘しておきます。一往、参考として本来の差別語も提示しておきます。ネット保守とかネトウヨとか言はれる方々も此処の一覧に提示した言葉を使ひ切れてゐないのは残念な事だと思ひます。

用語集(朝鮮・支那・露西亜)
左傾用語 語彙 正字 かなづかひ 備考
朝鮮半島 朝鮮 てうせん 「韓半島」とは言はない
北朝鮮 北鮮 ほくせん 飽く迄も地域名
韓国 南鮮 なんせん 同上
韓国人 鮮人 せんじん 差別語は「チョン」
韓国人の悪人 不逞鮮人 ふていせんじん
北朝鮮人民 鮮人 せんじん
韓国語 朝鮮語 てうせんご 「ハングル語」なんてものは無い
ハングル 諺文 おんもん
ソウル(首爾) 京城 けいじやう 伝統的な支那語では「漢城」
ピョンヤン 平壌 平壤 へいじやう
百済(ひゃくさい) 百済 百濟 くだら
新羅(しんら) 新羅 しらぎ
高麗(こうらい) 高麗 こま
任那(にんな) 任那 みまな 任那日本府
白村江(はくそんこう) 白村江 はくすきのえ
キムチ 朝鮮漬 てうせんづけ
従軍慰安婦 捏造慰安婦 ねつざうゐあんふ 朝日新聞が捏造した
徴用工 偽徴用工 僞徴用工 にせちようようこう 実際は募集工との由
輸出規制new 輸出管理強化 ゆしゆつくわんりきやうくわ 優遇から2004年以前の状態に戻す措置
中華人民共和国 支那 しな 飽く迄も地域名、要するに「チャイナ」
中華民国 台湾 臺灣 たいわん 台湾の政府は中華民国政府
中国 中國 中華民国の略称、中華人民共和国の略称
中国共産党 中共 ちゆうきよう
中国人 支那人 しなじん 所謂漢民族、差別語は「チャンコロ」
中国語 支那語 しなご
西蔵自治区 チベット 支那の範疇ではない
新疆ウイグル自治区 東トルキスタン ひがし- 同上
内蒙古自治区 南モンゴル みなみ- モンゴル国の更に南側の地域
高雄(カオシュン) 高雄 たかを 台湾、訓読み
玉山 新高山 にひたかやま 台湾、富士山よりも高い山
厦門(シャーメン) 厦門 廈門 あもい 福建省
中国東北部 満洲 滿洲 まんしう 「満州」は誤記、また正確には「南満洲」
華北 北支 ほくし
華中 中支 ちゆうし
華南 南支 なんし
東シナ海 東支那海 ひがししなかい 漢字で書く
南シナ海 南支那海 みなみしなかい
フランス領インドシナ 仏領印度支那 佛領印度支那 ふつりやういんどしな 略して「仏印(ふついん)」
支那そば 支那蕎麦 支那蕎麥 しなそば ラーメンと同義
メンマ(麺麻) 支那竹 しなちく
南京大虐殺 南京事件 なんきんじけん 支那語では「南京大屠殺」
日中戦争 支那事変 支那事變 しなじへん
日華事変 支那事変 支那事變 しなじへん
太平洋戦争 大東亜戦争 大東亞戰爭 だいとうあせんさう
第二次世界大戦 大東亜戦争 大東亞戰爭 だいとうあせんさう 日本が関係した部分のみで
ロシア人 露西亜人 露西亞人 ろしあじん 差別語は「露助(ロスケ)」
サハリン(薩哈嗹) 樺太 からふと
サハリン北緯50度以南 南樺太 みなみからふと 日本国政府は帰属未定としてゐる
サハリン北緯50度以北 北樺太 きたからふと 樺太千島交換条約以降露西亜版図
得撫島以北占守島以南 千島列島 ちしまれつたう 日本国政府は帰属未定としてゐる
北方領土 北方領土 ほくぱうりやうど 日本の北海道の一部、国後・択捉・歯舞・色丹
クリリスク 紗那 しやな 択捉島
ユジノ=クリリスク 古釜布 ふるかまつぷ 国後島
マロ=クリリスク 色丹村 しこたんむら 色丹島
セヴェロ=クリリスク 柏原 かしはばら 幌筵島
ユジノ=サハリンスク 豊原 豐原 とよはら 南樺太、旧称「ウラジミロフカ」
コルサコフ 大泊 おほとまり 南樺太、旧称「ポロアントマリ」
ホルムスク 真岡 眞岡 まをか 南樺太、栃木県のはうは「モーカ」読み
チェーホフ 野田 のだ 南樺太、旧称「ノダサン」
ポロナイスク 敷香 しくか 南樺太、読みは「しすか」でも可
スミルヌイフ 気屯 氣屯 けとん 南樺太
アレクサンドロフスク
 =サハリンスキー
落石 おつちし 北樺太、別名は「亜港(あかう)」
ウラジオストク 浦塩 浦鹽 うらじほ 沿海州、伝統的な支那語では「海参崴」
ニコラエフスク 尼港 にかう 哈府(ハバロフスク)地方
タタール海峡 間宮海峡 間宮海峽 まみやかいけふ 韃靼海峡とも

以上の用語を意識的に使へば、筋の通つた文章が書ける事請合ひです。ご参考迄に。

十一月辛巳朔戊子(041201)

其の后、「鳴海」や「網干」の正体が見えて来た感じがする。恐らく北緯五十度標石の在る場所に賦与された地名の事のやうです。四つ在る標石の夫々に地名が在つたものと思はれます。

辛巳朔丙申(041209)

其の四一、カード発行申請。窓口提出。

壬寅(041215)

其の四二、カード申請状況。申請内容の確認中。

癸卯(041216)

其の四三、カード申請状況。発行処理中(確認の結果不備なし)。

丁未(041220)

コンテンツ追加です。今回は、南樺太の最北端、北緯五十度線に焦点を当てゝみました。一旦は「地名かも」とか思つたのですが、天文測量だとか天測点だとかの用語を資料等で見掛ける事を考へ合せると、矢張り、地名では無く「点名」としたはうが妥当だとの結論に至つた次第です。北緯五十度線は薄皮一枚を隔てたぎりぎりで北樺太では無いので、私的判断の結果「北方地域」の扱ひとします。

十二月庚戌朔(041223)

其の四四、カード申請状況。カードを発送済。

庚戌朔乙亥(050117)

コンテンツ追加です。今回は、樺太の地名に使はれてゐるむつかしい漢字に焦点を当てゝみました。色々と探してみた処、一往、七つの漢字が在る事が判りました。全て第1水準及び第2水準の表外漢字になります。地名の観点からの解説と、漢字の観点からの解説とを併記しておきます。参考にして下さい。 尚、古い機械ですと肝腎の漢字が表示できない可能性がありますので、できる丈新しい機械を準備して閲覧願ひます。

令和癸卯年春正月庚辰朔(050122)

旧正月です。改めてあけましておめでたうございます。

庚辰朔戊子(050130)

其の四五、認定証取得。講習受講、修了証受領、収入印紙購入。

壬辰(050203)

其の四六、カード申請状況。交付通知書到着。

癸巳(050204)

下の「旧記事」に、令和辛丑年の文集令和壬寅年の文集との記事を追加しておきました。(序でにHTMLの構文エラーも修復しておきました。)

其の四七、カード申請状況。窓口予約、完了。

(0206、日附をしれッと修正)

丁酉(050208)

「クキオー」(「クキヲー」の別表記)の位置判明に伴ひ、記述内容の修正を実施しました。間宮氏に依る伝聞地名で、不明となつた名称は、3件から2件に減少しました。

其の外、各種コンテンツで細かい記述整理をしてゐます。

戊戌(050209)

此のウェブページを含め、昨日に引続き各種コンテンツで細かい記述整理をしてゐます。まだ整理が必要なコンテンツもあるかも知れないけど、今回の整理は一旦終了です。

癸卯(050214)

雑文コンテンツです。今回は、先日の「樺太地名の難読漢字」で解説を省略した旧JIS表外漢字の説明を作つてみました。殆どは普段使はない漢字の部類(カテゴリー)に入れられてしまふと思ひますが、見れば納得はできると思ひます。たゞ、数詞丈は致命的なんぢやないかと思ひますね。さう思ひませんか?

乙巳(050216)

其の四八、カード申請状況。受取り完了。

戊申(050219)

「樺太地名の難読漢字」の内容を微修正です。

二月己酉朔庚戌(050221)

「間宮林蔵の樺太未踏地域」の内容を微修正です。

己酉朔丙辰(050227)

其の四九、認定証取得状況。申請書類簡易書留にて送附。

閏二月己卯朔丙戌(050329)

其の五〇、認定証取得状況。簡易書留にて認定証到着。

秋八月丙子朔戊戌(051007)

最近キーボードの調子が悪くて、静かにしてゐました。某ウィキで樺太の領土問題に附いて一風変つた意見が記載されてゐたので、私の考へを述べておきたいと思ひます。先づは、R051007現在の記載内容を引いておきます。

一部人物の見解

ソ連はサンフランシスコ平和条約に調印しなかったため、南樺太、千島列島全域は日本の領土のままであるというものである。北樺太の領有権も主張している人物もいる[誰?]。

上記に対する私の意見は、日本国の場合は桑港講和(サンフランシスコ平和条約)を受入れてゐるので千島樺太(千島列島と南樺太)は抛棄してゐます。露西亜(旧ソ聯)は桑港講和に調印してゐないので当該条約には縛られない立場にあると判断します。日本国は桑港講和で指定された地域を一方的に抛棄した状態なので、幾ら露西亜が桑港講和に調印してゐないからと言つても千島樺太を日本国の領土だと言ひ張る事はできないと思ひます。

唯、露西亜は日本国が抛棄した地域を領有(自国に取込んで領土に組込む事)はできません。日本国との平和条約が正規の形で締結されない限り現状は何処まで行つても千島列島も南樺太も露西亜の占領状態が続くのみです。桑港講和の関係で日本国は千島樺太に手出しできないッて丈の話です。かと言つて露西亜が千島樺太を領有できる確たる根拠も無いのです。

でも、北樺太の場合は別です。日露の雑居地とは言へ一度は日本国が領有した実績が在ります。幌渓は行政経営してゐた記録と実績も存在します。今迄の経緯で「権原」や「請求権」を抛棄した国際法規は存在しないので、将来的に日本国が北樺太の領有国(露西亜とは限らない)に対して何等かの形で領有権の主張ができる可能性は否定できないと思ひます。

以上が私の意見です。例のウィキに書かれた「一部人物の見解」とは違ふ意見だと云ふのは判ると思ひます。若し「一部人物」に該当する人が存在するのであれば、どう言つた理屈で其の意見が成立つのか御説明頂きたいものです。又、某ウィキに記載されるのでしたら、最低限、何処の国の政府の主張なのか、どのやうな学者先生の見解なのか、何処の書籍に書かれた文章なのか、此の三点の内のどれか一点でもご提示頂けると助かります。

九月丙午朔丁巳(051026)

久々のコンテンツ追加です。外満洲の記事になります。日本語地名も併記しておきましたので、参考にして下さい。

丙午朔甲子(051102)

今年も「神田古本まつり」をやつてゐたので、先日行つて来ました。復刻でいゝから旧満洲の地図が無いかと思つて探したんだけど、結局見附からなかつたです。代りに三つ程、地図を仕入れて来たです。
  1. 「大日本旅行地圖(東部)」鐵道省校閲、大正十六年一月一日發行、東京日日新聞附録
  2. 「97 チュプカ諸島之図」、江戸末期
  3. 『中國史稿地圖集(下册)』郭沫若主編、1990年12月第1版、中國地圖出版社出版

「大日本旅行地圖」(1)は、当時物の古い奴です。北海道も在りますが、千島も樺太も掲載されてゐます。

「97 チュプカ諸島之図」(2)は、復刻版の地図になります。得撫島以北の千島列島の内、知理保以島~春牟古丹島の間が当時の名称で詳しく載つてあります。印刷が網点なので、細かい文字が読み辛いです。何枚かセットになつた地図の内の一枚のやうです。

『中國史稿地圖集(下册)』(3)は、支那で発行された簡体字版の地図帳です。七世紀の隋の時代から、十九世紀初頭の清の時代迄の状況が地図の形式で掲載されてゐます。現代の地図も載つてゐるのですが、何故か阿片戦争以降の清国や民国時代や満洲国の部分がごつそり抜け落ちてゐます。郭沫若は、甲骨文字の甲羅や骨を漁り捲つた人だつたと記憶します。

今後の頁作成の資料にはしますが、気が向いたら記事にするかも知れません。

乙丑(051103)

修正です。「西比利亜」は日本語で用ゐられる「シベリア」の当て字です。「西伯利亜」は主に支那語で使用される外国の地名ですが、当方のサイトで此の表記になつてゐる部分は随時修正させます。

「アムール州」は、露西亜の行政区画です。州都が「武市」になります。当方のサイトで、別の行政区画の町として説明してゐた部分が発覚したので、記述を改めました。不正確な資料を元にしてしまつたのかもですが、恐らく編輯の失敗だと思はれます。

己巳(051107)

記事に追記です。内容を明かすと、今年の金利は去年と同じです。

辛未(051109)

最近、大変に興味深い記事を書いてゐるサイトを見掛けましたので、少し許り意見を書いてみたいと思ひます。当該サイトは、此処と似たやうな感じの主に北方地域の地名に焦点を当てた内容の文章を提供してゐるやうです。内容を読む限り、当方から見ても妥当性が在るものと判断できます。

其の中で、気附いた所丈ですが修正したはうがいゝのではと思はれる部分を此処に書出しておきます。

  1. 千歳村一ノ沢「ユ-1:海羅」
  2. 千歳村三ノ沢「三ノ澤 さんのさ」

(1)の「ユ-1:海羅」に附いては、明治六年開拓使布達が元資料であれば、「ユ-1:海浦」が正しいと思はれます。樺太地名文字制定(外部サイト)をご確認願ひます。

(2)の「三ノ澤 さんのさ」は、途中でぶつ切れなんぢやないかと思ひます。外の地名に倣つて書直すのであれば、「三ノ澤 さんのさわ さんのさは」になる感じでせうか。

何方も明かな誤りと此方で判断したので指摘させて貰ひましたが、其方で必要と判断されましたら修正願ひます。多分、武藏國之人さんも此方のサイトは御覧になられてお出でかと思ひますので、私個人のサイトからご指摘致します。

癸酉(051111)

今回は、『北海道歴検図』に記載の地名を題材にしてみました。製作途中ですが、判り易い地名を部分的に当てゝおきます。明治初期の資料です。

冬十月乙亥朔己卯(051117)

先日の続きです。取り敢へず出しておきます。

庚辰(051118)

先日の続きです。亜庭湾沿ひ沿岸の地名です。「犬主駒」は、現在位置は判然としないのですが、『大日本地名辞書続篇』の四二四頁に立項されてゐるです。釜泊(カマトマリ)の西隣らしいです。一往、「江主高麗内」を辞書に掲載の「犬主駒」に比定しておくのです。

辛巳(051119)

先日の続きです。東岸を北上して多来加まで行くです。「斑伸」は、現在位置は判然としないのですが、『大日本地名辞書続篇』の四四〇頁に「中宗也岬」の項の中で解説されてゐるです。岬南を班伸(フノプ)、持泊といふやうです。大体元泊の辺りだと思はれるです。一往、「フヌフ」を辞書で解説される「斑伸」に比定しておくのです。

今回は、突貫で制作したので要素を省略しましたが、其の内、解説を加へるかもです。では、

壬午(051120)

元ネタが変るです。簡単に説明してしておくですが、地図本体は非常に正確です。たゞ、併載の地名のやうな文字列が正確性に欠けるです。此処では、当該文字列を暗号の一種と位置附けて、符号の掲載地点から北緯を割出し、其の北緯から正しい地名(或いは、露西亜語地域呼称)を特定しておくのです。多少のずれはご容赦願ふです。 北樺太の地名を知らない人が此れを見てどう思ふか判らないですが、知つてゐる人間からすると此んなの気が狂ふです。

不思議な事に、何故か「ホロコタン」と「キトウシ」との二箇所丈は、位置と名称とが合致してゐるですよ。

甲申(051122)

久々に某ウィキを確認してみたら、「ティモフスコエ」「ポギビ」「オハ」「ピルトン」「チャイウォ」「ノグリキ」「ルンスキー」「ルイブノフスク」「サハリン州」の各項目の記述が整理されてゐたですね。以前の記述よりか遥かに正確な解説になつたと思ふです。Dhanowさん、ありがたうです。

余談ですが、「潟畔」や「片栗」の漢字表記に附いて、私は根拠を知らないです。何方か御存じの方お出ででしたら、教へて欲しいです。

乙酉(051123)

先日と同じ資料を使つて、別の視点から作成したです。今回は、地図自体を全く考慮に入れず、記載の文字列を個々の名称と認識して、其の名称に合致する、或いは、符合する地名を列挙してみたです。使用した資料は「北海道歴検図」と「アイヌ語由来の北樺太地名一覧」との二つです。右脇の数字は、600番台が「北海道歴検図」、其れ以下の番号は「アイヌ語由来の北樺太地名一覧」のものになるです。漢字表記は、既知の地名を宛つておいたです。気附いたら修正するですが、遺漏があつたらご容赦です。

600番台の番号を見れば判るですが、西岸の地名は幌渓(ホロコタン)から鉾部(ホコベ)まで南から北方向へ全て順番通りに並んでゐるです。

「トッショカウ」は、間宮林蔵が二度目の樺太視察で最初に一旦引返した地点の地名を言ふです。慥か同行の案内人の反対に押切られたか、山丹人からの襲撃に遭つたかだつたと思ふです。一往、「トツシヨ」を間宮資料の「トッショカウ」に比定しておくのです。

丁亥(051125)

元ネタが又変るです。今回のは間宮資料の中からの選択です。4011番迄が南樺太、4012番以降が北樺太の地名になるです。「シルトタンナヰ」を見ると、私の想定より南になるやうなので、後で修正しておくです。括弧内の英数字は、『窮北日誌』に記載の地名に賦与した番号です。

「サツルイ」は、「官板実測日本地図 北蝦夷」で「ホロコタン」の南側に在る岬の名称として現れるのですが、此の資料の位置情報は信頼性に欠けるです。たゞ、「シヤツクルヱー」の音との關聯性が窺へさうです。一往、「シヤツクルヱー」を「官板実測日本地図 北蝦夷」の「サツルイ岬」に比定しておくのです。

「トツシヨ」は、小さな地名で何箇所かに記載されてゐるです。具体的には、「幌渓~木透」と「木透~亜多華」と「亜多華~本所」とが在るです。多分此の内のどれかが例の「トッショカウ」なのだと思ふです。4020番の「トツシヨ」は、「官板実測日本地図 北蝦夷」掲載の「トツシヨ」(120)と順番としては符合するやうです。

戊子(051126)

当該「北樺太地名一覧」に掲載の「チカヒル」(301)は、『窮北日誌』記載の「近涸」の事と判明したので、記述の修正を実施したです。後、まだ保留しておくですが、『北海道歴検図』表題の「ルブラッケ」(658)は、『窮北日誌』記載の「近涸」手前の瀑布を言ふと思はれるです。

下記の附録も修正です。「シルトタンナヰ」判明の為め、位置を「ナヤシ」と「ショウヤ」(シヨーヤ)との間に移動するです。場所は名好に近いやうなので、「名好町古津近辺」とするです。「リョナイ」ももう少し範囲を狭くできさうなので、後で記述の修正があるかもです。因みに、「知谷間」には既に魯人が入殖してゐたと『窮北日誌』に記述があるです。

己丑(051127)

今回も修正です。「ホロトマリ」が安別より南に在つたやうなので、「チツチウナイ岬」(108)を五十度以南の岬に直したです。

其の外、細かな修正を各頁で実施です。

庚寅(051128)

修正も一往一段落附いた感じなので、此の間の続きを行くです。『窮北日誌』では、「イドイー」の漢字表記を「杼曳」(213f)としてゐるです。此の地域の地名を「落石」(213e)とした上で、或いは「杼曳」とも呼ぶと説明してゐるです。で、其の一里先に「本所」が在るです。

此処迄で、「有奴郎」(ウヤツロ)の手前まで来たです。

辛卯(051129)

先日の続きです。間宮海峡の東側の地名になるです。「ゴヱト」~「ノツコセー」~「ユクタマー」の三箇所は、マミヤノセトの北側の海域に面した三つ並びの鍵状の形をした岬の名称になるです。「〓〓カ」は、附箋に隠れて見えなくなつてゐたのでゲタにしたですが、周辺の小さい地名で「ラツカ」である事が判明してゐるです。なので、此処には「夏子」の地名を当てるです。

『窮北日誌』に、「茶蚊貝」手前で現地の案内人が南方を指して「肖韓洲魯智邪」(ニカラスロチヤ)と呼んで恐れたと云ふ記事が在るです。「ニカラスロチヤ」は、「ニコラスロシア」、詰り尼港(ニコラエフスク)の事を言つてゐると思はれるです。

「茶香貝」は、『窮北日誌』に書かれた「ニカラスロチヤ」の記事の後半に在る地名です。「五干支」と「夏子」とは、『大日本地名辞書続篇』で使用されてゐる地名です。『窮北日誌』には、「泣子岬」と岬無しの「泣子」と、両方の表現が在るです。

間宮林蔵は「ナニヲー」以北の視察は未実施です。なので、間宮資料に此れより北の地図は存在しないです。

己亥(051207)

日本人が北樺太に残した足跡を、各種項目にしてアイウエオ順に並べ直して解説してみたです。此れを今後は、一連の記事(コンテンツ)の最上位に位置づけて構成して行きたいと思ふです。来年から日附記事も移行する積りです。

一部記事の表題に於ける方位表記(東岸)を修正したです。冬十月乙亥朔(ふゆのかんなづききのとゐのついたち)を追記したです。

庚子(051208)

間宮林蔵系統の別の地図資料が元ネタです。前述の地図資料とは違ひ、南~東岸の地名も収録されてあるです。今回は西岸の北部を纏めておくです。

「ウイシメラツフ」は間宮資料にのみに見られる地名です。鉾部から輪藉岬の間に在るとされるです。其の外の地名は此れ以外の資料に在る地名にほゞ比定が可能です。括弧内の英数字は例に依つて、『窮北日誌』に記載の地名に賦与した番号です。

五干支から北部の地名が読解し辛いです。既知の名称に寄せて読める仮名を当てゝあるですが、恐らく翻字誤りは避けられてゐないものと思はれるです。同図で別系統の画像が参照できればいゝのだけれど。

又、「樺太州西岸(下)の地名、概略」の頁に、『窮北日誌』に記載する地名の番号を括弧書きで追記したです。

『窮北日誌』には、北樺太を北へ流れる大河を鷺毛河、又は、鷺毛隖と記載してゐるので、「鷺毛川」(三本川)で記載してゐる部分は修正させるです。

辛丑(051209)

コンテンツ追加です。今回は趣向を変へて、ウィキペディアの記事に附いて、私の見方で意見を書いてみたです。絶対に正しいとは言はないですが、典拠はできる限り示すやうにしてあるです。私個人の見解としては「ネヴェリスコイ海峡」の記事は不用です。

壬寅(051210)

先日の続きです。今回は南樺太の西岸が対象です。「モシロヽ」(4)は、間宮海峡南部に浮ぶ島です。「トドモシリ」と呼ばれた筈ですが、「トド」が省略されたです。間宮資料の「トンナイ」は、西富内では無く、鳥舞のはうです。「ヲラ」(14)は、「ヲラウネトマリ」を比定したですが、昨今の蘭泊の辺りになるやうです。「リヨナイ」(25)は、一部の資料で千緒に比定されるのですが、当方の調べでもどうやら其れで間違へないやうです。西岸の地名は、不明の名称が殆ど無いです。

あと、「ウィキの北樺太地形解説を見てみる」の頁を早速微修正したです。

甲辰(051212)

今回は、西能登呂岬の東側から南岸を通過して東岸へ抜けるです。「ノシケヲマナイ」(106)は順番と位置とで「犬主駒」を比定するです。「モイレトマリ」は南北両方記載されてゐるです。「カレー」(116)は内淵より南なので魯礼を比定するですが、何故「カレー」なのかよく判らないです。「ワレー」(125)は文字だけ見ると輪荒ですが、実際の位置が帆矢向よりも南になつてしまふですから、婦礼に比定しておくです。斑伸は元泊近辺の歴史的地名です。「シー」(132)は間宮資料に見られる河川の名称で、幌内川とされます。幌内川河口近辺ならば敷香に比定できるです。終点は例に依つて多来加です。

其の外、「チシヤ」に附いては、毘沙讃の周辺に複数在つたんぢやないのかと思ふです。多分此処古戦場です。

十一月乙巳朔丙午(051214)

某ウィキで編輯合戦になつてゐるやうですので、持論を開示しておくです。飽く迄も私の現時点での理解を示したものなので、今後更に優秀な説が現れゝば其方の説に傾く可能性はある事を申し上げるです。詳細はリンク先をご確認願ふです。

癸亥(051231)

今回は、変つた資料の紹介です。『日本略史字引略註』全、渡部榮八 輯、明治九年八月五日 出版 と云ふ刊本です。内容は特定の歴史書に出現する言葉を集めた用語集になるです、此の中に何故か以下のやうな用語も収録されてゐるです。

  1. 後醍醐天皇 … ゴダイゴテンワウ 人皇第九十七代(十八ウ)
  2. 後村上天皇 … ゴムラカミテンワウ 人皇第九十八代(二十五オ)
  3. 後龜山天皇 … ゴカメヤマテンワウ 人皇第九十九代(三十一オ)
  4. 明徳 … ミヤウトク 同 同上(年 年號)(三十三オ)
  5. 躬仁親王 … ミヒトノミコ 後小松ノ皇子(三十五オ)
  6. 小倉宮 … ヲグラノミヤ 後龜山ノ皇子(三十六ウ)
  7. … ソレガシ バイ 名分明ナラズ(三十六ウ)
  8. 名闕 … ナカク メイケツ 名絶テ傳ハラズ(三十六ウ)
  9. 北畠滿雅 … キタバタケミツマサ 人 臣ノ名(三十六ウ)
  10. 尊義王 … タカノリノミコ 同(人) 皇族ノ名(三十八オ)
  11. 中興王 … チウコウノワウ ナカゴロヲコルキミ 中ゴロヲコリタル王(三十八オ)
  12. 尊秀王 … タカヒデノミコ 人 皇族ノ名(三十八オ)

同書に掲載の、大覚寺統南朝系の用語を集め(ピックアップし)てみたです。途中迄は南朝正統系の用語なので、現代の「日本史」でもお馴染かと思ひますが、(5)番以降が怪しくなります。最後のはうは所謂後南朝に関する用語で、尊皇攘夷の機運覚め遣らぬ状況で此れは如何なものかと、思つたり思はなかつたりです。明徳の元号を「ミヤウトク」と読ませるのも目を引くです。最近は「メイトク」と読むです。該当の歴史書に本当に上に示すやうな用語が記述されてゐるのかどうか迄は不明です。

壬申(060109)

過去記事の読み仮名を修正したのです。

今後は、「日本人が知つておきたい北樺太の諸々」の記事を参照願ひます。(01/10)

旧記事


附録

作成途中のもの。参考資料として。

北樺太地名変遷
1809年頃 1871年頃 1876年頃 1909年頃本文 1909年頃地図 1920年頃地図 備考
ウショロ 鵜城ウショロ 鵜城ウシヨウ 鵜城ウショロ 恵須取郡鵜城村鵜城
リョナイ 恵須取郡塔路町塔路近辺
ナヤシ (南安ナヤシ) 名好ナヨシ 名好 名好郡名好町名好
知谷間シルトタンナイ 名好郡名好町古津近辺
ショウヤ 西宋也岬ニシソウヤ 名好郡西柵丹村北宗谷近辺
庵辺志アモベシ 安別 名好郡西柵丹村安別
ポロコタン 縨子谷ホロコタン 縨子谷ホロコタニ 幌渓ポロコタン 北樺太西岸 幌渓
鰭尾ピルヲ ピレウオ ピリウォ 北樺太西岸 幌渓
木透キトウシ 木透山キドウシ 木透キトウシ キトウーシ山 北樺太西岸 木透
モシリヤ (蒸屋モシヤ) 蒸屋岬モシヤ モーシヤ岬 北樺太西岸 蒸屋
アテケー 亜多華アタゲ 阿党吉岬アダケ (アタケ) 北樺太西岸 亜多華
フルゲルナ岬 フルゲリム岬
北樺太西岸 亜多華
本所ホンジヨ 本所ホンジョウ 本所ホンジョ 北樺太西岸 本所
衣堆イドイ 北樺太西岸 本所
(杼曳ドヱ) 土衣ヅエ ドーエ ヅゥーエ 北樺太西岸 本所
土衣岬 北樺太西岸 土衣岬
ジョンキイル岬 ジョンスキエール岬 北樺太西岸 土衣岬
落石オツチシ 落石オッチシ 北樺太西岸 落石
亜歴山徳アレキサンドル アレキ……ポスト アレク……
(亜港)
北樺太西岸 落石
粗子井アラコヰ 荒子井アラコヰ 第一アルコオ 第一アルコフ 北樺太西岸 荒子井
無我地ムガチ ムガチ ムガチ 北樺太西岸 無我地
韃靼海峡 (韃靼海峡) 韃靼海峡 樺太西岸 間宮海峡
多華タゲ 多華タゲ タンギー タンギ 北樺太西岸 多華
(褒江ホエ) 帆柄ホエ ホイ ホイ 北樺太西岸 帆柄
(割績岬ワンリン) ワンリン埼 ワンダ岬 ウァーンデ岬 北樺太西岸 割績岬
ウヤクトー 有奴郎ウヤツロ 有奴郎ウヤッコ ヴヤクツイ ウヤフト ウィアーフト 北樺太西岸 有奴郎
ノテト 後戸ノテト 後戸ノチト 北樺太西岸 後戸
特懇トイク トイク ツイク 北樺太西岸 後戸
西野手戸埼ニシノテト 北樺太西岸 西野手戸埼
トイク岬 トイク岬 ツイク岬 北樺太西岸 西野手戸埼
ナッコ 泣子ナツコ 夏子ナツコ 北樺太西岸 夏子
ラフ ラーフ 北樺太西岸 夏子
ラッカ 拉喀埼ラッカ ラフ岬 北樺太西岸 拉喀埼
ポウチン岬 ポウチン岬 北樺太西岸 拉喀埼
ワゲー 和牙ワゲ 和牙ワゲー 汪艾ワンゲ ワンギー ウアンギ 北樺太西岸 和牙
間宮迫門マミヤ 間宮海峡 間宮海峡 樺太西岸 間宮海峡
ポコベー 鉾部ホコベイ 鉾部ホコベー 白活必ポコビ ポゴビ ポゴビー 北樺太西岸 鉾部
輪藉ワカシ 和河志ワカシ 北樺太西岸 輪藉
Uaz ワーズ 北樺太西岸 輪藉
(輪藉岬ワカシ) 和河志埼 北樺太西岸 和河志埼
ワーズ岬 ウアーズ岬 北樺太西岸 和河志埼
(五江戸ゴエト) 五干支ゴエト 北樺太西岸 五干支
ヌエデ岬 ヌイデ岬 ヌイーテ岬 北樺太西岸 五干支
六子勢ロクコゼ 六子瀬ロクコセ 北樺太西岸 六子勢
ノクシ岬 ノクシ岬 ノクシ岬 北樺太西岸 六子勢
黒竜江湾 アムール水道 樺太西岸 間宮海峡
ユクタマー (横田布ヨコダブ) イクダム イフダム岬 イフクルム 北樺太西岸 横田布
ランカレー (乱枯隖ラガレヲ) Langra リヤングル ランガルイ 北樺太西岸 乱枯隖
ナニヲー (餓仁隖ガニヲ) ナニヲ ナニーウォ
(ロマノーフカ)
北樺太西岸 那爾隖
田村隖タムラヲ 田村尾タムラヲ タムラオ タムレウォ 北樺太西岸 田村尾
牛香ウシカ 牛香ウシカ ウイスクオ ウィスク 北樺太西岸 牛香
(増穢マシケガル) 増穢マシケガル モスカーリウォ 北樺太西岸 増穢
品馬戸ホンメト 品馬戸ホンメト ポムイド ホムイツ 北樺太西岸 品馬戸
(結眉ムシビ) 結日ムシビ ムシオ ムーシミ 北樺太西岸 結眉
(弁侶隖ベロヲ) 弁侶鄔ベロヲ ピーリウォ 北樺太西岸 弁侶隖
(戸女トメ) 戸目トメ ツミ ツーミ 北樺太西岸 戸女
鵞小門ガオト 鵞小門ガコト 我隖登岬ガオト ガオト岬 樺太最北端 鵞小門岬
(エリサベス) エリサウェーツイ岬 樺太最北端 鵞小門岬


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