仮名遣の歴史 (復古仮名遣)

公開 : 2005/10/28 © 平頭通

契沖

扨、愈々復古仮名遣の段に参りました。先づは、復古仮名遣を提唱した契沖について述べてみます。

契沖(1640~1701)は、江戸時代の中期、元禄を生きた学僧になります。摂津国の出身で、主に本邦の古代文献についての研究を進めて様々な註釈を著しました。其の研究の基盤は、実証主義に基づいてをり、前古に無い多大な実績を今日にまで伝へてをります。其の研究の一端として『和字正濫鈔』と呼ばれる仮名遣に関する書物が存在します。

契沖の生きた時代は、既にワ行の仮名(ゐ ゑ を)はア行の仮名(い え お)に紛れてゐましたし、語中語尾のハ行転呼音も発生してゐました。又、江戸時代初期頃まで残存してゐたアウとオウの発音の区別も殆ど残つてはゐなかつたと思はれます。更に濁音の「じ」「ぢ」「ず」「づ」の四つ仮名に附いても、混同が生じてゐたやうです。其のやうな状況の中で、書き言葉としての仮名遣を再構築したのは並大抵の努力ではないと考へます。

『和字正濫鈔』

和字正濫鈔』五巻は、契沖の手になる元禄6年の刊本です。定家仮名遣のアクセントに依る書分けを廃して、記紀万葉などの古文献に記載された語の仮名の遣ひ方を丹念に蒐集して、仮名遣の紛れる語についてどのやうに書くのが正しいのかを明かにしたものです。仮名遣の一大転換がなされた訣です。「正濫」とは、「濫れたるを正す」との意味があり、定家仮名遣を一種の濫れと判断してゐたのでせう。『和字正濫鈔』で分けられた項目は以下の通りです。

卷一
序文 總論
卷二
い 中下のい
ゐ 中下のゐ
卷三
を 中下のを
お 中下のお
中下のほ
卷四
え 中下のえ
ゑ 中下のゑ
中下のへ
中下のわ
中下のは
中下のう
卷五
中下のふ
むとうとまきるゝ詞
うとむとかよふ類
うとぬとかよふ類
むとぬとかよふ類
むともとかよふ類
むとふとかよふ類
(ふともとかよふ類)
へとめとかよふ類
めと聞ゆるへもし
むとまかふふ
みにまかふひ
をと聞ゆるふ
みをうといふ類少々
みをむといふ類少々
仮名にたかひていふ類
中下に濁るち
中下に濁るし
中下に濁るつ
中下に濁るす
何ろふといふ言の類

「卷五」の項目に分けられた「中下に濁るち」「中下に濁るし」「中下に濁るつ」「中に濁るす」等、既に語頭以外の四つ仮名が混同してゐた状況すら網羅してゐます。「卷一」の「總論」では、五十音図が掲載されてゐます。其れ迄の五十音図では、ア行とワ行との仮名が入替つてゐたりして混同が激しかつたのですが、契沖は、ア行の仮名を「ア イ ウ エ 」、ワ行の仮名を「ワ ヰ ウ ヱ 」として、之迄の混乱に終止符を打ちました。唯、惜しいのは「オ」と「ヲ」の所属が実際とは入違つてしまつた点でせう。茲で「卷五 何ろふといふ言の類」から引用してみます。

たわゝをとをゝといひわなゝくををのゝくといふ。此わとをと通ふ樣もおなし。アヲXワオ かくのことくすみちかへにかよへり。

国語学者には有名な一節ださうですが、いい線まで来てゐて、結局「すみ違へ」で処理してしまつたのが惜しまれる処です。此の点は、後に本居宣長が訂正を加へて正しい五十音図を完成させてゐます。ともあれ、従来混乱してゐた五十音図に対して「オ」と「ヲ」の所属以外の全てを正した事は大きな成果の一つとして認めるべきでせう。

参考迄に、「クヮ」「クヱ」の仮名はどうなつてゐるのかを、『和字正濫鈔』から引いてみようと思ひます。

榮華 ゑいくわ [榮爲明切]

法華經 ほくゑきやう [源氏物語流布の本に ほくえ とかけり。然るに神代紀上に蹴散を注して此云倶穢簸邏々箇須とあり。蹴は常は け とよめは、華と蹴ト音訓異なれと け を くゑ といはむからに久江久惠とかはるべからす。今日本紀を證として久惠にさたむ。又ほけきやうと書へきをほくゑと書は二重假名とてかゝる事あり。久惠切は け なり。きの假名に くい とかける類あり。久以切幾なり。字による事とそ。韵學ある人に尋ぬへし。蹴の字物をけるをはいにしへは くゑる といひて其ことわり有けるを、ける とは後にいひなせる歟]

蹴散 くゑはらゝかす [日本紀]

元より字音仮名遣の為の手引書では無いので、字音に関しては詳しく取上げられてはゐないのですが、「華」の字音を「くゑ」としてゐるのは注目に値します。

又、後の国語学者の山田孝雄は、著書『假名遣の歴史』で「そのあげたる語の約三分一は例證を缺けるものなり。而してかくの如きは古代の文に徴證を求めむとする主義に於いては著しき缺陷といふべきものなり」と、書いた後に続けて『古言梯』へと話題を繋いでゐるのですが、『歴史的仮名遣い』(築島裕)には、「京都市の上賀茂神社の三手文庫に所蔵されている、元禄刊本のことである。この本には、朱書きによって多量の書き入れが行われていて、その内容は非常に正確適切なものなので、契沖自身の書き入れであろうと考えられる」としてをり、刊本としては出てはゐなくとも、「例證」を書残した文献が残つてゐるのは事実として受止めるべきではないかと思ふのです。

次に、どのやうな文献を使用して『和字正濫鈔』を纏め上げたのかを考へてみます。定家仮名遣に誤りがあるのを気附いた契沖は、定家以前に書かれた出来る限りの古い文献を参照するやうに努めたやうです。参照文献の一例を示しておきます。

萬葉文獻
『古事記』『日本書紀』『萬葉集』「風土記」『佛足石歌』『續日本紀』
平安期文獻
『日本後紀』『續日本後紀』『文徳實録』『三代實録』『延喜式』『新撰萬葉集』『和名抄』『古語拾遺』
平假名文獻
『古今集』『後撰集』『拾遺集』『玉葉集』
漢文訓點文獻
『白氏文集』『文選』『日本紀(和訓)』『祕藏寶鑰』

等の文献から、仮名遣に必要な語を採集したとされてゐます。契沖は、イロハ四十七文字について、仮名遣の再構築を見事に為遂げたのであります。此のやうな実証主義が、後の国学者の本居宣長にも引継がれたやうです。茲に宣長が著した『古事記傳』の一節「假字の事」から一文を引いておきます。

こゝに難波に契沖といひし僧(ホウシ)ぞ、古書をよく考へて、古ヘの假字づかひの、正しかりしことをば、始めて見得(ミエ)たりし。凡て古學(イニシヘマナビ)の道は、此ノ僧よりぞ、かつゞゝ開け初(ソメ)ける、いともゝゝ有リがたき功(イサヲ)になむ有リける。

最大限の誉め言葉を寄せてゐます。

復古仮名遣

復古仮名遣の理念は、実証主義に基づいてゐます。詰り、「何々」と云ふ語は「何々」と云ふ文献に「何々」と書かれてゐるから仮名では「何々」と書くのが正しいとなる訣です。古くから使はれて来た語は、古文献を参照する事で仮名遣を決定する事が出来ます。復古仮名遣が普遍的であるのは、一にも二にも、慥かな典拠に基づいた実証主義が其の土臺となつた為であるのです。

契沖の成果は、一方では国学者を中心とした古典文献の研究へ、もう一方には明治以降に採用された正仮名遣の基礎として大いに活用されました。

『蜆縮凉鼓集』

『蜆縮凉鼓集』は、契沖が『和字正濫鈔』を出したとほぼ同時期になるのですが、鴨東父と云ふ人が、元禄8年に著した書物です。題名は、蜆(しじみ)、縮(ちぢみ)、凉(すずみ)、鼓(つづみ)と、同音の連呼に依つて書表される語を四つ列挙して、四つ仮名の区別を表さうとしたものになります。全て最後の仮名が「み」となる辺りがなんとも粋な表現だと思ひます。

此の書物の特徴は、四つ仮名の「じ」「ぢ」「ず」「づ」の書分けのみを問題にしてゐる点にあり、筑紫方では発音し分けられてゐる四つ仮名が、京都や東国などでは発音が混同してしまつてゐる事実なども記してゐるのですが、従来の定家仮名遣で取上げられて来た「いゐひ」「えゑへ」「おをほ」の書分けについては、一切取上げられてゐません。「ゐ お ゑ の假名をも、三音通呼の義に任せて、い を え の内に併入れ、其中にて主爨の抄等に從ひて各假名文字を書分ぬ」と、凡例の中に書いてあるので、定家仮名遣の流れを汲む仮名遣の書であるとの判断にもなり得ます。唯、四つ仮名の書分けへの道を開いたと云ふ意味で、契沖の実績と肩を並べるものとして賞賛されるべきでせう。

『古言梯』

復古仮名遣の普及の立役者は、楫取魚彦(かとり なひこ)になります。楫取魚彦が著した『古言梯』は明和5,6年頃の刊本と考へられてゐます。『古言梯』の特徴は、五十音順の配列に依り、一語一語に出典を明示した処にありました。又、此の頃に新たに発見された『新撰字鏡』を大いに活用してゐる点も特徴の一つです。「あきなひ」「あつかひ」「あやふし」「あわて」等と、『新撰字鏡』に依つて初めて仮名遣が確定した語も少くありません。

『古言梯』一巻本は、刊を重ねて多くの人に読まれたやうです。

仮名遣の大転換

復古仮名遣の提唱に依り、正仮名遣の礎を築いたのは契沖になります。定家仮名遣の誤りを根拠を以て訂正し、其の後の仮名遣の方向性を決定附けました。

契沖が切り拓いた実証主義の波は、様々な方面に波及して行きました。次章では、其の方面を逐一見て行かうと思ひます。

参考資料

関聯頁

前章
仮名遣の歴史 (仮名の成立)
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