詞の玉垣 (題未定4)

公開 : 2009/01/01 © 平頭通

平成己丑年春三月辛未朔丁丑

『日本書紀』に於ける年月日の記載と読み方を少し解説してみました。日附が数字になつてゐないのがポイントです。

平成己丑年春三月辛未朔乙亥

後南朝の用語集
両統迭立・大覚寺統・後醍醐流・南朝・真言立川流・後亀山天皇・明徳の和約・南北朝合一・足利義満・小倉宮・自天王・禁闕の変・神璽・赤松家残党・長禄の変・吉野郡川上村・御朝拝式・応仁の乱・山名宗全・西陣南帝・南方宮の放浪・水戸学・南北朝正閏論・熊沢天皇・美作後南朝

此のぐらゐ把握しておけばいいか。通常は学校の歴史の授業では扱はれない、闇へと葬られたもう一つの室町時代史、と書けば聞えはいいが、元を辿れば南朝方は後嵯峨天皇から見て傍系であり且つ其ののちの後宇多天皇の庶流から端を発した系統です。正統云々と言ふと嫡流の持明院統に分があるやうに思ふ処です。併し乍、皇統が南北に二分される等、何処となく国語国字問題との類似点が見附かりさう。敢へてどつちが南朝に対比されるとかは言及しないどかう。因みに、「明徳の和約」は、北朝側が反古にして自分の系統から皇太子を選出してゐます。

平成己丑年春三月辛未朔癸酉

正かなで書こうとして居るが、現実に妥協して居る。

此の人の意見は、正かなに一定の価値を認めてゐるので、其の点に対して反論する気はないですね。唯、良い物と認めてゐるにも関らず、使はうとしないのは疑問です。妥協するぐらゐなら正かなを使つてみる事をお薦めします。

いまでいう「歴史的仮名遣い・旧字表記」は彼の時代ではアクチュアルな表記ルールであって,その当時「現在している」ことにこだわるからこその保守主義なのであって,過去のものとなってしまったものを再興すべき「復古主義」ではなかったのだから。

"misima" の人ですか。復古主義つて事は、過去の或る時点の表記が最も正しいとして其の時点の表記を自ら実践する事を言ふのですが、"misima" の人には、正字正かなを使用してゐる人達が其のやうに見えてゐるみたいですね。で、現在は「現代仮名遣い・新字」が「正則」だからと鴎外の切口で以て「現代仮名遣い・新字」を擁護してゐる。鴎外の時代に在りもしない表記を、恰も鴎外が擁護したかのやうに言はせる。今は亡き森鴎外に伺ふ事は叶はないが、私は之を詭辯と判断したい。外のエントリでは、字音仮名遣で字引を引いてみろとか、北畠親房や松尾芭蕉の記述と正かなとを比較してみせたりとか、『かなづかい入門』の作者のやうな事を言つてゐます。"misima" の人、非常に残念です。

平成己丑年春三月辛未朔

一部の正かなサイトでも採用してゐる旧暦表記を実行に移します。此処では『日本書紀』や『旧事紀』の年月日の書き方を参考に、干支年干支日で表現してゐます。太陽暦への換算は上記の「旧暦カレンダー」を見れば判る仕組です。此のカレンダー、2033年問題対応済です。

て事で本日から三月です。 記事未完。

平成廿一年三月廿六日

騙したとまで言つたつもりはないのです。平頭通さんを傷つけるのは本意ではありません。不快にしてしまつたやうですみません。

私の不用意な発言で餘計な事を言はせてしまつたやうで申し訣ない。私が読取つたのは、思考の過程として記事の前半での考へ方があつて、其の上で、後半のIME 辞書ならば云々の結論に至つたんだと、さう言つた内容です。全く別物の意見とは見てゐません。「 もつと信頼していただきたかつたのです」さうだな、之は私の反省点だな。

21時22分
「甲子」は固有名詞の積りでは無かつたんだけど、慥かに「全部は無理」に同意。實際の處やはり後回しで良いと思ふ。
あと先の文はIMEの變換を何うするかとの範圍で考へた。字音一般は特に意見が無い。字音表記に「クヰヤウ」みたく書かれた辭典ならあるけど。

之読んで多少なりとも自覚がある事が判つたんで其れで十分。意見を頂けたのは有難く思つてゐます。固有名詞の件は後ほど頃合見計らつてと云ふ事で。後、日附若しかしてずれてますか。

後、もう一つ記事書かねば。明日から、御迷惑を承知の上、全く個人的な都合で日附の表記を旧暦に変更します。

平成廿一年三月廿六日

騙したとまで言つたつもりはないのです。平頭通さんを傷つけるのは本意ではありません。不快にしてしまつたやうですみません。

私の不用意な発言で餘計な事を言はせてしまつたやうで申し訣ない。私が読取つたのは、思考の過程として記事の前半での考へ方があつて、其の上で、後半のIME 辞書ならば云々の結論に至つたんだと、さう言つた内容です。全く別物の意見とは見てゐません。「 もつと信頼していただきたかつたのです」さうだな、之は私の反省点だな。

21時22分
「甲子」は固有名詞の積りでは無かつたんだけど、慥かに「全部は無理」に同意。實際の處やはり後回しで良いと思ふ。
あと先の文はIMEの變換を何うするかとの範圍で考へた。字音一般は特に意見が無い。字音表記に「クヰヤウ」みたく書かれた辭典ならあるけど。

之読んで多少なりとも自覚がある事が判つたんで其れで十分。意見を頂けたのは有難く思つてゐます。固有名詞の件は後ほど頃合見計らつてと云ふ事で。後、日附若しかしてずれてますか。

後、もう一つ記事書かねば。明日から、御迷惑を承知の上、全く個人的な都合で日附の表記を旧暦に変更します。

平成廿一年三月廿四日

なんて言った字音の話。だが "全部" は現實には不可能。今頃になって氣附いた。ツッコミが無かったらしいのが吃驚なのだが、「甲子」のやうに二文字だけならまだしもその單語の字數が増えればあっといふまに組合せ爆發が起きて扱へなくなる筈。單純に全パタン對應は無理。

私の事であれば、廿一日の最後の項目で同様の趣旨の反応を記してゐます。「全部は現實には不可能」と云ふ意見に同意。唯、固有名詞だと、使ふ本人から「之はかう言ふものなのだ」と断言されてしまふと、第三者の立場から否定は困難になる。なんか今夜は疲れた。

平成廿一年三月廿三日・後

私の意見は上記に書きました。まだ考へ中の部分もありますが、現時点では此のやうに考へてゐる事は示しておきます。

今回の一件で、私自身の目的や意図を明白にする為に、今一度此処でお浚ひしておきます。私は、IME 辞書作成の方向性とか指針とかを得んが為に、字音仮名遣の意識調査を実施しました。当初は其の意図の部分を表現から省いて問うたのですが、之は「なんでもかんでも入れろ」のやうな投遣りな回答を外したい為に敢へて此の問ひ方を選んだのです。今回は其の点で裏目に出てしまつたのですが、私としては止むなしとの結果に至つてゐます。 私は当初此のやうに問ひを投げた筈です。「字音仮名遣を改変するとしたら何処まで許せるか、どの項目なら表音化を認めるか」、ですが、IME 辞書の話を聞いた途端にあんな素つ頓狂な返事を返す輩も出て来るとは情けないと思つたものです。当初の私の問ひを読めば、「どんなのでも入れろ」等と云ふ返事は返せない筈です。はつきりガツンと言つてやらうかとも思つたのですが、確りと意見を述べられてゐたので私は其の点を読み取つて返事を書いたのです。「こんな方法もあるよね、自分ではかう書いてゐるよね」とね。私は返事を書く時、極力相手の意見を真正面から受け止め、其の上で其の意見に対して自分はかう思ふと述べるやうに心掛けてゐました。で、大体五人のお方から有効な回答を得られた事には夫々回答を寄せて呉れた方々に対して此の場で御礼申し上げます。ありがたう。

そして意見も集約でき、現時点での方向性が得られたので私の意図としては之で完遂となります。之で以上の話は普通の感覚であれば終了となるのですが、

此処からは私が全く理解できないので聞きたいのですが、現状以上の件に附随して界隈で「混乱」が見受けられます。其の「混乱」は一体なんの目的を以てなされてゐるものか、申し訣ないが私には理解できません。私の問ひと其の目的と意図とは上記に示した通りです。目的は何なのか教へて欲しい。

平成廿一年三月廿三日・前

扨、豫告した明後日の日がやつてまゐりました。今夜中には自分の意見を纒めて出せるやうにしたいと思つてゐます。後、追加で意見が寄せられてゐるやうなので、御返事しておきます。

字音假名遣ひのIMEなんて、平水韻を本見出しにして、棒引き假名遣ひを假見出しにしておけばいいと思ふ。個人的には、廣韻まで復元するのも面白いと思ふけど、結局、確定後の漢字には入力時の假名遣ひは殘らないので、苦勞しても見榮えは同じだ。

先づ、「假名遣ひは殘らない」と言ふ御意見は全く其の通りと感じてゐます。だから、どんな方法であれ、最終的に必要な文字が出せればいいのだと私も思ひます。後、「棒引き假名遣ひ」も当然検討の中に這入つてをりました。併し乍、之迄の蓄積等を考慮すると「現代仮名遣」と比較して分が悪いと考へてしまひます。唯、今後の検討材料の一つにはならうかと思ひます。平水韻は変換効率等を考慮すると魅力的な部分も有りますが、現時点では外させて下さい。

理想は色々な条件をスイッチか何かで切替へられるといいのでせうけれども、其れは私一人の手には持て餘すのが現状です。今回は皆様からの御意見を色々と頂きましたが、現実解として反映できるものは極力反映したいと思つてゐます。長い目で見て頂けると有難いと思ひます。

私もIMEの話だと分つてゐたら「字音假名遣」(#D20-2)の記事であんなに長々と書かずに濟みましたし。

丸で私が騙したやうな言はれやうですね。少々心外ですが、其れでも私の本来意図する御返事を頂けたのは、朝鮮将棋の中村さんのみです。其の点は掛け値無しで有難く感じてをります。だので、このやうな事を言はれたのは正直悲しいです。

扨又、別の意味で問題となつてゐる部分があります。其の点については、本日夜間に対応を取りたいと考へてゐます。

平成廿一年三月廿一日

「アパッチ正かな軍」等と言ふ事は--何しろ俺は「アパッチ正かな軍」の言ひ出しつ屁であり、それゆゑ定義者たる資格がある--許さない。

定義者については全く同意です。其れと、「w」は書いた覚えが無いのですが、若し其のやうに当方の文章が見えてしまつたのであれば、誠に遺憾に思ひます。「後囘しにして」と云ふ御意見なので時機尚早と考へてお出でなのは判りました。事を進めて行けばいづれは突当る問題であると現状は理解しておきます。

私としては、「大文字と小文字、四つ假名はどちらでも可。後は新假名と同じ」といふ感じで。ただ、「樣」のやうな和語に馴染んでゐる語は「やう」でも入れられると良いと思ふ。

早々の御回答有難うございます。時機尚早との御指摘も頂いてをりますが、現状Anthy に特化した正字正かな辞書を作成してゐる関係上、どうしても字音仮名遣に関りが出来てしまふのです。其れをどのやうにして進めるべきか考へあぐねてゐたと云ふのが実状です。一往、上に引用の線で辞書作成を出来るやうにする事にします。あと、此方も言ひ出しつ屁であるので、自分の考へも明後日を目処に公開します。

字音假名遣ひの詳細は、ルビ振り職人のやうな專門家が知ってゐれば事足りるもので、一般の人が嚴密に習得する必要はないだらう。一般の人に必要なのは、正假名遣ひと、もう一つは、完全表音式假名遣ひだ。

珍しい処から御指摘頂きました。全く同意なのですが、私が困つたのは、朝鮮将棋の中村さんへの御返事として書きました。専門家が知つてゐればいい事と、一般人が常識として知つておく必要のある事と、むつかしいものです。

私は「現代仮名遣」に合せる方式でよいと思ふ。理由は、本質ではない部分だから。それから、アパッチ正かな軍だから。

諒解です。さうなると、地震は「じしん」、政治は「せいじ」になりますが、四つ仮名丈はどちらでも使へる方向で検討します。かう云ふ生の意見が一番有難いのです。

うちのハンドルは甲子の字音だけど、カフシでもカッシでもカツシでもコウシでもコーシでも全部変換出来るやうにしとけば良いんでね?

んで、文法なんだけど、実のところ詳しくなくてどうも。

御意見ありがたうございます。今回の意見集約は、固有名詞まで視野に入れてはゐませんでした。申し訳ありませんが時機尚早として御勘慮願ひます。御参考迄に、現状「甲子」はAnthy の辞書では字訓の「きのえね」で変換できます。後はユーザ辞書で御対応頂けると現状としては有難く思ふ所存です。様々な御意見を頂きましたが、羅馬字表記で ”kahusi” である旨は承知してをりますので、其の点はよく考慮したいと考へてゐます。

僕もかふしさんと同意見。とりあへず全部變換できるやうにしておけばいいんでない?

たとへば假名漢字變換用の辭書なら、「辭書のソース」に適當な字音で語を登録しておいてから、jion-kanadzukaiみたいな表を使って、複數のパタンを持つ辭書を最終的に生成すればいい。

時機尚早である事は承知で二段目の案は同意します。私は、Anthy の改変の方向で辞書製作を進めてゐますが、もりやまさんは「一からの製作」を目指してゐるのだと認識してゐます。私自身其の方針は理解しますし、必要とあらば其の方針に則つて動きたいと思つてゐます。私の表現の甘さとは言へ、此のやうな結果を導いたのは私の不徳の致す処と感じてゐます。

あと、「とりあへず全部變換できるやうにしておけばいい」と云ふ御意見ですが、実際辞書製作にあたつてみた感想として、「其れ丈なら問題ないが、本当に其れに関聯する全ての語を対象に出来るの? 」と思つてしまふのです。だから、何らかの--指針--が得られればと、廿日の記事を書いたのです。其れで、です。何らかの方法で「内部変換」が可能(例へば大きい「つ」と小さい「っ」との相互変換が可能とか) ならば、気兼ね無く最も細分化される仮名遣で辞書を作成してもいいと思つてゐるのです。其処辺りの兼合ひです。其の点では野嵜さんの主張される「文法優先」の姿勢は全く同意する処なのです。

後今回の件とは違ひますが、"OSS" が全く解つてゐない私として「之ではいけない」と思ひ、手始めに『オープンソースソフトウェアの本当の使い方』とかを中心に関聨を読み漁つてゐる所です。今暫く時間を下さい。

平成廿一年三月廿日(春分)

黄経の基準零度の所にやつて来ました。春分は旧暦二月の中気です。酔狂で一寸した計画を練つてゐるのですが、其れはもう暫くしたら出します。取敢へず、過去に遡つて啓蟄を追記です。因みに、豫定の計画を実行に移すと数十年後に或る問題が発生する見込みですが、まあ、実験的なものだしいいつしよ。

此処で所謂「アパッチ正かな軍」の人達に一つお題を提供しようかと思つてゐます。内容は以下の通りです。

字音仮名遣を改変するとしたら、何処まで許せるか。以下の項目から順位を示して理由附けして欲しい。

「終」「中」「竜」「甲」等に関する「学会未承認字音」は考慮から外します。どの項目なら表音化を認めるとか、此の項目は仮名遣の書分けが必要とかの意味と受取つて下さい。書分けの最も必要と思ふものから、1.2.3.…として下さい。最低限の項目は以下に示しますが、外に必要な項目の在る人は、理由附けの上、附足し可とします。

「現代仮名遣」に合せるのも一つの見識ですし、並べ方と区分の仕方によつては宣長大人が採用した字音仮名遣の方法を示す事も可能です。「カ」も「クヮ」も合拗音の「クヮ」に合せたいと云ふ意見も可です。因みに上記の例を全て容認した場合、「豪韻の唇音」は学会の最新の定説を覆す事になります。後で私の考へた意見も出してみます。其れではお願ひします。

興味ない。今そんな事を考へる必要は無い。アパッチ正かな軍の人は字音假名遣の事など考へなくていい。

えと、此の回答想定内です。野嵜さんの立場からすれば「制度の組替へとかに力を入れてゐる奴は糞だ」と見られても致し方ないと思はれます。其れとは違つて、では正字正かなに最適化された「かな漢字変換」のソフトウェアが在るとして、漢字漢語を字音で入力する場合を考へた時どうするか、とか、今文章を打つてゐる時どうしてゐるのか、とか、さう言つた事を問題にしてゐると御理解頂けると有難いのです。

平成廿一年三月十九日

正しい事を論拠を以て正しいと主張する事は別に何も問題ありません。唯、態度が高圧的だつたり、上から目線だつたり、好戦的だつたり、妙に慇懃だつたり、さう云ふ相手を見下したやうな態度のせゐで、話が悪い方向に向ふ結果を導いてゐるやうに思ひます。其の時、自分は論拠を以て正しい事を言つたとしても、其の論拠が不適切な場合もあるでせう。不適切な論拠に基づいてゐたのであれば、其の論拠の不適切な点を示して、必要とあれば自分が行つた論を正規の論拠に基づいて訂正すればいいのです。何も平身低頭で謝れと迄は私は申しません。そして自分が外の誰かの論を否定してゐる時は、「俺は正しい事を言つてゐるんだ」と云ふ自覚を持つて話して欲しいですね。さうすれば必然的に「正論なんて無い、だから正しさを奉じる事には納得できない」等と云ふやうな事は言へなくなります。唯、持論を展開する態度で割を食つてゐる場面をよく見掛けるので、注意したい処です。

「心遣い」は、「こころ(心)」+「つかい(遣、使)」の要素に分解される複合語ですから、「こころづかい」というのは現代仮名遣いのルールに照らし合わせると、特別に許容される仮名遣いということになります。

此の人、本当にいい線まで来てるのに、惜しいなあ。「現代仮名遣」で説明してゐるんですから、「現代仮名遣」の規定に基づいて説明しなければ話になりません。「現代仮名遣い」には「第1」に示す基本原則と、其れとは別に「第2」に示される「特定の語については,表記の慣習を尊重して,次のように書く」ものとが在ります。今回問題にされてゐるのは「第2」に示される部分に関はる語になります。此の"5" に示された「次のような語は,「ぢ」「づ」を用いて書く」の中に、此の人が例示した「はなぢ(鼻血) こぢんまり みかづき(三日月) おこづかい(小遣) もとづく」等が「例」として掲載されて在ります。

又、此の人が別に例示された「せかいじゅう(世界中) いなずま(稲妻) さかずき(杯)」に附いては、「なお,次のような語については,現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として,それぞれ「じ」「ず」を用いて書くことを本則とし,「せかいぢゅう」「いなづま」のように「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする」と規定される中の「例」として掲載されて在ります。

全て、「現代仮名遣い」の規定に明確に記載されてゐる事柄ですので、記載されてある通りに使ふのが「現代仮名遣」としては正解となります。

「こころづかい」は、「現代仮名遣」に例示されてゐない語ですから、「二語の連合」と解釈すればマスコミが正解ですし、単なる一語だと解釈すれば麻生総理が正解になる丈の話です。「心」と「遣」との複合語などと云ふ説明は殊「現代仮名遣」には全く必要の無い解説です。でも、良く理解なさつてお出でですね。

さうかあ、ぢやあ朝鮮将棋の中村さんと私との間では「アパッチ正かな軍」で統一する事にしませう。後、某「プロジェクト」にギャルゲつてのは方向性としては賛成ですが、今はまだかな漢字変換エンジンに絞つておいたはうがいいと思ふのです。

平成廿一年三月十八日

全くの蛇足なんですが、「アパッチ正かな軍」と「正かなアパッチ軍」、どつちを正規としませうか。「闇黒日記」では二月は前者二件、三月は後者二件のやうです。

平成廿一年三月十七日

速報は既に安岡さんや小形さんのブログに掲載されてゐますので、御存知の人も多いと思ひますが、文化庁から「新常用漢字表(仮称)」のパブリックコメントの募集が始りました。期限は、一箇月後の4月16日必着です。私は当然意見を書いて提出する積りでゐます。此の「表」の存在する最大の罪は、何と言つても表現の自由を束縛してゐる点にあると考へます。今回、其の点を中心に理由を記述して、意見にははつきりと、「常用漢字」は不要なので廃止して下さいと書いて提出したいと考へてゐます。ですので、個別の漢字一文字一文字について、あれは要るが之は不要だとか、漢字の読み方についてどうのかうのとか、漢字の字体や字形について云々とか、そんな次元の話は全く無視致します。飽く迄も廃止を前提に意見を書く積りでゐます。

私に賛同されるお方も、さうでないお方も、意見を提出されるのであれば、自分自身の言葉で意見を書いて提出するやうにして下さい。

2ちゃんねるなど、「正義」を振りかざす人々の「自分は正しいことを奉じているのだから、自分は正しい。自分たちに逆らう者は、正義を否定するものだ。だから攻撃しなければならない」というトチ狂った発想は、この構図とまったく同じだといえる(わたしは主張の内容が正しかろうと何だろうと、「“正しさ”を奉じる」という暴力には納得できない)。

敢へて二重引用にしておきます。竹林さん手厳しいなあ。此の人「正義」を振り翳す事を糺弾しておき乍、自分自身が正義を振り翳してゐる事実を忘却してゐますね。此の人も自分の言ふ「「正義」を振りかざす人々」と大差ありません。主張の内容が正しからうと何だらうとね。

後、『かなづかい入門』を読んで絶賛してゐるやうだけど、あれは「現代仮名遣」擁護の為に書かれた本ぢやないよ。まあ、此の人は固定観念の色眼鏡で見て自分に都合のいい部分しか読んでゐないんだらうけどね。『かなづかい入門』を読んで「「現代仮名遣」は素晴らしい」と思つちやふ人は、皆誤読してゐます。

平成廿一年三月十五日

又、新しいお題が出たやうなので、言及しておきませう。 麻生総理が私的文書に「御心ずかい」と書いて恥をかいたとか何とか。仮名遣としては、「御心」と「遣ひ」とを結合した複合語だから「御心づかひ」が正しいのですが、「現代仮名遣」では、「(2)二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」」を適用して「御心づかい」とするのが正解のやうです。之は昭和21年に制定された「現代かなづかい」の頃から変つてゐないやうです。や、此のやうな表現をするのはカラクリが在りまして、「現代仮名遣」が制定された当初から現時点に至る迄、其の用例の中に「おこころづかい」が掲載されてゐないのです。ですので、基本原則を適用すれば麻生総理の書いたのも間違ひとは言へないのかなあ。いやいや待てよ、之は「二語の連合」と見るべきだらうか。一体どつちが正解なのか、厳密には確定できないのかも知れないとか思つてゐたのです。逆に「おこづかい」とか「こころづくし」とかの用例なら在るんで、さう言つた語を使つてゐたのならどつちが正解とか断定できたんですがね。其れで『広辞苑』では過去「こころずかい」を採用してゐたと聞けば、「ああ、基本原則のはうを採用したのかなあ」なんて考へる訣です。処がです。「闇黒日記」(平成二十一年三月十五日) を見たら「広辞苑は見出しで發音を使つてゐたんだよ」つて書いてあるぢやないですか。其れだと旧い『広辞苑』を根拠に麻生総理の書いた「御心ずかい」は当時は正しかつたと云ふのは当らない主張になりますよね。何か考へ過ぎて損した気分です。ほんと「現代仮名遣」つて出来損なひの代物なんですね。

麻生総理も些細な事でマスコミにつ突かれて御苦労な事だと思ひました。

朝鮮将棋の中村さんですね、よしなに。 「本氣ぢやないですよね」と言はれてしまひましたが、半分本気と言ふかなんと言ふか。舞臺は例として出した迄ですが、外にも王道の現代風学園物でも、近未来譚でも、SF バトル物でも、ファンタジーでも、戦国物でも、どんな感じでもいいと思ふのです。唯、どんな舞臺にしても、状況説明とか選択肢とかさう云つた部分は我々現代人が普通に読める文章で書くものです。別に舞臺が平安王朝物だからと言つて、全て古文で書く訣でもないですし、三国志物だから全て漢文で書く訣でもありません。逆にさう云ふ風にしなきや駄目だと言つて来たのが松永氏やhaikyo 氏なんだよね。たしかにね、言葉遣とか用語とかに当時のものを採用するやうにしたはうがいいのは判るけど、文体まで採用するとなると現代の日本人には聊か酷と云ふものです。ですが仮名遣とか漢字とかは時代で分断されるやうな代物でもないですから、正字正かなを使へば60 年くらゐ昔の出来損なひを使ふより幾らか増しになるんぢやないかなあと。で、さう云ふ処から切崩して行くのも一つの方法なんぢやないかなあと。

「繪師はかの某氏で」当然! と言ひたい処ですが、先生も中々お忙しいお方のやうですから、あまり御無理は言へないですし。

■[その他]話にならんね 04:16
この人らに共通してるのは「(´ー`)」が文字に見えてる点だよな。
俺は単に感情を表す装飾として使ってるんだけど、彼らには何らかの文字に見えるらしい。
じゃあこれは何と読むのか説明してほしいところだね。

あ、此処のサイト見て呉れたんですね。有難うございます。唯、あんまりソリが合はないやうなのが残念です。一往、先に断つておきますが、此処のサイトは私が管理してゐますので、私こと平頭通の良しとする日本語表記で書きますので豫め御諒承下さい。

御質問は「顔文字」の件と、麻生総理の用字の件の二点で宜しいかと思ひます。

「顔文字」の件は、之は約物の一言で説明が附くと考へます。詰り、括弧とか点とか棒線とかさう言つた記号類は、其の記号類の用途として使用するのが本来の使用方法であります。其の点を踏まへて「顔文字」を見た場合、本来の約物としての用途を逸脱してゐるばかりでなく、其の前後の文章や文章全体にどのやうな影響を与へてゐるのかすら判然としません。約物は本来の用途で使用する事で機能が発揮できるのだと考へます。

二点め、麻生総理の件、私は正かなを遣ふ人間ですから胸を張つて「御心づかひ」が正しいと主張できますが、其れでは御納得頂けないんだらうと思ひます。上にも書きましたが、「現代仮名遣」では、「二語の連合」と解釈して「御心づかい」と書くのが正解だと思はれます。唯、用例が提示されてゐないので、麻生総理の「御心ずかい」も不正解と断定はできません。若し詳しい処をお知りになりたいのであれば、文化庁又は文化審議会国語分科会に直接お問合せなされるのも一つの方法です。

私から申し上げられるのは此のぐらゐです。何故そんなに冷静を缺いた表現をなさるのか一寸疑問です。

平成廿一年三月十四日

mrnknmrnkn 2009/03/14 00:47
何をキモいと思うかって人によって千差万別じゃないですか。(この「じゃないですか」って文の結びもよく嫌われるよね。まあここではわざと使っているわけですが)
俺にとって最大の問題はかな遣いそのものよりも、正字正かな派を自称する人々が揃いも揃って煽り耐性皆無でぞろぞろと必死で反駁してくるように見えるところ。自分らが現状マイナーで理想と現実に差もあると認識し、かつそれでも自分らの用いているかな遣いのほうこそ正統的だという揺るがぬ自信がある、それなのになんで超然としていられないのか?淡々と自分のサイトで使っていればいいでしょうに。よき情報を発信していれば仮名や文字遣いの障壁なんて関係なく読者がついて、結果として正字正かなに対しギャップを感じない人を増やせる。それなのにわざわざギャップを拡大し敵を増やすような行動をなぜとられるのかが理解し難い。ノザキさんはそのあたりの問題だって重々意識してらっしゃる様子なのに。「そっちが挑発するからだ」とか「間違いを振り撒かれると困る」とかは理由になりませんよ。それを自分達で拡大してりゃ世話ねえなっつってんだこっちは。
あとこれも大きいのだけど二番目の問題として、いくら正統的でなくとも何十年と現代仮名遣いによる教育を受け現代仮名遣いのもとで生活しているんであって、そうでない仮名遣いには違和感が出たり特定のイメージが纏わりついたりするのは致し方ありません。ましてや、現代漢字仮名遣いしか使わぬ若年層のあいだで生まれたごく最近の言い回しに対してまで正字正かなを適用するというのは、たとえそれが正しくてもキモい。そしてキモいという印象のままでは併存はできても受け容れられることはない。俺自身は正字正かなであってもほぼ問題なく読める、でもたとえばエロゲのテキストが正字正かなだったら実用にならんですよ、攻略対象が羽織袴キャラでもない限り。

普通に論を寄越して呉れた人がゐるみたいだから、応答しておきます。

「何をキモいと思うかって人によって千差万別じゃないですか」仰せの通りですね。私なんかだと、「現代仮名遣」を平気に擁護できる感覚の持ち主のはうが「キモい」です。なんたつて「千差万別」ですから。

「正字正かな派を自称する人々が揃いも揃って煽り耐性皆無でぞろぞろと必死で反駁してくるように見えるところ」いいですか。私は「常用漢字」や「現代仮名遣」を只使つてゐる人に対しては全然反駁とか批判とかはしないんです。極一部に正字正かなの表記に対して不当な非難を浴びせる人間がゐるので、其の人達の言ひ分は違ふんだと主張せんが為に反論するんです。そもそも何で非難されなければならないのか。「煽り」つて事は、人を小馬鹿にしてゐるつて事ですよね。こつちは真剣に論じてゐるんですよ。何で馬鹿にされて迄、耐へなければならないんですか。

「敵を増やすような行動をなぜとられるのかが理解し難い」と言ふんだけれど、私から言はせれば、貴方がたが私達を馬鹿にして「煽り」を入れてゐるんですよ。無自覚でやつてゐるのであれば、今直ぐ黙つたはうがいいでせう。

「いくら正統的でなくとも何十年と現代仮名遣いによる教育を受け現代仮名遣いのもとで生活しているんであって」之はね。「当用漢字」や「現代かなづかい」が制定された当時の大人の方々も逆の意味で似たやうな事を言つてゐました。現代の義務教育は法で決められた事に基づいて行はれますから、必然的に決められた事しか教へて貰へないのです。本来日本語表記にあるべき書き方が等閑にされて何処か一般人の見え辛い所に押し遣られてしまつてゐる。私達は、其の状況を解消したいと思つて行動してゐるんです。

「たとえばエロゲのテキストが正字正かなだったら実用にならんですよ」いやいや、結構いい事言つてゐますね。「羽織袴キャラ」つて事は巫女さんですか、弓道の娘さんでもいいのか。かう言ふと野嵜さん怒るかも知れないけど、舞臺が満洲国だつたり、戦前の日本だつたりしたら、逆に正字正かな表記でエロゲにしたはうがいいつて事になるんですよ。(其の点「もけもけアリサ」はどうなのか知らないが) 私なんかだと、エロなんて昔から在つた訣だから、戦前の正字正かなで書かれたエロ小説なんかも在れば読むし、何処かの誰かが正字正かなのエロゲを作つて呉たら是非とも賞味してみたいと思つてゐます。冗談でなく真面目に期待してゐます。問題は仮名遣では無く、良作か地雷か丈です。

平成廿一年三月十三日

haikyohaikyo 2009/03/08 02:44
此方と其方とか書かないんだよなあの子ら(´Д`)y-~
なんつうか旧字旧仮名の使い方がゲンダイ的つうかあんまり深く考えてないのが丸わかりでコマル
matsunagamatsunaga 2009/03/11 12:36
「旧字旧仮名の使い方がゲンダイ的」
そうそうそれそれ。俺が「正字正かな派」をキモいと思うのはそこだったりする。中途半端なんだよね。

二人とも自分勝手な固定観念の表明しかしてゐないな。此の人達の論は野嵜さん達にキッチリ論破されてゐるのにねえ。何と頭の堅い人達だこと。

元記事にも言及しておく。「はづかしい」は元々漢字かな交じりで「恥しい」と書いた。扨、「送り仮名の付け方」(昭和三十四年内閣告示第一号制定、昭和四十八年内閣告示第二号改定、昭和五六年内閣告示第三号改正) によると、「はづかしい」は、「単独の語」の「1 活用のある語」の「通則1 (活用語尾を送る語に関するもの)」の「例外 (1) 語幹が「し」で終わる形容詞は,「し」から送る」を適用すれば、「恥しい」になる。だが併し、此の場合は「通則2 (派生・対応の関係を考慮して、活用語尾の前の部分から送る語に関するもの)」のはうの「(1) 動詞の活用形又はそれに準ずるものを含むもの」の項目を適用して、「恥じる」との関聨から「恥ずかしい」とするのが此の内閣告示の上では正しいとされる。あんた方が嫌ふ正字正かな派は送り仮名は何処から送らうが構はないが出来る丈、短く送る事を念頭に置くので「はづかしい」は通常「恥しい」と送る丈である。「常用漢字現代仮名遣原理主義者」の方々にあつては、必ず規定通りの「恥ずかしい」と云ふ表記を使用せねばならない。又、内閣告示の規定に記述されてゐない「顔文字」を多用した文章は、規定に反する行為として厳に謹むと同時に、使用した者に就いては自己批判を要求すべきである。

[ネト][オタク]旧字旧仮名を使う人

追記 21:20

http://d.hatena.ne.jp/fake-jizo/comment?date=20090227#c

中途半端だな(´Д`)y-~

いろいろな意味で

あとちゃんとトラックバックを打っているのは感心だが世の中には「恥の上塗り」てな言葉があってな(´Д`)y-~

まあなんだ

政治性かなとか騒ぐより先に本を読め

たくさん読め

死ぬほど読め

話はそれからだ

四日後の追記 00:29

あれかね(´Д`)y-~

「正字正仮名」を使う人は文法とか文意とか論理とかはどうでもいいのかねえ?

「はいはいワロスワロス」、本ぐらゐ「政治性かな」とか書ける程度の知能の持ち主に言はれる迄も無く、色々と読んでゐますよ。うちのサイトよく読んでみな。証明もせずに言ひ掛かりで相手に反論した気になつてゐる。こいつどの程度本を読んでゐるのかねえ。恥の上塗りにならなければ教へて貰ひたい処ですね。後、こいつは思ひ込みとレッテル貼りしか出来ないやうだな。要は其の程度の能力しか無い奴。

平成廿一年三月十二日

早速問題だと思つた部分を全てクリアしたと僕が思へる状態に書きなほした物を、SF.JPのGitレポジトリにpushして公開しました。Web上からは以下で閲覽出來ますので御確認ください。

内容確認しました。当方としては異存ありません。と言ふより、迅速な対応に感謝します。此方も理解に努めて行きますが、理解不足な点はかうやつてフォローして呉れると有難く思ひます。後、Ver.3 導入の件も諒解です。続きは又頃合を見計らつて提出します。「持論」の件は、其れ自体正しいのだらうし、其の内容については此方からは全く反論はありません。なので此方からは敢へて言及しないやうにしました。

平成廿一年三月十一日

扨と、ぢやあちやんと意見書いておくかな。と、其の前に、野嵜さん気持ちは受けてるからね。ありがと。

嗚呼、又なんか言はれちまつてゐるなあ。其れでだ、此の侭の路線に乗つて進めちまふと、「あんたの文句はもうこりごりだ。オープンソースだか何だかの習慣だか仕来りだかは既に俺の理解の範疇を超えてゐる。もうそつちで勝手にやつて呉れ。あばよ」となつちまふ。折角の魅力的なプロジェクトである筈なのに、結果は之だよ。

俺が怒つたのには理由がある。今回は其処の処を少し書いておくから、読んで欲しい。此処から先はもりやまさんをプロジェクトの統率者と認めてリーダーと呼ばせて頂く。先づ第一にリーダーの態度の問題だな。リーダーは一旦俺の成果物を"sourceforge" のサイトに載せて呉れると宣言してゐた。だが併し、蓋を開けてみたら、難解な理屈と聞いた事の無い不文律や習慣とを数多持出して挙げ句に掲載拒否して呉れたんだよね。いいかな、之を相手が普通どう受取るか考へてみて呉れ。「お前みたいなオープンソースの理念も解からないやうな奴はイラネ。どつか池ゴルァ」と言はれたのと同じ事なんだよね。だから俺は怒らせて貰つた。リーダー自身は多分そんな事は思つてもゐないだらうし、懸命に其の理念を説明しようと努力してゐたのかも知れないけど、遣り方はあまりスマートではないと思ふ。其れから、此の件を第三者的に見ても恐い事ではないかな。此のプロジェクトで使はうと誰か別の人が別のデータなりプログラムなりを持寄りたくても、今回のやうな事が又起きるんぢやないかとビクビクし乍、戸惑ふ事になる。其れは良くないと思ふ。

此の場合の正解に近い対応は、提出した成果物を読んで、リーダーが問題だと思つた部分を全てクリアした状態に書直した上で、「此の状態であれば此処に載せる事が出来るが之でいいか」と問ひ直すのがいいと思ふ。兎に角、成果物は可能な限り何でも載せる方向で動いて呉れないか。大体、現状オープンソースに一番親しんでゐる人は此処のリーダーぐらゐしかゐないんだし。其の他のメンバーの殆どはオープンソースの不文律や仕来りや掟なんか理解してゐない筈だから。

後、一寸心配なのは、今回件に限らずリーダー自身が些細な事でしよつちゆう自分自身の過去の言を撤回したり変更したりする事。自分のブログの名称を何度も変へてみたり、ブログの表示日数をチョコマカ変へてみたり、外にも色々と有るよね。さう言ふのつて之からプロジェクトを引張つて行かうと云ふ人の態度としてあまり好ましいものでは無いと俺には感じた。其処ら辺は、方針が決まつたら方向性は変へないで、ドーンと構へてゐればいいと思ふ。其れでも何か変更したい事項が発生した場合は、ちやんとした理由を述べてから、メンバーの同意を得るなり、多数決なりで変更するかどうか決めればいい。リーダー自身がフラフラしてゐたらメンバーは何処を向いて進めばいいのかすら判らないと思ふ。

最後にもう一点。「Ver.3 なんて無い」なんて言はれたんで、此処でさうぢやないと言つておく。

上記に御覧の通り、2007年6月29日附けで公式文書が提示されてある。あんな訣の判らない検索結果を参照するより、確りとしたソースを参照するやうにして呉れ。其れに当該"COPYING" は俺の成果物に同梱しといた。Ver.3 はVer.2 の上位規格である筈だから採用しても問題ないと考へる。其れでもVer.2 に拘ると言ふのなら、納得の行く説明を改めて聞きたい。

現状、メーリングリストへの参加は控へさせて頂くが、参加するしないはリーダーの今後の返答次第としておく。

平成廿一年三月九日

色々言ひたい事はあるが、今は一つに絞る。俺は一往、形の在る物を提示した。色々意見は在るだらうが、ならば、自分はかうだと云ふ物を提示して貰ひたい、人への文句は誰でも出来る。他の意見は改めて書く事にする。

もう一つ書いておくわ。著作権だ何だと面倒な事が多々在るんなら俺は自分の手持ちのデータは金輪際公開せんわ。世間に関る丈でも面倒なのに之以上面倒抱へ込みたかないわ。

平成廿一年三月七日

一寸SKK の擁護をしてみます。SKK では、文章の中の漢字で表記する部分と、動詞や形容詞等の用言の活用語尾とを、明示的に指定する変換方式であると規定できます。ですので、頭の中に此の語は漢字で表記する、又此の語は仮名で表記すると豫め豫想して文章を組立てる場合、大変利用価値のある、かな漢字変換の方式であると考へます。途中のスペースに附いては、連文節変換でも変換開始の合図として使ふので、スペースを以てSKK を非難するのはどうかと思ひます。連文節変換でも此処で変換したいと思つた時は何処でもスペースを押してゐる筈、同じ事です。

下記評価版に附いて。先づ一点、之は完成版ではないので、此の辞書を導入した結果、ア行以下の単語がマトモに変換できなくなつたと言ふ意見には耳を貸しません。之はAnthy 用に作成してゐますが、ソースのデータはEUC-JP で記述してゐます。正字正かな用の辞書を作るのに、どんな事をしてゐるのか、中身を見てやつて欲しいと云ふのが私の願ひです。てか、こんなのは高崎さんが最も得意な分野の筈なのに何やつてゐるんだか。もう。 今んとこDL1 件。もりやまさん、「正字正かなプロジェクト」への転載許可しときますよ。

頭の中でこの文字列は漢字! この文字列はかな! と明示的に指定して考へますか。そんな事は絶對にあり得ません。一聯の思想が頭の中に浮ぶのであつて、それを兔に角書附ける・打込む--それが最優先であつて、形のない思想を形のある文章として定着させる事、それが出來なければ入力プログラムとして何の價値もない。思想は全體であり、その全體の思想を漠然と打込んで、部品としての語は後から弄れば良い--それが連文節變換プログラムの發想だと言へます。が、skkだと、部品としての語を打込んで、それを組立てて、思想を作り上げる。これは不自然極まりない。言語とは、思想を定着させたものか、それとも、部品を組立てたものか--根本的な言語觀の違ひです。

が、語にしても音韻にしても、さう云つた部品を組合せ、組立てて、文章を作り、思想を作る、と云ふ言語構成説的な發想は、正字正かな派の人間には本來、許し難いものである筈。

文章は単なる部品の組立てではないと云ふ意見には同意します。明示的に指定すると云ふ言葉の意味は、詰りかう云ふ事です。一つの例として、事前に漢字かな交じり文の認(したた) められた文章が手元に存在したとして、貴方は之から此の文章を電子化すると仮定します。此の場合は必ず文章の中の漢字とかなとの部分が明示された状態であると規定できます。此の例と同様に頭の中に既に漢字かな交じり文の文章が作成済の状態で之を書写して行く事の出来る人がゐるとすれば、SKK で漢字とかなとを切替へ乍、打込む方式も選択としてありだとは思ふのです。唯、其の場合、一番理想的なのは漢字直接入力であるのは否定できません。

後、野嵜さんの説明の場合は、兎に角なんでも先づは書附けてみる。其の出来た文章から漢字にしたい部分丈を漢字に変換する、つて方式を採用してゐるんだと理解します。之は頭の中で構築する文章を先づ、音声の羅列として把握してから文章を形作る方法と考へます。羅馬字入力でも、かな入力でも、一旦仮名文字で文章を打込んでしまふ。然る後に、後方に戻つて漢字にしたい部分丈を指定して変換させるやうな感じでも行けさうです。

具体的に言ふと、変換させたい部分の仮名文字を反転させて、「スペース」等の変換合図を送ると変換候補が幾つか表示されるつて奴で、其の操作を行はない部分は全てかなの侭変化無し。野嵜さんの場合、此の方式でも巧く行くと思ふけどどうでせう。ああ、でも第一順位の変換候補を間違つてゐるとしても豫め提示して呉れる連文節変換のはうが手間は少し丈少いか。

蛇足、日附一日ずれてゐます。

平成廿一年三月六日

評価版、He_202298.zip(pass:anthy)

平成廿一年三月五日(啓蟄)

"anthy.dic" ファイル作成に失敗してゐたのは、どうやらAnthy のヴァージョンが違つてゐた為の模様。"anthy-c74rc1" のヴァージョンのAnthy で"anthy.dic" を作成すれば、WinAnthy で利用可能な辞書ファイルとなる。全然巧く行かなかつたんで、一時はディストリビューションとの相性を疑つてしまつた。後、使つてみた感じ何故か「あを」が巧く変換して呉れない。パッケージが出来たら斧にでも上げとく。

本日、約一時間掛けて"Ubuntu" を導入してみた。日本語入力関聯は、当初からAnthy のみ導入済みで、SKK やPRIME やwnn(ほのかたん) やcanna は未導入、霞と巴は這入つてゐるので、其の点での検証には利用できさう。うちの環境ではセーフモードのやうな感じでしか上がらないんで、普段使ひのとしては一寸厳しい。

平成廿一年三月三日

LZH形式だなんて日本ローカルでパソ通時代の遺物なんか、もう使ふの止めようよ。

言ひたい事は訣るのですが、LHA は「パソ通時代の遺物」等ではありません。吉崎栄泰と云ふ医者が発明した日本発の圧縮形式です。たしかに世界標準では無いのですが、日本国内では現在でも標準的に利用されてをり、Windows で動作する日本人作者の解凍ツールでは必ず使へるやうになつてゐます。UNIX コマンドでも、 LHa for Unix のページ のサイトで配布されてゐます。ですので、普通にLZH 形式を利用しても何ら問題ないと判断してゐます。一往、世界標準を観点に考へれば、ZIP に軍配が上がるのは理解してゐます。

現在作成中の"anthy.dic" は、検証の為にコンパイルを掛けてみたのですが、どうも巧く変換して呉れないので、調査中です。判明したら、途中経過のソースを含め、うpします。Anthy の文化を考慮して、UNIX 標準のtar.gz 書庫に鞍替へする豫定です。

「何處でも使へる可能性が最も高いZIP形式がいいのでは」、ふうむ、否定する理由も無いから次回から提案の通りにしますね。基本的にオープンソースで行くので、元のテキストデータ同梱で配布します。可能なら其処の 正字正かなプロジェクト: 概要 - SourceForge.JP のサイトで掲載を希望しておきませう。

「訣る」微妙に変な文字使ひをしてしまつた。

平成廿一年二月廿八日

御免、今回の件について野嵜さんを悪く言ふ積りはない。野嵜さんの立場を悪く言つた事実は無い筈だけどなあ。『出来レース』で勝つても、議論で本当に勝つたんぢやないんだよ。俺は其れが言ひたいんだよ。季肋朗喜六郎?、あいつは野嵜さんがゐるから其の存在が認知できる丈の奴です。後、松永氏はあいつが出て来る迄はちやんと受け答へしてゐた。其れは俺が認める。

あともう一つ言つておく、野嵜さんは孤立無縁ぢやない。勘違ひするな。

「旧仮名遣」と云ふ言ひ方は、「新かなづかい」と対抗する表現なので使ふ可きでない。仮名遣と云ふ用語は、本来の仮名遣にのみ使はれるべき語彙であり、「現代仮名遣」も一緒くたに語られる可き語では無い。

「絶対的な正しさ」に一つ丈近い概念が在つた。基督教の"god" だ。現在まで相手にして勝てた人間はゐない筈。

喜六郎さん、名前間違へて済まなかつた。うちのAnthy にきつく申しわしておいたから安心して下さい。福田恒存をやっつける会会長さんとか、「義」さんとか、アレクセイさんとか、青方の中村さんとか、古い処だと、zak_kさんとか、futakoto-mikoto-yokotoさんとか、皆さん仲がいいのかは知らないのですが、野嵜さんはいつも一人一人に対等に対応してゐるんですよね。多分喜六郎さんは其の事をちやんと判つてゐる筈。

平成廿一年二月廿七日

野嵜さん、ああ云ふのを『出来レース』つて言ふんですよね。自分が勝敗の判つてゐる事柄を持出して、勝負を挑んで、其りや勝てるわな。だけど、今回のは単なる事実の指摘であつて、議論して勝つたのとは違ふんだよ。

其れとは逆に、松永さんは誠実に対応して呉れてゐました。何より自分の意見を述べようと努力してゐたのは文章から確り読取れましたから。あ、此処で書いておくけど、私も絶対的な正しさつてのは無いと思つてゐます。だから、自分自身正しいと認識する事柄に附いて、第三者が必ずしも正しいとは考へない事もあるのは知つてゐます。論理に矛盾は無いか、多くの人が納得可能な内容か、さう云ふ点を大切にし乍「之が正しいのだ」と主張して行きたいのです。

平成廿一年二月廿六日

廿三日の件、此処で指摘しておきませう。

私は、この本を読むまでは歴史的仮名遣い(所謂旧仮名)が正しく、現代かなづかい(新かな)は改悪だと思っていました。出来れば寺分でも歴史的仮名遣いを使って文章を書きたいと思っていたほどです。歴史的仮名遣いが相当に難しく、付け焼き刃で使ったりすると逆に恥を掻くであろう事が解っていたから踏み込みはしませんでしたけれど。

之は思つてゐた通りで間違ひはありません。其れが此の後変化してしまつた事が残念でなりません。歴史的仮名遣が難しいと云ふ意見は巷で聞く事はありますが、段階を践んで修得して行けば別に難しい事はありません。何より実際の文章を良く読む事が最も肝要な修得方法になります。

白石氏の書かれた『かなづかい入門 - 歴史的仮名遣 vs 現代仮名遣』から、少し引用してお話を進めてみます。先づ「はじめに」の所に以下のやうな事が書かれてありますので御確認下さい。(p.15)

ここであらかじめ断っておきたいことがある。それは本書でのわたしの立場である。わたしは、歴史的仮名遣と現代仮名遣のどちらかに肩入れしようとするつもりは、ない。できるかぎり公平な立場でいたいと考える。

白石氏はこんな事を最初に掲げて文章にしてゐるのです。実際お読みになつてどうでせう。歴史的仮名遣に殊の他厳しくあたつてゐるのが判る筈です。白石氏は初めから歴史的仮名遣を攻撃する目的で此の本を書いてゐたのです。「公平な立場」等と言葉では書いてゐますが、そんなのお構ひなしです。白石氏は大嘘吐きですね。

扨、其の外にも私の気が附いてゐる点を指摘しておきませう。第六章のp.149 に「オ列長音をめぐる問題」と云ふ項目が在ります。歴史的仮名遣の知識が無いと「おお」なのか「おう」なのか使分けが出来ないと云ふ趣旨の内容なのですが、最後にこんな一行が添へられてゐます。(p.151)

歴史的仮名遣の残滓(ざんし) という感は否めない。

残滓は「残りカス」の意味です。歴史的仮名遣を悪者扱ひしてゐるのは判りますが、此の一文だけで「現代仮名遣」にも批判を加へた事になります。かう云つた表現をする人は、表音主義者の間から屡々見受けられます。

後、「記述仮名遣」と「規範仮名遣」との説明の件ですが、簡単に言へば「記述仮名遣」と云ふのは個別の日本語表記の実例の事を言つてゐる丈の事です。人間の書く文章です。規範意識のずれとか、勘違ひとか、凡ミスとかで、幾らでも表記は変化する事でせう。中には態と間違へて見せたりする事すらあります。其れを殊更「記述仮名遣」とか言つて取上げる事には疑問を感じます。「規範仮名遣」は、定家のものと契沖のものと歴史的仮名遣とが在りますが、皆言葉を文字で正確に伝へようと欲した結果成立した仮名遣です。「現代仮名遣」のやうな内閣告示に依る条項規定とは質も方向性も違ひます。

最後に、字音仮名遣の件、之は通常は皆漢字で表記されるものです。なので、字音仮名遣より先づ漢字を憶えるのが優先されるでせう。仮名で書くのは、「やうだ」とか「さうだ」とかくらゐのものです。其のやうな字音仮名遣を殊更問題視して、「だから歴史的仮名遣は難しいのだ」と云ふ結論を出すのは頂けません。抑々、普段は文章に書きもしない漢字音の仮名表記を問題にするのは、漢字仮名交じり文を表音的表記と同じ土俵に摺り下げて難癖を附ける為なのです。非常にアンフェアな行為です。結局白石氏には、歴史的仮名遣を敵に回し、「現代仮名遣」にも批判を加へ、もつと別の物を擁護する意図があつたのです。何処がどう「公平な立場」なのでせう。今一度、考へ直される事をoguogu さんに要望します。

国歌の元となつたと想定される和歌は、山田孝雄博士の『君が代の歴史』に依ると幾つか存在するさうです。(pp.28-29)

  1. 我か君はちよにましませさゝれ石のいはほとなりて苔のむすまて
  2. わかきみはちよにましませさゝれ石のいはほとなりて苔むすまてに
  3. 我か君はちよにやちよにさゝれ石のいはほとなりて苔のむすまて
  4. 君か代はちよにやちよにさゝれ石のいはほとなりて苔のむすまて
  5. 君か代はちよにやちよをささゝれ石のいはほとなりて苔のむすまて
  6. わか君はちよにやちよをさゝれ石のいはほとなりて苔のむすまて
  7. 君か代はちよにやちよをかさねつゝいはほとなりて苔のむすまて

扨、之を見ると4. が現在の国歌に最も近い歌となつてゐますが、其の外の歌も含めて、「巌」に該当する仮名の部分は全て「いはほ」となつてをります。漢字で「巌」も正解ですが、原文を尊重するなら仮名表記は「いわお」でも「いわほ」でもなく「いはほ」が正解になります。「是正」するかどうかは別としても、日本人の意識として持つておいて欲しいものです。

平成廿一年二月廿五日

今夜は色々と所用があつてあんまり書けないけど、一往、

  1. anthy の正字正かな辞書の製作、進捗状況改変のみで「お」の途中。なので、公表できず。
  2. 公表豫定の旧事紀の記事はハードディスクのクラッシュで雲散霧消、一から出直し。
  3. 著作権保護期間満了企画は、第三弾、第四弾を計画進行中。『平家物語』(絶版) のネタは最近神保町で入手した。
  4. oguogu さんへの指摘は野嵜さんに先に遣られてしまつたけど、当方からも後程行ふ。

こんな処で。

平成廿一年二月廿三日

見事に洗脳されちまつてゐるよ。之も後で指摘してやんないと駄目か。

平成廿一年二月廿二日

「アパッチ正かな軍」の隊員つて事でよしなに。

「正」という言葉は、必然的に「邪」(善悪)または「誤」(正誤)との対照で使われるものである。いずれにしても、「正しからざる漢字・かな遣い」が存在し、それを排除したいという表現である。一方、「旧字旧かな」であれば過去の一ヴァリアントとしての表記法という意味になる。わたしは旧字旧かなを使うこと自体を否定はしないし、プライベートでは旧字旧かなを読んだり書いたりするのも好きである。(わたしがブログ等で旧字旧かなを使わないのは、旧字旧かなを読めない現代日本人の大多数に届かなくなってしまうからである)

此の人は「旧字旧かな」と「正字正かな」とを別けて考へてゐるんだな。「旧字旧かな」だと、古い表記方法と云ふ意味と同時に捨去られた表記方法と云ふ意味が加はるので、正字正かなの文章を指して「旧字旧かな」と称するのは不当な差別であると指摘しておきます。

「「正字正かな」は「戦後の文部省が推し進めた表記」を誤/邪とする、と定義して間違いないと思われる」とかねえ。正字正かなは、「常用漢字」や「現代仮名遣い」よりは整つてゐる正しい表記方法です。「誤」とか「邪」とかは、お互ひがお互ひを規定する丈の話ですよ。

「戦後批判という側面を持つ「正字正かな」運動であればこそ」とかさ、「思われる」と書いた矢先に事実に摺替へですか。悪い文章の典型ですな。歴史的仮名遣や正かなは現在進行形の仮名遣、「現代仮名遣い」は固定された過去の「仮名遣い」、唯其れ丈の話。

「「康煕帝の強権による漢字字体の制限」などという批判が聞こえないのは気のせいか」此の一文でうちのサイトを読んでゐないのは判つた。正字は康煕字典の文字其の物ではないんだよ。浅薄だねえ。

「正字正かな」は表記だけの問題であるから、文法などは関係ない、と主張された。さらに、わたしの「正字正かな利用者が古典文法で書かない」という指摘について「古文と旧仮名遣いが一体だと思っている、現代教育の犠牲者」というような批判までなされた。わたしは、「表記」と「文法」が切り離して考えられることについては理解している。しかし、その上で、正字正かなが「表記」における批判にとどまり、文法についてはまったく顧慮しないことを中途半端だと考えている。わたしにとって、「失われた仮名遣い」に対する郷愁は、「失われた表現方法」への郷愁の一部である。であるから、わたしにとっては「旧字旧かな」という「字面の表記」だけでなく、「明治大正の擬古文」という文体や、言文一致運動以前の文体、あるいはいわゆる古典文法の文体(*3:ここで「いわゆる古典文法」と述べているのは、過去の日本の文法すべてを指すからである。源氏物語と平家物語と徒然草と浮世草子がそれぞれの時代の異なった文法に基づいて書かれていることを総称している。)といったものすべてに及ぶ。逆に言えば、「正字正かな派は、字面の表面的なものだけしか扱っていない」という批判である。日本語表現における相対的な視野が完全に欠落している。文字表現は文法や文体を含めた記述システム全体の中で論じられるべきであり、正書法だけを切り離して論じるのは片手落ちである。

之は当方への反論の積りだらうか。文体とは書いたが「文法」とは書いてゐない筈だがなあ。此の人の先日の主張は「「旧字旧かな」で書いてあるのに何故古文で書かないのか」と云ふものだつた筈、上記引用では論調が相違する。依つて反論にはなつてゐないんだが。 過去の文体、様々な文体を顧慮する事は大いに結構な話です。ですが、私には聊か荷が重過ぎるので御辞退申し上げます。当方は飽く迄正字正かなに絞つて論じて行きたいので、文体其の他は其の件に附いてお詳しいであらう貴方様のサイトで扱つて頂けると有難く思ふ所存です。どうぞ何卒良き計らひを。

大体ね。正字正かなを扱ふサイトがなんで古典や擬古文を扱はなきやならないのかな。多少は参照する部分は在るけど、精々正字正かなに関聯する部分で取上げる程度ですよ。其れが気に入らないんなら御自分で考へるやうにさう云ふサイトを作ればいい話ぢやないか。「「失われた仮名遣い」に対する郷愁」等と言つてゐるが、此の人はどうしても正字正かなを過去のものにしたいやうだな。成る程、「「旧字旧かな」で書いてあるのに何故古文で書かないのか」と云ふのも其の流れでの発言なんだらう。

「正しい表記とかいいながら、「べき。」を見逃すのかよ、と思う」勝手に思つておけばいいので放置しようと思つたが、まあ「学校の怪談」のオープニング推奨ッて事で。

「それは時代の変化とともに更新されてしかるべきではないか」とか、此の人は表音的な変化を望んでゐるのかどうか判らないが。

「表音文字の場合、同じ音が伝わることが大前提である。同じ音が伝わればよい約束であり、同じ音が伝わらなければよくない約束である」なんか見るとどうも表音主義者の匂ひがぷんぷんするなあ。表音文字であらうが、音丈が伝はつても仕方がないしなあ。 文字を見て其の文字がどの文字であるかが伝はればよい約束であり、どの文字か伝はらなければよくない約束である。

「わたしはすべてにおいて「正しさ」を振りかざす言説を信用しない」とほざくか。此の人は自分の言説を自分自身が正しい内容であると主張する事が出来なくなりましたよ。残念ですね。

平成廿一年二月廿一日

ウェブサイトで「正字正かな」「旧字旧かな」を使っている人たちがいる。彼らの表記は「正しい日本語」なのか? 間違ってはいないかもしれないが、そうではない。なぜなら、それは「契沖仮名遣いを使う」ということで日本の伝統を守っているかのように主張しているだけのことだからである。契沖仮名遣いと定家仮名遣いは違っている。定家の時代にすでに、正しい仮名遣いなどはなかったから、混乱が生じていたのだ。契沖とは違う表記も決して間違いではない。平安時代にすでに仮名遣いの混乱は始まっていた。そして、奈良時代には万葉仮名が使われ、そこでは一部の音で甲類乙類の使い分けもなされていた。ウェブサイトの「正字正かな」の人たちは、なぜか万葉仮名まではさかのぼらない。そして、致命的なことだが、彼らは現代日本語の口語的表現を旧かなで表記する。古典文法にて書きたる者ついぞ見かけざるはいかなることにやあらん、正字正かなとぞ言ひたる者ども、ただ懐古の趣をあらはすのみにてあさましからんとぞおぼゆ。

此の人の論理展開は大体かうなるのではないかと思はれます。詰り、「正字正かなの人達は古い仮名遣を珍重してるんだから、更に古い表記方法を使用すべきだ」と云ふ主張ですね。我々正字正かな派は古語を遣ふ為に正しい仮名遣を使用してゐるんではありません。「旧仮名遣は古語で使用せねばならない」と云ふ考へ方、詰り、此の人の言ふ「観察」其ものが偏見なのです。古語は文体の事、万葉仮名は記紀万葉で使用された仮名文字の事、仮名遣は様々な語を仮名で書く場合の表記方法の事で夫々別々の事柄である事を認識する必要があります。単に古い物だからいい物なんだなんて言つてはゐないんですよねえ。

と言ふかですね。現代の教育では古典は私が言ふ旧仮名遣で教育してゐます。なので「現代語は「現代仮名遣い」、古典語は旧仮名遣」と云ふ図式が固定されちやつてゐるんでせうね。或る意味現代教育の被害者ですよ、此の人は。

「特に何とも言うつもりはない」のであるなら最初から波風立つやうなもの言ひはせぬのが賢明な判断ですよ。

平成廿一年一月十五日

突然、Windows が立上がらなくなつてしまつた。緊急避難でLinux からアクセスしてゐるが、Windows のパーテーションにマウントできるのは確認できたので、なんとかしたい。併し参つたなあ。

平成廿一年一月八日

いいエントリだと思ひます。唯、アイヌ叙事詩のユカに附いては、知里幸惠さん歿後、急激に衰退してしまつたと思ひます。彼女が確りと伝統を受継ぐ事が出来てゐれば、、今となつては叶はぬ事。げに口惜しい。

否、知里さんには全く非はない。

平成廿一年一月六日

著作権保護期間満了企画第二弾です。山田孝雄校訂『方丈記』を公開します。底本は岩波文庫版で、1928年(昭和三年) 10月15日初版の1939年6月15日改版の1979年6月20日第54刷の版を参照しました。例によつて本文は省略しますが、其れ以外の部分は電子テキストに落してあると思ひます。打ち間違ひとかあつたら何らかの方法でお教へ下さい。

実は此の文庫も再度の改版で、旧版に該当する文庫になつてしまつてゐます。現在入手できるのは、市古貞次校注(黄100-1) に依る版になります。まあ、レア物と呼べるのかどうかは知りませんが。

第三弾も豫定してゐます。

平成廿一年一月三日

以前から私も「常用漢字」は要らないと言つてゐます。もう好い加減破綻してゐる事に気附いたはうがいいのでは。

平成廿一年一月二日

今年考へてゐる事は幾つか在るんですが、一往列記してみます。先づ近い内に山田博士の『方丈記』の解説も公開しようと思つてゐます。後は、"Anthy" 用の正字正かな辞書の強化かな。昨年出した奴ぢや大して役立たないから少しづつ強化させてゐます。まあ字音仮名遣の拘りの人には向かない仕様なんですが、ローカルでは地味に更新してゐたりします。後は、旧事紀関係の記事を今はネタ作りの段階だつたりかなあ。既存の記事の修正なんかも考へなきやいけないんだけど、其の辺は追ひ追ひ。

さうさう、最近でも正字正かなに対する不当な非難がインターネット界隈で見受けられるやうです。私としてはさう云ふ文章読む丈でも悲しい思ひをします。「現代仮名遣い」や「常用漢字」を擁護する為に正字正かなを非難するのは感心できません。助詞の「は」「へ」「を」は正仮名遣由来の書き方です。漢字だつて日本人の苗字や地名には結構表外字が使はれてゐます。戦前の書籍を紐解けば其処には正字正かなの文章が綴られてゐます。なので、さう云ふ状況を認識してゐる人は態々正字正かなを非難する事は無い筈です。其れを敢へてやつてゐるとすると、故意なのか裏に隠された真意が在るのか等と考へたくなつて来ます。まあ、気附いた記事を適当に取上げて、正字正かなの擁護が出来たらいいなとか。

出来る訣なささうな事が多分に含まれてゐる。

平成廿一年一月一日(元日)

著作権の保護期間を満了しましたので、山田孝雄校訂の『神皇正統記』を本文抜きで公開致します。底本は岩波文庫版で、昭和九年十二月十五日初版の昭和十七年十二月二十日第十一刷の版を参照しました。

岩波文庫は絶版が無い事で通用してゐるのですが、唯一改版がなされた場合のみ其れ以前の旧版の発行が停止されます。で、今回電子テキスト化した『神皇正統記』も其の旧版に該当する文庫になります。現在の版は岩佐正校注(黄116-1) となつてゐるので、今後リクエスト復刊にも上がる事は無いでせう。山田孝雄に限らず、リクエスト復刊対象外の旧版文庫が岩波文庫には幾つも在りますから、さう言つた旧版に該当する文庫は或る意味貴重です。

話は変るけど、最近"Lunascape5 Beta" を常用してゐます。野嵜さんはなんか問題があつたみたいなんですが、此方は各レンダリングエンジン共々今の処問題無く使へてゐます。

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